虹を望む


地面を打つ雨音に混じって、水を弾く音がもう一つ。

「佐伯くーん!」

振り返ると予想した通りの声の主がいて、傘をさして、やたらニコニコとしながら、こっちに駆けてくる。ちょっと待て……。

「バカ! 止まれ!」
「えっ? なあに?」
「走るな! 止まれ! 待て!」
「なあにー?」

酷いどしゃ降りのせいで声が聞こえないのか、あかりはそのまま駆けてくる。手振りで“ストップ!”と止めてるのに、それも理解しないんだな、あのカピバラは。それで、案の定、

――ばしゃり。

あかりが跳ねらかした水が思いっきり足元にかかった。

「…………」
「…………」
「……………」
「…………ご、ごめんね、佐伯くん」
「だから、止まれって何回も言っただろ……」
「走ってたら、聞こえなくて……」
「手振りで分かるだろ……」
「わ、分かんなかった……」
「海野さんには、人が必死にして見せたジェスチャーが目に入らなかったのかな?」
「ちゃんと見てたよ! でも佐伯くん、楽しそうだな〜ってしか……」
「……楽しいって何が?」
「……何かの儀式でもしてるのかなあって」

眉を八の字に下げて、困り目で見上げてくる。ふざけてる訳じゃなく、本気の目。それがまた余計に癪に障る。

「もしかして、チョップして欲しいのか?」
「う、ううん、して欲しくない…………!」

必死で頭を振るカピバラ。
ああもう、とため息をつく。

「古今東西、体の前に手のひらを出してたら“止まれ”って意味だろ」
「違うよ、“止まれ”のジェスチャーは、こうだよ!」

あかりは傘を持ってない左腕を上げて見せた。肘を直角に曲げて拳を握っている。子どもがゲンコツを掲げて見せたような仕草。そんなジェスチャー見たこともない。少なくとも、“止まれ”という意味では。

「……自転車の手信号とかか?」
「ううん、米軍の手信号」

――何者だ、おまえは。

「ちなみに自転車の手信号だと、こう、腕を横斜め下45度にね……」
「いい、やらなくていいから」

実際に示して見せようとするあかりを止める。

「それより、何か用か?」
「え?」
「必死に“止まれ”って言ってるのも聞かないで走ってきて、人のこと水浸しにしてまで、何か用があったのか? って聞いてんの」
「あっ」

噛んで含めるようにして言ってやると、ようやく見当がついたのか、ハッとした顔をするボンヤリ。まあ、いつものこと。

「あのね、一緒に帰ろうよ!」

満面の笑みで、そう言ってくるカピバラ、もとい、あかり。

「…………それが理由?」
「理由って?」
「だから、走ってきた」
「う、うん……」
「ああ、そう……」

そっか、一緒に帰りたくて走ってきたのか。ああそう、そっか……。

「……じゃあ、行くか」
「うん!」

嬉しいのと、くすぐったいのとで、顔がにやけてしまう。前を向いて、あかりから顔を逸らして、隣りを歩く。傘をさしていて良かった、にやけてだらしない顔を見られなくて済む。その分、あかりの顔も傘に隠れて見えなかったけど。





「ごめんね、佐伯くん」
「何が?」
「ズボン、水浸しにしちゃって」
「ああ……別に、今更だろ」
「今更って?」
「どしゃ降りで、どっち道もうずぶ濡れだよ」
「それはそうだけど……でも、ごめんね?」
「いいって」

強い雨が傘を叩いている。海沿いの坂道を雨水が流れて行く。とっくの昔に靴も制服のズボンも濡れていた。帰ったら、すぐ乾かさないといけない。あかりの足もとを見る。

「いいな、それ」
「え? なあに?」

雨脚が強くなってきている。そのせいか、声を張り上げないと互いの声が聞こえない。

「それ! 長くつ!」
「ああ、これ?」

あかりが足を少し上げて見せる。水玉模様の随分可愛らしい長くつ。あれならきっと、走ろうが跳ねようが濡れない。

「――――だよ!」
「は? なに?」
「――――っだよ!」
「なに? 聞こえない!」
「レインブーツ! だよ!」

痺れを切らしたようにあかりが体を近づけて、声を張り上げる。ぶつかって触れ合った、傘から滴が落ちる。

「レインブーツ?」
「そう、レインブーツ」

距離が近いせいか、さっきみたいに声を上げなくても、聞こえる。どこか怒ったように眉に力を入れてあかりが見上げている。

「…………長くつだろ」
「違うの!」
「どっちでもいいだろ、そんなの……」
「よくないよ……」

子供みたいに唇を尖らせている。変なところで頑固。……人のことは言えないけど。

「それより……」
「?」
「滴、かかってる」
「え? あ! ごめんね……!」
「いいよ、もう」

とっくにずぶ濡れだし。慌てたようにあかりが距離を取る。足元に落ちていた滴がなくなった代わりに、今度はまた声が聞こえにくくなる。

「なあ」
「何?」
「おまえ、日曜、暇?」
「えっ? なあに?」
「日曜! 暇?」
「聞こえない! なに?」
「………………もう、いい」

また別の日に言えばいいことだし。雨が降ってない日に。あるいは、電話とか。

「……佐伯くん」

注意深く近づきながら、あかりが傘越しに覗きこんでくる。

「何?」
「相合傘、する?」
「はっ?!」

――何言ってんの、こいつ!?

「だって、声聞こえないみたいだし……」
「だ、だからって、そんなバカップルみたいな真似、出来る訳ないだろ……!」

それに大体、

「誰に見られてるか、分かんないだろ……」
「……見られてなかったら、いいの?」
「………………」
「佐伯くん?」
「そういうことをさ、聞くなよな……」
「えっ?」

消え入りそうな声で呟いた憎まれ口はあかりの耳には届かなかったらしい。――言える訳ないだろ。だって、恥かしいし。見られてなかったら、そういうのも悪くない、とか。

「とにかく! 相合傘はダメ! ゼッタイ!」
「――――、」

あかりが息をつくような声で何か言った。小さな声だったのと、雨の音に邪魔されて、何を言ったのか聞こえなかった。

「何? 何か言ったか?」
「何でもない! 早く帰ろう!」

ばしゃばしゃと音を立てて、先に歩き出すあかり。……何なんだ、一体。

「待てよ!」

声を上げて、やけに飾り気のない青い傘の後を追いかけた。距離が離れたのと、傘に邪魔されて、顔が見えない。身長差があるせいで、上から眺め下ろすと、傘の青い布しか見えなかった。あと、足元の水玉の“レインブーツ”。
何だか、堪らない気分になる。

分かってる、こんなどしゃ降りの中でさえ、人目を気にするのはバカみたいなことだって。でも、気になるものは気になるし、そもそも、気恥かしくて。

バカなことを気にしてるついでに、バカみたいなことを思ってしまう。
今、この瞬間だけ。
人目も気にならない、誰も知らない場所に二人でいたい、とか。
そしたら、気兼ねなくバカみたいな真似だって出来るかもしれない。例えば、隣りを歩くむくれっ面のカピバラを自分の傘に入れて、一緒に帰る、とか。

雨と傘に遮られた距離が酷くもどかしくて、うらめしい。
早いこと、こんな雨も止んで、晴れないかな。そしたら、距離も戻るし、あかりもまた笑ってくれるんじゃないかって。そんな、埒も明かないことを考えていた。



虹を望む



[8000hit thanks / 2011.06.27]
*リクエスト頂いた内容は【いっしょに帰る瑛主】でした。
*さき子さんへ捧げます。完成まで時間がかかってしまって、ごめんなさい。
*最後、ちょっとケンカ別れ気味でごめんなさい……^^; きっとこの後、珊瑚礁に着いてコーヒー飲んで仲直りする二人です。

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