夜も更けた車内は凄く静かで、長椅子に備え付けられた足もとの暖房の暖かさに眠気を誘われる。満員電車はごめん被りたいが、こんな環境ならばたまには電車もいいかもしれねぇな。車内を見渡すと、ぽつぽつと空いている席が目につく。長椅子のちょうど真ん中辺りに座った自分たちの向かい側の右端には、首を曲げて眠っている中年サラリーマン。向かいの窓にまるで鏡のように映る自分の姿をぼんやりと眺めた。

隣に座っている神崎奈々が、こっくりこっくり派手に船をこいで居るのが鏡越しにみえる。ついさっきまで隣でそわそわと挙動不審気味な動きをしていた筈が、やけに大人しいと思えば、そういうわけか。ほんとに、くるくると変わる表情やしぐさは見ていて飽きない。

しばらく揺ら揺らとさまよって、最終的に首を痛めそうなほどの角度で落ち着いた神崎の頭。それを見た俺の腕は、ごく自然な動作でその頭を自分の肩へと引き寄せた。

きっと起きたら大騒ぎだろうなと考えたら、くすりと小さく笑いが込み上げる。自分でも笑っちまうほどらしくねぇ。俺の肩に頭を預けてすやすやと眠る女と、それを嫌がるどころか望んで引き受ける自分の姿が窓越しに見えて、なんともおかしかった。こんなこと、今までの俺じゃありえない光景だ。

がたん、ごとん。電車の穏やかな揺れに合わせるように、隣からは気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。そういえば、乗ってから随分とたつが、降りる駅を聞いていない。これは起こして聞きだすべきかと思い始めたちょうどそのとき、足元にひんやりとした空気が舞い込んできた。出入り口のドアに目をやると、停車駅に到着したところだった。到着した駅名を知らせるアナウンスが、車内とホームに響いている。乗り過ごしたら面倒だ。何処で降りるのか揺り起こして聞き出そうと、隣の神崎のほうを振り返ったその瞬間。


「えっ、嘘…っ!」

「!!」


寝ていたはずの神崎が急にガバっと勢い良く顔を上げた。当然ながらその頭は、彼女のほうに振り返ろうとしていた俺の顎にclean hitだ。こいつといると、こんなのばっかりだな全く。危うく舌噛む寸前だ…っ痛ぇ。

半分寝ぼけていた神崎は、今の頭突きで意識がはっきりしたらしく、きょろきょろと周りを見回すと、現在停車している駅の表札を確認するや否や顔を引きつらせた。


「お、お、降りなきゃっ!!!」

「は?ちょ、まて、おい!」


神崎は慌てて立ち上がると、発車ベルの鳴り響く中、ものすごい勢いで電車から飛び降りた。俺もそれを追うように走って電車を降りる。発車ベルが鳴り終わるのと同時に「発車します。駆け込み乗車は大変危険ですのでおやめください」というアナウンスがホームに流れ、ドアが閉まる。だが残念ながら俺たちのは駆け込み降車だ。


「ま、間に合った…」

「間に合った、じゃねぇよ!おまえな、寝るんなら降りる駅ぐらい教えとけ」

「すみません。…あの、ぶつかったところ大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃねぇよ」


申し訳なさそうに俺を見上げておずおずと尋ねる神崎に、そう即答してやれば「ですよねぇ…」なんていいながら視線を彷徨わせ乾いた笑いをこぼしている。


「ま、アンタの家で美味い茶の一杯も飲めば治るだろ」

「えっ」

「何か文句でもあんのか?」

「いいえ、ありません…」


半強制的に家まで送る約束をこじつける。そんな会話をしながらホームを出て改札を通過し、いよいよ神崎の家へ向かって歩き出そうかとしたその時だった。どうしたことか、神崎は駅の屋根のしたから一行に出ようとしない。不思議がって俺が視線を送れば、引きつった笑顔で視線を大げさに逸らせた。


「なんだ、またなんかやらかしたのか?」

「あのですね…どうやら傘を、電車に忘れてきたみたいです」

「おまえなぁ…どこまで阿呆なんだよ」

「しょうがないじゃないですか、慌てて降りたから…」

「で?どうすんだ?」

「………」

「どうしてもってんなら、入れてやらないこともないぜ?」


ニヤリといつものように嫌味に笑って提案してやれば、神崎は少しばかり眉間を寄せて俺を見返した。口は僅かだがへの字に曲がってる。プライドと闘ってる、ってとこか?思わず上がる口角を隠しもせずに、そんな神崎の様子を眺めた。



やましい善意
(素直にいれてやってもいいと思う反面、この顔が見たくてわざとやってる)






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