いっしょに寝ようよ
どういう訳か、今、俺の目の前には、目を閉じたあかりが横たわっていて、ついでに言うと俺も一緒に横たわっている。同じベッドの上で。ちなみに場所は、俺の部屋の俺のベッド上。部屋に2人きりで。あかりは目を閉じて寝息を立てている。もう何度も思ったこととはいえ、やっぱり思ってしまう。――何だ、この状況。
状況こそ、綺麗にお膳立てされたものにしか見えないものの、この場には少しも浮ついた要素は入り込む余地はない。いや、弁解じゃなくて。ただもう、本当に純粋に、二人して横になって寝転がっているだけ。眠る前の(そう、眠っているんだ、このボンヤリは!)あかりの台詞を思い出す。
――少し目を閉じるだけでも、疲れは取れるものなんだよ。
そんな風に言った。そう言われて大人しく従っている自分にむしろため息をつきたくなる。何でこうなったかな。少し動いたら触れてしまいそう。
「ダメだよな……そんなこと」
実際に声に出してみる。口の中が苦い。何も、直前に飲んだコーヒーの味だけのせいという訳じゃあるまい。そういえばコーヒーを飲んだのに、すぐに眠れるボンヤリにもう一度感心、やっぱ、すごいよ、おまえ……と内心で称賛。そんなことしたって、心は晴れない。だって、折角の休みの日なのに。こんな風に部屋で二人きりで至近距離で寝顔を見つめて、我慢大会なんて笑えない。いや、おいしい状況だと言うのは分かる。分かりすぎるくらい、分かるから、笑えない。
いや、気遣ってくれてるのは、分かるんだ。分かるから、始末に負えないよな。最近あまり眠れていなかったのは事実。疲れてたのも、本当。そんなに疲れた顔してたのかな……。勇気を振り絞って誘った部屋デート。来て早々、あかりは、「瑛くん、ちょっとお昼寝しよっか」と提案。そこに何一つ他の含みがないことは、こいつの性質上、分かるけど……。
「ひ、昼寝?」
「うん、ちょっとだけ横になるの」
「よ、横にって、おまえ…………どこに?」
「え? ベッドにだよ」
「いや、ベッドって、おまえ……」
そこで、何のためらいもなく人のベッドに上がる天然女。遠慮がないにもほどがある。いや、遠慮がない関係を歓迎したのは、俺だけど……。
そうして先にベッドに上がって、半身を横たえて隣りを叩く天然カピバラ……。
「ほら! 瑛くんもご一緒に!」
――いや、ご一緒にって……。
つーか、いいのか? この状況? 部屋で二人きりで? 好きな子とベッドで昼寝? 願ってもないシチュエーションだというのに、尻込みしてしまうのは、心の準備が全然出来ていないせいだ。
「いや、これは、マズイだろ……」
「何が?」
「何がって……だから、ほら……あるだろ、色々問題が…………」
「変な瑛くん」
「なっ……変なのは、おまえだろ!」
「いいから、早く横になるの!」
「わっ、引っ張んなって! う、わっ」
腕を引っ張られてなし崩し的に隣りに座ってしまった。あかりが横になって、上目づかいに見上げてくる。
「……ほら、瑛くんも横になって?」
全身の関節が軋むくらい緊張する。ダメだろ、ダメだって、こんなの…………なのに、結局言われるまま隣りで横になった俺は大概意志が弱い。
「……確認するけど、さ」
横たわって、同じ目線で見つめ返してくる、あかりの無垢な瞳。
「うん?」
「昼寝なんだよな、これ」
「そう、お昼寝だよ」
「うん、そうだよな、うん」
「少し目を閉じるだけでも、疲れは取れるものなんだよ」
顔の下に手を置いて、「だからほら、目を閉じてみて?」とあかりは言う。自分で言った言葉の通り、目を閉じて少しもしないで、寝息を立て始める……。ホントは自分が昼寝したかっただけなんじゃないかと勘繰りたくなる寝つきのよさ。……くそ。このお子様め。
「こんな状況で眠れる訳ないだろ……」
それでも、取りあえず、瞼だけは閉じた。目の前で無防備に寝こけるボンヤリの寝顔が余りにも目の毒だったので。
そうして、目を閉じてから。
結局これまでの寝不足と疲れが祟ったのか、あっさりと意識が遠のいた。目の前で眠るあかりの存在を感じながら。
○
気がつくと、夕焼けの浜辺。
眠った自覚はあるから、ああ、これは夢だな……と思った。夕焼けの色とか、響く海鳴りがやけにリアルだと思いながらも。
浜辺を歩いていると、小っぽけな人影を遠くに見つけた。……多分、女の子。薄い色のワンピースが夕日色に染まっている。顔は……手のひらで覆って俯いているから、見えない。近づいて、声をかける。
『どうして泣いてるの?』
言って、自分の声が幼い事に驚く。目の前の女の子も、声に驚いた様に顔を上げる。涙でキラキラと光る頬。そこには紛れもなく、知っている顔の面影があって……。
――これが誰か、俺はもう知っている。
そうだ。これは昔の記憶だ。子どもの頃の記憶の再現。
思い出を踏襲するように、目の前の出来事が進んでいく。当たり前だ、これは夢なんだから。何だか、急に傍観者になった気分。
女の子が「また会えるよね?」と、まだ涙の名残が残る顔で訊ねてくる。そろそろお別れの時間なんだ。――うん、約束したからね、とガキの俺は応える。「必ず見つけるよ」「ほんとう?」と女の子。「うん、必ずだよ」女の子が悲しそうな顔で微笑む。まるで、海に帰っていく直前の人魚のような笑い方。
「迎えに来てね。必ず見つけてね、わたしのこと。約束だよ?」
そういえば、そんなことを言っていた女の子。
「……くん、瑛くん、起きて、ねえ」
「………………ん」
体を揺さぶられて、名前を呼ばれて、瞼を持ち上げる。
視界がぼやけている。目の前の輪郭が小さな女の子と重なる。
「あっ、瑛くん、起きた? 良かった。あのね、少しだけのつもりだけだったんだけど、結構寝ちゃってたみたいで……」
「うん……良かった」
――良かった、また会えて。
「瑛くん?」
「会いたかったよ」
何で、忘れていられたのかな。大切な約束だったのに。必ず見つけるって、そう約束したのに。
でも、また会えて良かった。
目の前の存在が愛おしくて、抱きしめたら悲鳴が上がった。次いで、衝撃。突き飛ばされた。思い切り。
「痛゛っ!」
壁に頭を思い切りぶつけた。目の前で星がちかちかと瞬く。
「なななな何するの、瑛くん!?」
「こっちの台詞だよ、この怪力女……」
後頭部をさする。こぶは……多分、出来てない。多分。
「瑛くんが変なことするから……! 急に、抱きついたりなんか、して……」
ぼやけていた視界のピントがようやく、合ってきた。目の前には、顔を真っ赤にしてわめいているあかり。抱きついたくらいで、そんなに慌てるなら、こんなことしなきゃいいだろ、と思う。いや、もちろん、弁解にはならないってのは、分かるけどさ。
「悪い、寝ぼけた」
「うん、そうだよね、寝ぼけたんだよね、うん」
まるで自分に言い聞かせるように言うあかり。動揺してるのかな。
「でっかいカピバラのヌイグルミに見えた。それで、こう、思わず」
「何それ!」
頬を膨らませる顔がおかしくて、思わず笑ってしまう。あかりは憤慨したような顔をしてたけど、しばらくしたら釣られたように笑った。
「ね、瑛くん」
「なに?」
「疲れ、取れた?」
「…………うん、まあ、ちょっとは」
――良い夢も見られたし。
「そっか、良かった!」
さも嬉しそうに、満面の笑顔で頷くあかり。そうだな、と頷きを返す。
「うん、良かったよ」
また会えて。こうして、一緒にいて笑っていてくれて。本当に良かったって、思っているよ。……まあ、言わないけど。言えないけど。だって、恥かしすぎて。それでも、いつか、言える日が来たら良いな、とは思う。……いつか、という話。
2011.06.05
*陸上部デイジーが若ちゃん直伝ストレス半減マジックを佐伯くんに伝授するの巻!
[back]
[works]