あなたとわたしがゲキテキな変化を遂げる 冬 #7


帰り道の途中でいきなり声をかけてきた妙な女(もう名前だって思い出せやしない)は、急にへたり込んだかと思うと、しゃがみ込んだ姿勢のまま支えを失ったみたいに倒れそうになった。

「――おい、おまえ……!?」

繰り返すけど、相手は妙な女だ。いきなり親しげに名前を呼んできたし、俺を見るなり、泣きそうにもなっていた。その上、珊瑚礁にまでついてきて、挙げ句、こうして家まで送ってやらなきゃいけない破目にまでなって。妙な女だ。誰にも秘密にしてるはずの俺の境遇まで知ってるみたいだし、やけに詳しい。本当に妙な、厄介な女だ。

けど、手を伸ばしていた。咄嗟に手を伸ばして、倒れそうになったのを支えていた。……それはまあ、そうだよな、と思う。いくら妙な女でも、倒れるのを見過ごす訳にはいかないだろ。倒れて怪我をしたり、打ちどころが悪かったりしたら、ことだし……。だから、そこには特別な理由なんかない、別に。

「………………」

妙な女は目を閉じている。気を失ったのか? でも、何でまたいきなり……と思う。妙な女と、“空き家物件”という看板つきの家を交互に見つめた。――どうしたらいいんだ、この場合。





結局、“空き家物件”に置き去りにする訳にもいかなくて、そのまま珊瑚礁に引き返した。ボンヤリ女は気を失っている。だから、仕方なしにおんぶして連れ帰ることになった。裏口から珊瑚礁に戻ってきた俺と背中で気を失ってるボンヤリを見て、じいちゃんは「おや」と声を上げた。

「どうしたんだ、一体」
「どうしたもこうしたも、こっちが聞きたいよ……」

ボンヤリを背負ったまま、事務所代わりにしてる奥の部屋へ入った。ため息まじりの俺の台詞にじいちゃんが訝しげに片眉を上げる。

「家まで送って行ったんだけど、こいつ、急に倒れちゃったんだ」
「倒れた……?」

じいちゃんが心配げに背中のボンヤリを見つめた。そうして少し目を見開くと、微笑ましげに目を細めた。今度はこっちが訝しげな目をする番だ。

「じいちゃん、何笑って……」
「何、心配ない」
「へ?」
「よく眠っているだけだ」
「眠っ……は?」

首だけ振り返って、背中におぶったボンヤリの顔を確認しようとしたけど、つむじが見えるくらいで、顔は見えなかった。けど、耳を澄ませてみたら微かな寝息が聞こえてきた。……ホントに、寝てるし……。

「こいつ……」
「起こすのも可哀想だ。このままここで少し休ませてあげたらどうだ?」
「はっ!? じいちゃん、何言って……!」

声を上げたら、じいちゃんは口元に人差し指を当てて“静かに”という仕草をして寄越した。

「お嬢さんが起きるだろう。それに、お客さんにも聞こえるぞ」
「………………」

目配せするみたいに、ドアの向こう、フロアを示されると、もう何も言えない。
ため息をついて、椅子に下ろそうとしたら、「椅子じゃ気の毒だろう」という呆れたような声が降ってきた。

「二階のおまえの部屋に……」
「何で!?」
「あそこしかベッドがないだろう」

じいちゃんは事もなげに言うけど、冗談じゃない。
……結局、二階に連れていったけど、ソファに寝かせた。小柄だから十分だろうと思ったけど、実際に寝かせてみると、やっぱり少し窮屈そうだ。

「…………」

なけなしの情けでタオルケットをかけてやった。……本当によく寝ている。よく眠れるよな、と思う。おんぶしている間だって、よくもまあグースカ寝てられたよな、と思う。何で気づかなかったんだ、俺……。
取りあえず、起きたらチョップか憎まれ口の一つか二つでも叩いてやらないと気が済まない。
けど、いまは早く下に戻らないと。ずっとじいちゃん一人に任せてしまった。

「――――!」

袖を引かれて、足を止めた。
振り返って見ると、ボンヤリ女が袖を掴んでいた。目を開けて、黒目がちな目でこっちを見上げていた。眉を下げて縋るような目をしている。

「…………離せよ」
「でも…………」

きゅ、と掴む袖に力がこもった。

「黙っていなくなっちゃったり、しない?」
「しないよ」

心細げな声で聞き返された。

「ほんとう?」
「ホントだよ。仕事に行くだけだ」

掴まれた袖に手をかける。

「だから、離せよ」
「うん…………」

手はすんなりと離れていった。
ボンヤリ女はそのまま目を閉じて、また寝息を立て始めた。……寝ぼけてたのか? これじゃあ、迷子の子どもを預かっているみたいだ。親とはぐれて、帰り道が分からなくて困り果ててる子どもの面倒を見てるような――。

「…………バカらし」

自分で自分の考えに頭を振って、立ちあがった。
いま目を覚まされるとまた送って行く、行かない、という話になって面倒だ。店が落ち着くまで寝ててくれるなら、その方が都合がいい。一階に下りて、フロアへ急いだ。





ラストオーダー間際、二階から下りてきたじいちゃんに訊いた。

「あいつは?」
「まだぐっすり眠っているよ。よほど疲れていたらしい」

――よほど疲れて、ね。

むしろ、よほど神経が丈夫、あるいは図太いんだと思う。ため息をつきながら言う。

「起きたら、今度こそちゃんと送って行くよ」
「ああ、そうしておあげなさい」

頷きながら、じいちゃんはエプロンを外して「じゃあ、悪いが先に上がらせてもらうよ」と言った。

「ああ、うん、お疲れ!」
「ああ、お疲れ様」

裏口のドアが閉まる。今日はかなりの時間をじいちゃん一人に任せてしまった。……負担をかけてしまった。こんなことじゃダメだと思う。じいちゃんがこの店を続けるのを支えるために、この場所にいるのに。
まだ高校生活は始まったばかりだというのに、こんなことじゃ先が思いやられる。二階へ続く階段を見上げて苦々しい気分になった。あれもこれも全部、二階で暢気に寝てる厄介事の種のせいだ。
フロアに残った最後のお客さんたちが帰ったら、起こしに行こうと思う。それはもう、問答無用で。



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2012.01.25

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