会いにいくまぼろし #7
「……くん、………くん!」
「んん…………」
肩を叩かれてる。水面から急浮上するみたいに、意識が戻ってきた。いつの間に寝てたんだろう。
「……あかり? もう時間?」
「うん、そろそろ日付が変わっちゃうよ」
「日付?」
一体何の話だ、と目を開けた。で、辺りの暗さに驚く。ほとんど真っ暗。これじゃあ、夜じゃないか。さっきまで昼だったのに…………そんなことを考えながら、目が暗さに慣れるよりも先に腑に落ちた。寝起きの目に、目の前にいるスーツ姿のあかりと高校生の頃のあかりの姿が重なる。戻って来たんだ、と実感するより先に手を伸ばしていた。
「て、瑛くん……!?」
「…………あ〜、落ち着く」
「っな……急にどうしちゃったの?」
急に抱きついた俺にうろたえたのか、腕の中であかりがもがいた。抱きしめにくいったらない。
「ああもう、大人しくしろよ」
「で、でも……!」
「あのな、あかり」
「な、なに?」
「俺は、ずっとおまえ不足で苦しんでたんだよ」
「…………」
「だから、補充させて」
ぎゅ、と抱きしめたら今度は大人しくなった。
「……わたしだって」
と思ったら、そうでもなかった。
「何?」
「わたしだって……なのに」
「何? 何だって?」
「わ、わたしだって、会いたかった!」
驚いて、顔を上げて相手の顔を見つめた。声にもビックリしたけど、何より、言われた内容に驚いて。
そしたら、あかりは暗い部屋でも分かるくらい赤い顔をしていた。
「……え?」
あかりが俺の肩に手を置いて距離を取る。顔を背けるようにしながら、訥々と喋る。
「わたしも、ずっと瑛くんに会いたかったの! でも、忙しくて最近、全然会えなくて……今日こそは絶対会いたいって思ってたのに、午前中は面談があったし、午後からはゼミもあるし……瑛くんは夜までアルバイトだったし……しかも」
ひと際、小さな声で「喧嘩、しちゃったし……」と言った。そう、喧嘩したんだ。理由は下らない。子供じみた感情だ。午後のゼミが終わってからゼミの打ち上げあるって聞いて、俺が拗ねた。
「それで、おまえ、ゼミの打ち上げどうしたんだ?」
「行ってきたよ。一次会だけ」
「ふうん」
「一次会だけ出て、電車に乗ったら少し寝ちゃって、乗り過ごして……」
「乗り過ごして……」
「ちょっとだけだよ! ちょっと、地下鉄を一周……」
「それ、ちょっとじゃないだろ」
「うう……その通りです……」
「分かってるよ」
「?」
「疲れてたんだろ」
手を伸ばしてあかりの頭を撫でた。
「お疲れ。今日一日、忙しかったんだろ」
「瑛くん……」
あかりの目尻がじわりと滲む。泣き顔が見たかったんじゃない。軽く鼻を摘まんでやる。
「こら、泣くな」
「でも、瑛くんが急に優しいこと言うから……」
「反省したんだよ。これでも、色々」
「反省?」
「昨日は心にもないこと言った。ごめん」
19日の夜は会えそうにないからとあかりが『今から会いに行って良い?』って電話してきた。その前日も、連休だったせいもあって例によってバイトがあった俺は、あかりのその提案を却下した。もう夜も遅かったし、何より、次の日あかりは朝から用事があったから、あんまり夜遅くまで起きてたらダメだろうと。それで、話がこじれた。
『でも、そしたら、19日のうちにお祝い出来ないかもしれないよ?』
『仕方ないだろ。明日、おまえ、朝早いし。夜は夜で打ち上げあるんだろ』
『うーん、じゃあ、打ち上げ、早く抜け出してくるよ』
『いいよ、そんなことしなくたって』
『でも……』
『付き合い、大事だろ? 別に無理しなくてもいいから』
『無理じゃないよ! わたしはただ……』
『別に良いんだって。この年になって、今更誕生日おめでとうって話でもないし』
『…………』
『……あかり?』
『……瑛くんの分からず屋!』
『は!? 何でそうなるんだよ?』
『何でもかんでもないよ! そんなに意地張らなくたっていいじゃない!』
『……ああそう。良かったな。今夜はこんな分からず屋の意地っ張りに会わなくて済むんだから』
『…………そうだね!』
『せいぜい楽しんで来いよ、打ち上げ』
『そうします!』
あかりが眉を八の字に下げながら言う。
「わたしも酷いこと言ってごめんね、瑛くん」
「まあな、急にキレるからビックリした」
「わたしは会いたいなあ、お誕生日お祝いしたいなあって思ってるのに、瑛くんは涼しい顔で『会わなくていい』みたいなことばっかり言うから……何だか、悔しくなって」
「うん……」
訥々と言いにくそうに弁解するあかりが可愛くて仕方ない。もう一度、引き寄せて抱きしめた。
「俺も会いたかったんだ。本当は」
「瑛くん……」
「来てくれて嬉しいよ」
「うん……ね、瑛くん」
あかりが抱きしめられた格好のまま、胸に手を置いて少し距離を取る。少し微笑んで正面から覗きこむようにして言った。
「お誕生日、おめでとう」
「うん……」
妙なトリップをしている間も思ったこと。この笑顔を、こんなに見たかったんだって、もう一回自覚した。大切なものを抱きしめるように、そっと胸に抱きこんだ。
「て、瑛くん……」
「あかり……」
そのまま目を伏せてキスをしようとしたら、「あれ?」とあかりが声を上げて、顔を俯けた。まるでお預けでも食らった気分。
「何だよ?」
「缶コーヒー」
あかりが傍らに置かれてたらしい缶を摘まんで拾い上げた。……無糖タイプのブラック。ちょっと、待て。なんか見覚えが……。
「珍しいね。瑛くん、缶コーヒー、苦手なのに」
「まあな……」
つーか、人の誕生日プレゼントに缶コーヒーを渡してきた張本人の癖に。そんな文句が浮かぶ。ややこしい事情もあったので、口には出さなかったけれど。
「ま、たまにはな」
「ふうん……ね、これ、おいしい?」
「どうだろ。こだわりの品らしいから、うまいのかも」
「へえ、こだわりの品かあ……あれ? それって……」
「あかり」
注意深くあかりの手に自分の手を重ねて、缶コーヒーを脇に寄せる。「ん、何?」と無防備に顔を上げたあかりにキスをした。非難めいた目で見上げられる。
「……不意打ちは、ちょっと卑怯だと、思います」
「そんなの今更だろ」
もう一回しようとしたら、逃げられた。小癪な。
「なあ、あかり」
「な、なに?」
「最初に言っただろ」
「最初?」
「おまえ不足で苦しんだって」
手の中であかりの手が震えた。ぎゅ、と握り返して、もう一度言った。
「だから、補充させて」
少しの間の沈黙。視線を逸らしながらあかりがぼそぼそと呟いた。
「それは……“プレゼントはわたし”ってこと?」
少し考えて、「ま、そうだな」と頷いた。そのまま口づけようとしたら、やっぱりもがいて抵抗された。
「や、やだ……! 何か、雰囲気台無しだよ!」
「雰囲気なんか気にするな。大事なのは、あれだろ」
「あれ?」
「………………」
「………………」
「その…………愛ってやつ?」
言ってて、物凄く気恥かしくなって、頬が熱くなった。ダメだ。こういうのは、何か、ダメだ。向いてない。すかさず、あかりが吹き出した。この野郎……。
「笑うなよ!」
「だ、だって、何だか、おかしくって……瑛くん、顔真っ赤だよ!」
「ウルサイ! おら、大人しくしろ!」
「やーだー! そういう雰囲気じゃないよ〜」
腕の中であかりがけらけらと笑っている。……楽しそうで何よりですね。悶々とした気持ちを抱えたまま、でも、それでも構わないような気がしている。
こういうことは、急ぐことでもないのかもしれないし、それに、今は大切な存在が腕の中にいてくれるから、これでいいかなって。俺にとってあかりがどれだけ大切な存在だったかということ。それは妙なトリップで見たまぼろしが教えてくれたことだ。
もう一度、抱きしめる腕に、そっと力を込めた。もう、離さなくて済むように。
[title:にやりさま/2011.07.20-08.31]
*例によってそこはかとなくパラレルでSFちっくな2011年リアルタイム(詐称)瑛誕記念話でした。遅れに遅れましたけども……!
*長く引っ張ってしまいましたが、どうにもうこうにも夢見がちなふわふわとしたお話にやっぱりなってしまいました……こんなですが、瑛くん、おめでとーう!でした!
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