あなたとわたしがゲキテキな変化を遂げる 冬 #8


――さよなら。


佐伯くんがわたしにお別れを言った。珊瑚礁が閉店してしまったから。情けない姿をわたしに見られるのが耐えられないから。だから、さよならだって。

佐伯くんの背中が遠ざかる。もう振り返ってはくれないんだと分かっていても、手を伸ばした。「佐伯くん」待って、「行かないで」手に、シャツの感触が伝わる。「おまえな……」押し殺したような佐伯くんの声が聞こえる。目を開けて見上げると、怒ったような、ううん、100パーセント確実に怒った顔をした佐伯くんがわたしを見下ろしていた。次いで、頭に衝撃。

「痛っ!」
「寝ぼけてんな、この……」

佐伯くんは、佐伯くんのシャツの袖を握り込んだわたしの手を引き剥がすと、「馬鹿力」と吐き捨てるように言った。わたしと距離を取りながら、ネクタイに手を当てて、掴まれて乱れてしまった服を直す。と、思い直したように、ネクタイを締め直すのではなく緩めた。これは、アルバイトが終わったときによくしていた仕草だ。見つめていたら、「何だよ」と睨まれてしまった。「ううん」と頭を振る。ふと、辺りを見回して首を傾げてしまった。

「ここは……?」

佐伯くんは苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「……俺の部屋」
「えっ」

言われてみると、確かにそうだった。木製の嵌めこみ窓、窓際のガラス時計、ペパーミント色の掛け布団をのせたベッド、机…………何度かお邪魔させてもらったこともある、佐伯くんの部屋だ。でも、どうしてここにいるんだろう? 実際に口に出して言う。

「どうして?」
「どうしてって……おまえが倒れたから」
「倒れた?」
「覚えてないのかよ」
「う、うん…………」

起きぬけのせいか、少し頭が混乱している。久々にチョップを受けた頭がズキズキと痛い。夢と現実の境目が曖昧だ。わたしの記憶の中の佐伯くんは……。


――さよなら。


顔を上げる。訝しげにわたしを見つめる佐伯くんの不機嫌そうな顔が見えた。――佐伯くんだ。珊瑚礁の制服を着て、髪も整えた、佐伯くん。でも、そんなのおかしい。おかしいことなんだ。

だって、佐伯くんはここにいないはずなのに。

あの冬の日、海辺で“さよなら”を告げられた。わたしは遠ざかる佐伯くんの背中をボンヤリと見つめることしかできなかった。手を伸ばすことも、「待って」と言うことも出来なかった。はっきりと覚えている。佐伯くんは、あの日、わたしにお別れを言って遠くへ行ってしまった。

なのに、佐伯くんは今、目の前にいる。目の前にいて、目を眇めるようにしてわたしを見下ろしてる。まるで初めて会った時みたいな目だ。小動物どころか、まるで邪魔な障害物でも見るような目。

何か、とてもおかしなことが起きてる。夕方のことを思い出した。“空き家”の看板を貼られた家の前で、佐伯くんに今は何月かを訊ねた。もう一度、縋るような気持ちで目の前の佐伯くんに質問した。

「今って何月?」
「そこからかよ」

佐伯くんが肩を落とした。そうして、ため息と一緒に同じ答えを繰り返してくれた。

「5月。5月1日」

――やっぱり、おかしい。

まだ2月だったはずなのに、もう5月だなんて。それも、時計を先に進めたというより、むしろ……。
そんなバカな。そんなバカな話、ある訳無い。
あり得ない可能性を否定するように、頭を振った。

夢から覚めたはずなのに、まだ夢の中にいるみたいな気分だった。思い立って頬をつねってみたら、ちゃんと痛かった。いけない、涙が出そうだ……。佐伯くんが呆れ顔で「何やってんだ」と言った。それから、吹き出すように笑った。耐えかねて、という風に。

「おまえ、結構面白いな。今、すっごくヘンな顔してたぞ。顔つねったとき」

思い切りつねった頬が痛くて涙が滲んだはずなのに、別の意味で涙が出そうだった。――佐伯くん、だなあ……。うん、そうだ、佐伯くんはこういう人だった。こんな風に笑う人だった。そうだった……。

今の状況は全然、訳の分からないことだらけだった。2月だったはずなのに、もう、5月。閉店してしまったはずの珊瑚礁が開いてる。遠くへ行ってしまったはずの佐伯くんが目の前にいて笑い転げてる。……訳の分からないことばかりなのに、さよならと言って遠くへ行ってしまった懐かしい男の子が目の前にいることに、少し安堵して、少しだけ、涙が出た。



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2012.01.26
*続きます。

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