甘い舌


「赤い?」とわたし。
「いいや」と佐伯くん。





夜空が屋台の灯りで橙色に染まっている。花火大会が始まるまでの時間、佐伯くんとわたしは縁日を覗いてみることにした。多種多様、色とりどりの夜店が並んでいて目移りしてしまう。

「たこ焼き、フランクフルト、イカ焼き、わたあめ……」
「どれか一つに絞るよーに。浴衣着てんだから、そんなに食べられないだろ」

言われて、締めた帯に手を当てる。……確かに。いつもは余り体を締め付ける服を着ないから、ぎゅうぎゅうに締めた帯が少し窮屈。
でも、頑張って浴衣を着てきて良かったと思う。隣りを歩く佐伯くんも今日は浴衣姿だったので。打ち合わせした訳じゃないけど、おそろいなのが嬉しい。

「……何、ニヤニヤしてんだよ?」
「何でもない。……あ」
「何?」
「かき氷!」

日中の暑さは和らいだものの、人気があるせいか、縁日は熱気で満ちていた。涼しげな氷に目を引かれた。
さっき脈絡なく、つらつらとメニューを挙げたときは却下されたけど、佐伯くんもこれには頷いてくれた。「ああ、いいな」

「冷えてるねぇ」
「こぼすなよ?」
「うん」

手の中には赤いシロップに染まった氷のカップ。いちごミルク。佐伯くんはブルーハワイを頼んだ。氷が真っ青に染まっている。

「ミルク、すぐなくなっちゃいそう」
「混ぜながら食べたらいいだろ」
「でも、そうするとすぐ溶けちゃいそう」
「暑いからな」

……今度うちで作ってみようかな。練乳たっぷりの、わたし好みのかき氷。
そういえば珊瑚礁でも夏場はかき氷出さないのかな?
聞いてみようと顔を上げた。そうして、

「あっ」
「な、何だよ?」
「佐伯くん、舌、青いよ……!」
「は? ……ああ」

かき氷のせいだろ、と佐伯くんは言った。そっか、そうだよね、とわたしも頷く。

「……何だよ。人の顔、じろじろ見るな」
「もう少しよく見たい」

つま先立ちで背伸びをして、顔をよく覗き見ようとしたら「ヤメロ」と言われてしまった。ふと思いついて、舌先を出してみる。「……何、変な顔してんだ」と呆れた声が横合いから降ってきた。

「舌、赤く染まってないかなあと思って」

でも、幾ら舌先を伸ばしても流石に自分からは見えない。佐伯くんに聞いてみる。

「どう?」

すると佐伯くんは、『うっ』と言葉に詰まったように気まずそうに視線を逸らしてしまった。あれ?

「佐伯くん?」
「赤くなってない。まだ」
「そっか……残念」
「何で残念なんだよ……つーか、無防備すぎるだろ……」

佐伯くん? ぶつぶつと小声で何か言ってるけど、声が小さすぎるせいでよく聞こえなかった。聞き返そうかな、と思った時、わたしたちの横を小さな人影が通り過ぎて行った。小さな女の子。浴衣を着た。駆けるたびに赤い帯がゆらゆらと揺れて、まるで金魚の尾みたい。

「……かわいいなあ」呟いたら、「小さいからな。可愛い盛りだろ」と佐伯くんが言った。その言い方が何だかおかしくて小さく笑ってしまった。何だか、おじいちゃんみたいな言い方だ。佐伯くんが少し恥かしそうに「何だよ」と言う。「ううん、何でも」と返しておく。

「わたしもあんな頃があったんだなあ……」
「今もお子様だろ」
「もう!」

人ごみが移動する気配。もうそろそろ花火の時間なのかも。「行く?」と目で聞いてみる。「そうだな」と返事が返る。あ、そうだ、と行く前にもう一度。

「佐伯くん、佐伯くん」
「何?」
「ん」
「……何だよ?」
「どう? 舌、赤い?」
「……赤くない」

言ってから、こつん、と軽くチョップされた。「はしたないぞ」という注意つき。でも、気になるから仕方ないじゃないと思ってしまう。





「こっちは暗いね」
「花火が見やすいようにだろ」
「そっか……」

注意深く歩く。慣れない下駄がそろそろ痛いかも。

「はぐれるなよ?」と佐伯くんが言ってくれた。「うん」頷く。けど、人ごみが結構すごい。見かねたのか、佐伯くんが手を差し出してくれた。

「手、掴んどけ」
「う、うん……」

少し気恥ずかしいけど、はぐれないで済みそうで安心した、かも……。

花火会場の適当な場所に並んで立って、夜空を見上げる。まだ花火は上がらない。
繋いでいる手を見つめて、言う。

「佐伯くん、手、ありがとう」
「ああ、うん。どういたしまして」

手が離れて行く。はぐれないように、という名目だったから、仕方ないよね。

「自慢じゃないけど、わたし、よく迷子になる子供だったんだあ」
「ほんっと自慢にならないな」
「うん、そう。だから今も人ごみって苦手なんだけど、今日は佐伯くんがいてくれてよかった」
「…………」
「手を繋いでてくれたから、迷子にならないで済んだよ。ありがとう」

お礼を言って笑いかける。佐伯くんは照れくさいのか、「別に……」と言って口ごもってしまった。しばらくして、横から声が降ってきた。

「あのさ」
「ん、何?」
「もし、おまえが迷っても、俺……」

その瞬間、佐伯くんの顔越しに色鮮やかな光が散った。花火だ。音がうるさくて、佐伯くんの台詞が全部聞こえなかった。

「えっ、なあに?」
「…………いい。やっぱり」
「佐伯くん?」

心なしか肩を落としてガッカリしてるみたいだけど、佐伯くん、どうかしたのかな?

「花火、綺麗だね」
「そうだな」

本当に綺麗。少し音がうるさいけど。
ふと、思い出して、手元のすっかり溶けきって、赤い色のジュースになってしまったかき氷をストローで吸う。甘ったるい味がする。もう一度、隣りの佐伯くんに訊いてみる。

「佐伯くん」
「何?」
「赤い?」

べ、と舌先を出してみる。佐伯くんはムッとしたように押し黙って、わたしの顔を覗き込んだ。

「……暗いから、よく見えない」
「そう?」

顔を上げてみる。ひそやかな声で「もっと」と囁かれたから、もう少しだけ上へ。暗い空の下、佐伯くんの影が顔にかかった。頬に手が添えられていた。いつの間にか。

「……っ!?」
「おまえ、無防備すぎ」

ぼそり、そう言われてしまった。だからって、と思ってしまう。ふい、と顔を背けるようにして佐伯くんはもう空を見上げている。わたしはと言うとすぐには顔を上げられそうにない。手の中のシロップみたいに赤く染まっている。絶対。……一瞬だけ触れ合った唇の感触を思い出して、更に赤くなってしまった。まだ、もうしばらくのあいだ、顔も見られそうにない。




2011.08.02
*シロップ漬けの舌。
*夏祭りの季節ですね。

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