なんで、私はこんな状況に居るのだろう。

伊達コーポとの打ち合わせを終えてきた二年上の先輩に頼むからお茶を出しに行ってくれと懇願されて、結局断れずにあの馬鹿社長のところへ行けば、嫌がらせのようにお茶をこぼされ…。あんまり腹が立ったからどさくさに紛れて長ったらしい足を軽く蹴り飛ばしてやれば、なぜか知らんが食事に誘われた。

蹴りいれられたその直後に、その蹴ってきた張本人を食事に誘うだなんてどうかしている。まさかマゾなのかと思い咄嗟に聞けば、本人は否定していたものの…大体そういうのは自覚のないものだ。どうもあの社長とは合わないとは思っていたが、そんな特殊な性癖があったのだ無理もない。あんなことされたら、普通は腹を立ててもおかしくないのに…。


だがしかし、今の問題は伊達社長がマゾなのかどうかではない。私はどうして此処に居るのか、だ。

人生二度目の超高級ホテル。その最上階にあるバーラウンジは、私とは無縁の、それはそれはきらびやかな世界だった。もちろん以前の高級レストランだって私の知らない世界だったが、ここはまた全く別世界。独特の雰囲気に飲まれそうなほど、その空間は高級感に溢れていた。艶のある明らかにお高そうな素材で出来たテーブルや床。座り心地のよい丸みを帯びた背もたれのふかふかした椅子。天井近くまである大きな窓ガラスの外には、都会の美しい夜景が広がっている。会社から見るそれとは違って見えるのは、やはり周りの雰囲気の所為だろうか。

そして何より、私の目の前には私の天敵と言っても過言ではないあの伊達コーポの社長がいるのだ。何故だ、なんで私はここにいる?数十分前の自分に問いただしてやりたい。

いくら今月の私の財布に北風が吹いていようが、この先何日も白米と梅干と昆布で生きていかなくてはならない現状があろうが、この男についてくるという選択をするのはいただけないだろう。しかし、なにがどうしたのか私はここにいる。

私の中の理性は本能という名の悪魔に容易く蹴散らされてしまったのだ。

そもそも数日前、私からしたら随分と高級なお値段のスカートやらジャケットやらブーツやらを購入してしまったのがいけなかった。予想外の出費、それくらいのことで新入社員の安月給は生活に影響するのだ。柄にもなく洒落っ気なんぞ出した私が馬鹿だった。人間はやっぱりお洒落より食が大事なのだと思い知らされる。次の給料日までのまともな食生活が約束されていれば、私がここにいることなど無かったハズだ。


タダ飯に目がくらんだなんて、久々においしいものが食べたかっただなんて、そんな言い訳はこの男の前では通用しないのだ。腹立たしいことに彼の中には、「のこのこついてきた貧乏女」という事実だけが残るに違いない。

上品な立ち振る舞いのウエイターに差し出されて目を通したドリンクメニューは、私が普段注文するものとはゼロの数がひとつ違うんだから困ってしまう。


「何でもいいから早く決めろ。できるだけ安いもん頼もうだなんて貧乏くせえこと考えてねぇで、好きなもん頼めよ」


いつものごとく私を小馬鹿にすると、にやりと口角をあげてみせる伊達社長。欲望に理性が負けたあの瞬間を、私は全力で否定したい。ほんとうに、こんなことならば梅干と昆布で我慢したほうがマシだった。うんうん唸ってやっとのことで注文を決めて、それを聞いたウエイターがテーブルから下がったところで、私はようやく息をついた。


「腹減ってんだろ?食事はコースを頼んであるが、足りねぇようなら追加メニューみるか?」


こ、コース!まさか、高級コース料理を口にする日が人生で訪れるとは思いもしなかった。そりゃあ、いつかは骨身を削っても食べてみたいとは思ってたけど、まさかこんなに早く…しかもタダ飯で食べれるなんて!

いや…待てよ。この男のことだ、また食べられないほど沢山の料理が来てしまうかもしれない。そういえば、入り口にディスプレイしてあったメニューに書かれていたコース料理のお値段は、諭吉さんが何人も必要なものだった気がする。彼を1人手放すのだって充分に高いと思ってしまう私にとっては、それはもはや未知の世界すぎてどんなものが出てくるのか想像もできない。


「あの、まずそれは食べきれる量ですか?まさかまたこの前みたいに沢山頼んであったりしませんよね!?」

「一人前ずつだから食えるだろ。追加、いらねぇのか?」

「そんなに食べられませんって」

「へぇ、今日はあんまり食わないんだな」

「…この前が注文しすぎだっただけですよ。どんな勘違いなさってるんだか存じませんが、貧乏性な私でも大食い女な訳じゃありませんから。今日は、無駄に沢山頼まないでくださいね!」

「ああ、わかってる。残したらもったいねぇから、だろ?」


お得意の皮肉めいた笑みでなく、凄く自然に微笑んでからそう言ってみせる伊達社長に私は魅入ってしまう。予想外のことに、頭がついてこない。こんなに自然に笑ったの、初めて見た。


(案外、素直なんだ…)


前に食事をした時に私が言ったことを覚えていたことに驚いたのと同時に、それをこうして気にとめていてくれたことに若干の嬉しさを感じた。


あれ、ほんとはそんなに悪い人じゃないとか?…いやいや!騙されちゃ駄目よ奈々、これは油断させる為の罠かもしれないもの。




認めてなんかやるもんか
(油断してたらきっとまた馬鹿にされるハズなんだ!)



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