ほんとはね、


廊下の向こう側からあかりが歩いて来るのが見えた。

俺と針谷に気がついて、途端、顔が輝く。跳びはねそうな勢いで右手を上げて手を振る。……思わず、小犬が小さな尻尾を振って飼い主に駆け寄る様を連想してしまう。

そこまでは、まあ敢えて何も言わない。問題は、あかりが荷物片手に手を振ってきたことだ。

あかりは日直か、それとも何かの係なのか、嵩張るプリントを両手に抱えていた。それを持ったまま俺たちを発見した瞬間、右手で手を振って寄越したあかりは案の定、抱えていたプリントを床の上に派手に広げた。

落ちた白い紙が無残にも廊下に散らばる。慌てるあかりを視界におさめたまま、ため息をついた。――何、やってんだ、あいつは……。

隣からも似たような呟きが聞こえた。

「何やってんだ、あいつ」

台詞に反して、あっけらかんとした調子で針谷は呟いた。それに対し返事をしないまま、一旦止まった足を動かして前に進んだ。

散らばったプリントを必死にかき集めているあかりに針谷が声をかける。廊下に針谷のよく通る声が響く。

「また、盛大にぶちまけたな」
「ハリー……」

困り目で針谷を見上げるあかりの前に立った。座り込んだあかりの顔に影が落ちる。困ったような顔をしているせいか、心細げな表情に見えた。込み上げそうになる感情を押さえ込んで、いつもみたいな態度を取る。

「……何やってんだ」

付け加えるように台詞を重ねる。いつもの台詞だ。

「この、ボンヤリ」

ぴくり、とあかりの肩が跳ねる。眉を八の字に下げて、困ったような顔で笑う。

「うん、落としちゃった」

いつもの反応があったことに内心安堵して、一緒に落ちたプリントを拾い集めてやった。あかりの小さな声が正面から聞こえてきた。

「……ごめんね、佐伯くん」

いつもの俺の台詞に、いつものあかりの反応。いつもの、俺たちのやり取りだ。

いつものやり取りだったのに、プリントを拾い集めたあかりの姿が廊下の向こう側に消えいく中、針谷が茶々を入れて寄越した。どうでも良いけど、あかりはちゃんと前を向いて歩いた方がいい。別に俺達に手なんか振らなくたって良いから。またプリントを落としたらどうするんだ。次また落としたら、人目があろうと何だろうとチョップをしないで済ます自信は無い。

小さくなっていくあかりの背中に視線を向けたまま、針谷は呟いた。

「もっと優しくしてやれよ」

片目を眇めて隣に立つ針谷を見た。

「何だよ、急に」
「あいつ泣きそうな顔してたぞ」

眉を下げて、困ったように笑う顔が浮かんだ。……いつもの笑顔だ。いつもの、あかりの。

「ウルサイ」

針谷の台詞を打ち消すように言っていた。

「大体、おまえだって優しい言葉なんかかけてやってないだろ」
「俺は良いんだよ」

いけしゃあしゃあと言う。

「問題はおまえだ。あんなんじゃあ、嫌われちまうぞ」
「……関係ないだろ」

言い捨てて、先に歩き出す。背中に針谷の無駄によく通る声がぶつかる。

「嫌われんなよ! 不機嫌坊ちゃん!」

流石に振り返って言い返した。

「何だよ、不機嫌坊ちゃんって!」

からかうような針谷の笑顔が異常に釈に触る。

……別に針谷の台詞を真に受けた訳じゃない。ただ、あかりの困ったような笑顔が何故か頭から消えなかった。だからだったと思う。だから……週末に約束してた森林公園前で、あかりが大幅に遅刻してきた時、いつもみたいに詰りそうになるのを、一瞬飲み込んだ。

「ご、ごめんね佐伯くん……」

息を切らせて、やっぱり眉を八の字に下げてあかりが駆け寄る。……走って来たんだと思う。髪だって、風に煽られたのか、ボサボサだ。

「佐伯くん……?」

手を伸ばして、やっぱり一瞬躊躇する。……こんなの、らしくない気がする。かといって、今更チョップして誤魔化す気にもなれなかった。

「髪、ボサボサになってる」

結局、そのまま腕を伸ばして乱れた髪を撫でてやった。されるがままに髪を撫でられていて、あかりは何だか呆気に取られたような顔で、ぽかんとしている。

「……何だよ、嫌なのかよ」

人が折角優しくしてやっているのに……そんな、いつもの憎まれ口を叩く前に凄い勢いであかりが「ううん!」と言った。

「……嫌じゃないよ、全然、嫌じゃない」

途切れ途切れに言って、眉を下げて笑った。いつもの笑顔に良く似ていたけど、それは初めて見る笑顔だった。公園の木々から木漏れ日が落ちて、あかりの顔に白い光がゆらゆらと揺れていた。眩しげなような……、何か嬉しいことがあって、くすぐったそうに笑っているような、そんなあかりの顔を眺めながら、数日前の針谷の台詞を思い出して苦い気分になった。――優しくしてやれよ? 分かってるよ、分かってたんだ、本当は。でも、分かっていたけど、どうしても、恥ずかしくて、出来なかったんだ。

それでももう、そんな言い訳をしている訳にもいかないんだろう。初めて見る種類のあかりの笑顔を目におさめながら、いつか、と考えていた。いつか、照れも抵抗も何も感じないまま、ただ純粋に、こんな笑顔を引き出せたら、いいのにって。




2011.12.24
*(ほんとはね、)君にやさしくしたいんだ。

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