べつに、
*こちらのデイジー側からの返歌になります。
下校途中、海沿いの道を歩いている佐伯くんの後ろ姿を見かけた。一応、辺りを見回す。大丈夫、他の生徒たちの姿は見当たらない。駆けだしながら、声をかけた。
「佐伯くーん!」
――一緒に帰ろうよ、と誘うつもりだった。佐伯くんが、いつもの、少し怪訝そうな顔で振り返る。……と、思ったら、
「やあ、何かな?」
思い切り外向けの王子様スマイルを向けられて、思わず足がもつれて前のめりにつんのめってしまった。――とと、よろけた、けど、何とか、持ち直した。見かねた佐伯くんが駆け寄る気配がする。――何やってんだ、このボンヤリ。そんな台詞が頭上に降ってくるのを覚悟して、身をすくめた。……と、思ったら、
「平気? 大丈夫?」
思わず顔を上げると、今度は流石に王子様スマイルじゃなかった。けれど、心底心配げで真剣な表情だった。少しだけ眉間に皺が寄って、黒よりも明るい、少し茶色がかった瞳に切実そうな色が浮かんでいた。そういう真面目な表情をしていると、整った顔立ちが際立って見える……ううん、今はそんなことを考えている場合じゃなくて……。
一応、周りを見回してみる。……うん、やっぱりわたしたちの他には誰もいない。それじゃあ、これは一体何なんだろう。一体何のつもりで、佐伯くんはわたしの前で王子様っぽい態度なんか取っているんだろう。回り道は向いていないので、直球で訊ねてみた。
「佐伯くん、どうしたの?」
「どうしたって、何が?」
王子様スマイルじゃないし、むしろ怪訝そうだけど、それでも、“いつもの”佐伯くんの表情じゃなかった。まるで、学校でファンの女の子たちに向けているような表情に態度だった。まるで仮面ごしに接してるみたいで、違和感。
――こんなのって、おかしい。
実際に口に出して伝えた。
「何って……だって、おかしいよ。わたしたちしかいないのに、こんな態度なんて……」
考え考え、言葉にしていった。……こんな態度の佐伯くん、
「らしくない気がする」
言い終えて口を閉じると、わたしたちの間に沈黙が下りた。ガードレールの向こう側から、波の音が響いていた。佐伯くんが言いにくそうに口を開く。
「…………反省したんだ」
「…………え?」
「いつも、酷い態度取ってたから、反省したんだ」
「……………………」
「だから、優しく、したくて、その…………」
もごもごと言い淀んだ最後の台詞だけ、“いつもの”佐伯くんの顔が覗いていた。隠しきれていなかった。思わず笑い出してしまう。だって、だって、こんなの、おかしい。
「……な!? わ、笑うなよ!」
吹き出してしまったわたしを見て、佐伯くんは抗議の声を上げた。もう、余所行きの顔が取れてしまっている。いつもの佐伯くんだ。いつもの、素の、佐伯くんだ。
「ごめんね……でも、こんなの、おかしい」
あんまり、おかしくて、笑い過ぎて、目尻に涙まで浮かんだ。指先でそれを拭いとる。佐伯くんのムッとしたような顔が目の前にあった。心なしか、頬の高い部分がほんのりと赤い。……あらら、拗ねちゃった、かな?
「……笑うなよ。人が折角、優しくしようと思ったのに……」
「ごめんね。でも、いいのに」
「何が?」
「わたしに、そんな顔しなくたって、いいのに」
「………………」
「いつもの佐伯くんがいいよ。その方が、わたしは好きだよ」
「っ!? おま、す、好きって、何言って……!」
「そのままの佐伯くんが、好きだよ」
はっきり伝わるように、目を見て囁いた。佐伯くんは息を飲んで、何かを言いかけて、やっぱり口を閉じた。大きな手のひらで口元を、顔半分を覆ってしまう。視線を逸らして、海の方へ向けた。まるで、見てられない、とでもいうように。頬が、今度ははっきりと赤く染まっていた。そうして、苦々しげに吐き捨てるように囁いた。
「……………………バカ」
そういう顔は、多分おそらくわたしだけに見せてくれる彼の顔なのだと思う。みんなに見せる顔よりも、そういう素直な一面が、わたしはとても好きなのだけど、彼には分からないのかな。伝わってないのかな。伝わるように、いつも言葉だけじゃなく、いろいろな方法で伝えてるつもりだったのに、な。
「佐伯くん」
「……何だよ」
「もっと、こっち」
「は? 何……ちょ!」
腕を伸ばして、青筋が浮いてそうな佐伯くんのこめかみに手をあてた。抗議の声は上がったけど、引き寄せて、胸に佐伯くんの頭を抱きこんだ。180センチ近くある男の子の頭を抱きしめるには、相当背伸びをしなきゃいけないし、相手の男の子も前かがみにならざるを得ない。それに、普段から髪の毛を乱されることを嫌って、頭に触れるのを嫌がる彼のことだから、こんなことをしたら、凄く怒られるかもしれない。覚悟したけど、けれど、抱きしめずにいられなかった。
腕の中で彼が戸惑っているのが分かる。くぐもった声が胸に響く。
「お、おい……何、して……」
「…………別に、いいのに」
「?」
「優しくしてくれなくて、いいのに」
「…………あかり?」
腕の力をゆるめて、佐伯くんの顔を覗き込んだ。困惑した顔は、迷子の子どもみたいに見えた。あるいは、灯台の光を見失った若者にも見えた。安心させたくて、笑いかけた。
「ああいう、“王子様”っぽい態度されちゃうと、笑っちゃうから、わたしの前では、しなくていいよ」
「………………いい度胸してるな、おまえ」
「まあね」
「取りあえず、一発チョップしたいから腕、はずせ。俺を解放しろ」
「……そんなこと言われたら、離す訳に行かないなあ!」
「ヤメロ、マジでヤメロ! そろそろシャレにならないから! マジで!」
「チョップしない?」
「しないから!」
「分かった」
結局、チョップはされたけど、わたしも佐伯くんも笑っていた。佐伯くんは、王子様スマイルみたいな、外向けの、余所余所しい笑顔じゃなくて、素の笑顔だった。……うん、やっぱり、この方がずっといい。こういう風なのが、いいな。
――優しくしようと思った、って、佐伯くんは言った。
別に、いいのに。優しくしてくれようとしなくたって、いいのに。わたしの前では、無理なんかしないで、素のままのあなたでいてほしい。それがわたしの願っていることなんだよ。ね?
2011.12.27
*(別に、)いいんだよ。
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