童話にはできないから #5


舞台袖の薄暗がりの中。舞台準備の間中まるでコマネズミのようにあくせく働いていた茶色い頭も、今は落ち着きを取り戻して大人しい。
緞帳から舞台の明かりが射している。舞台裏にも王子の声が聞こえてくる。「あなたの瞳は夜の海のようです。引きこまれてしまいそうだ」そうして続く台詞――私と踊っていただけませんか? 人魚姫は悲しげに首を振る。言葉もなく。当たり前だ、人魚姫は声を出せないんだから。
何も気づかない王子と声を出せない人魚姫の踊りが始まる。月明かりを模した明かりの下、ハリボデでこしらえられた船上のワルツ。何もかもニセモノめいているのに、舞台は例のおとぎ話を想起させて、胸に痛い。むかしむかしの話。人魚と若者の、悲しい恋のお話。

「あ、瑛くん! 今、ちょうどダンスが始まるところだよ」

隣りに立った俺に気づいて、小声で声をかけてくる。生返事で答える。「……ああ」目は舞台に吸い寄せられて離すことが出来ない。

「なあ……人魚の話ってさ」
「え?」
「なんで悲しい話ばっかりなんだろうな。ひとりくらい、幸せな人魚がいてもいいのにな」

これは本当に。本当に、そう思う。
海の泡になって消えてしまった、海の王の末娘。かわいそうな人魚姫の話。
愛し合っていたのに、離れ離れになるしかなかった人魚と若者の話。
どの人魚も決して幸せになれないのは、どうしてなんだろう?
悲しいお話の結末を、どうしたら変えられるんだろう。

そうして瞼の裏に浮かぶのは、あの日の光景だ。夕暮の海。声も無く泣いていた女の子、おとぎ話で聞いていた人魚を見つけたのかと思った。人魚と若者の悲しいお話を聞いて、かわいそうだと言ってまた泣きそうな顔をしていた。泣いて欲しくなくて、約束をした。お話の二人が交わした約束と同じ方法で。

『――この海で、また逢えるように』

不安げに見上げてくるあかりの顔と、夕焼けの中、心細げにしていたあの面影が重なる。もしも――、

「もし、おまえがあの時の人魚で……」

もし、そうだったら、俺は……

「あの時の人魚?」
「え?」

あかりはきょとんとした顔をしている。ハッと我に返る。――な、何を言おうとしてんだ、俺! 今日二度目の突っ込みで、今度こそ正気に返った。

「あ、いや……もしおまえが人魚姫なら、世の中、静かで助かるな」

誤魔化すように言うと、納得しかねるような視線が頬に突き刺さってくる。いいんだ、これで…………要らん事を口走って墓穴を掘りたくはない。

舞台の上ではまだ二人のワルツが続いている。

「ね、瑛くん」
「……なんだよ」

舞台上の二人に視線を向けたまま、あかりが口を開いた。随分穏やかな声だった。もしかしたら微笑んですらいるのかもしれない。まだどこか気恥かしくて、隣りの顔を覗き見ることは出来なかったけれど。

「人魚姫のお話ってさ」
「……うん」
「すごく悲しいお話だけど、きっと、それだけじゃないんだよ」

そう言った。
思わず横にいるあかりの顔を見たら、やっぱり微笑んでいた。凪いだ海みたいに、言葉よりも雄弁に心を語る、人魚みたいな目で。

「ね、悲しいだけのお話じゃないんだよ」

相変わらず微笑んだまま、そう続ける。その言葉の真意が図れなくて、気づいたら問い返していた。

「それ、どういう…………」

けれど答えを聞く前に辺りが騒がしくなった。舞台上のワルツが終わったらしい。役者交代と舞台道具の入れ替え。裏方の出番だ。すっかり通常モードに切り替わっているあかりに発破をかけられる。

「行こう、瑛くん」
「……ああ」

分かってる。取りあえず、疑問はまた後で。舞台道具を手に茶色い頭の後を追った。



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