街灯がうすぼんやりと夜の闇を照らす、住宅街の道。少し強くなった雨の中、一人用の傘の下に俺と神崎がいる。自分の傘を電車に忘れて、尚且つ夜も遅くてビニール傘を売っているような売店も閉まっているとなればこうする他ないだろう。心底不服そうな顔をして固まっていた神崎に“傘に入れてください”と頼み込ませるのは楽しかったから俺としちゃあ役得だが、あいつにしてみればとんだ災難ってとこだろう。

真横で歩く神崎を横目でちらりと見るけれど、横顔にかかった髪で顔は良く見えなかった。だが、近距離にいる所為か、俺より頭一つ分ちいせぇ身長だとか、指は細くて女らしいだとか、ひとつに結ばれた髪からちらりと覗く首筋だとか…。いつもと違って大人しく傍にいる神崎を、改めてまじまじと眺めてみれば普段は目がいかないようなものに気がつかされて思わず慌てて視線を逸らせた。Ah〜くそっ、こんなことで動揺するなんてらしくねぇ…。


「あ!」


急に、ピタリと神崎の足が止まった。どうしたんだと思い、また横目で様子を見る。神崎は俺の傘の下から勢い良く駆け出すと、数メートル先の電柱の下に置いてあるボロボロのダンボールの傍へとしゃがみこんだ。自分が雨に当たっているのも気にならないようで、慌ててバックの中からハンドタオルを出すと、ダンボールから黒い小さな塊を大事そうに抱えあげた。


「なにしてんだ」


傍に歩み寄って神崎に当たる雨を遮るように頭上に傘を傾けると、俺の存在を思い出したかのようにハッとこっちを見上げた。ハンドタオルに包まれてミーミーと声をあげているのはびしょ濡れになった黒猫だった。掌に乗れるほど小さいところを見ると、まだ赤ん坊なのだろう。


「捨て猫です。まだ、小さい」

「だからなんだ…拾って飼うのか?」

「私は…狭いマンションですし、ペット禁止なので…」

「飼えないんなら、元に戻して来い」

「ここでこのまま雨にうたれていたら死んじゃいます!」


まっすぐ俺の目を見て強い口調でそういってくる。つまりは俺にこの猫を拾えと言いたいんだろうが、あいにく俺は忙しいんだ猫を飼う時間はない。


「俺は拾わないぜ」

「じゃあ…いいです、佐助さんにお願いして彼に拾ってもらいますから」


神崎は今にも“人でなし!”と言い出しそうな冷めた目で俺の顔を眺めた後、小さくそう呟いた。shit!なんでそこで佐助が出てくんだよ。気にいらねぇ…そういえば前にも、その佐助って奴がらみで誘いを断られた覚えがある。

再びしゃがみこんだ神崎は包んでいたハンドタオルごと猫をダンボールに戻すと、着ていた暖かそうなコートを脱いで猫の屋根にするようにそれをダンボールにかぶせた。


「ごめんね、佐助さんに許可もらえたら今日中にでも迎えに来るからね」


子猫に向かって誓うようにそう語りかけると、みゃおんと鳴いてみせる子猫の頭をそっと撫でる神崎。ったく、頑固にも程がある。このままだと、今すぐにでも佐助って野郎に電話しかねない。ならいっそのこと俺が飼った方がましだ。小十郎にでも世話を頼めばいいだろ。

密かに心中でそう決めて、仕方がないから俺が拾う、と神崎に声を掛けようとした。が、それを遮るように車の走行音が響き、細いこの道路をライトが照らした。

猫のダンボールの傍で佇んでいた俺たちのすぐ背後でその車は止まり、運転席から降りてきたスーツの男が大きな傘を広げると後部座席をあける。こっちに向かって光るライトの所為で、後部座席から降りてきたのが誰であるのかは、わからない。神崎も、何事かと立ち上がって車のほうへと向き直った。


「政宗さんっ!こんなところにいらしたのね!」


聞こえてきたのは、頭に響く高っけぇ声。最近の頭痛の種ともいえるその人物に眉間には皺が寄り、思わず溜息が漏れた。


「携帯電話には出てくださらないし、秘書の方に連絡しても、政宗さんの居場所はわからないとおっしゃるんですもの…心配いたしましたわ。我が家の執事から会社の警備員まで、それはそれは大勢に探させましたの。電車に乗って移動なさってるとの情報を耳にしたときは驚いたものですが、こうしてお会いできてよかったわ」


お会いできてよかったとは随分すっとぼけた言い様だな、聞いて呆れる。どうせ見つかるまで延々と探させるよう指示したくせに、まるで偶然出会ったかのような態度は、いっそたいしたもんだと感心する。

一通り自分のいきさつを饒舌に語り終えた女は、俺の傍にいた神崎にちらりと視線を移すと、大げさにリアクションしてみせた。

「あら!確か…取引先の会社の平社員さん?なんでこんな時間にこんな方といらっしゃるの政宗さん」

「アンタには関係ねぇだろ」

「ふふふ、将来を誓い合った仲なのに随分と冷たいのね。取引先の方の前だからって、遠慮なさってるの?」

「んなこたねぇよ……、で?何の用だ」

「ねえ政宗さん、今からカジノへ行きましょう?そのためにお迎えにあがったのよ」

「残念だが、俺はコイツを家まで送る用があって忙しいんでな。遠慮しないで一人で行ってきていいぜ、お嬢さん」


ねだる様に小首を傾げて誘ってくる女に、皮肉を込めた微笑みを添えて言い返してやる。それを聞いた女は、飛び切りの笑顔を少し歪ませると、俺と神崎の様子を伺うように交互に見比べる。そうして何かを思いついたのか、女は再びにっこりと笑みを作ってみせた。


「まあ、そういうことだったの!貴女、傘がないのね?可哀想に。傘なら差し上げますわ、それから…」


神崎のもとへ駆け寄った女は、丁寧な物言いだが棘のある口調で言いたいことを捲くし立てたかと思うと、急に神崎の耳元へと唇を寄せて何かを囁き、再びにこりと笑ってから俺の腕へと擦り寄ってきた。


「あなたたち、この方をご自宅まで送ってさしあげて」


女がぱちんと指ならすと執事がふたり車から降りてくる。突然のこの状況に呆気にとられていたのか、今までぼーっとして立ち尽くしていた神崎は、ハッと我に返ってようやく口をひらいた。


「あ、の…結構です。もう自宅は近いので一人で帰れますし、傘もいりません。では、失礼します」


俺と俺の腕にひっついてる女から、神崎は2,3歩後ずさりして少し距離をとる。そうして、ぺこりと頭を下げると、闇の中へ早足で歩き出した。暫くそのうしろ姿と、街灯の下にいる猫のダンボールにかけられたコートを、交互に眺める俺は暫く動けずにいる。


「あらまあ、あれじゃ彼女、ずぶ濡れね」


同情するように小さく呟いた女の声色は、くすりと笑っているかのようにも聞こえた。なるほど、こいつの所為か。


「随分いい性格してんだな、アンタ」


俺は吐き捨てるようにそれだけ言うと、女の腕を振りほどいて神崎が消えた闇へと走り出した。




月明かりがない夜に
(追いかけるのは何故なのか、そんなこと考える余裕もなかった)





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