担当の社員と打ち合わせが終わり、小十郎が今日のまとめ資料の最終確認と受け取りの事務的作業をこなす為、応接室を出て行って暫くたった頃だった。一人きり、ぼうっと頬杖をついていたところに、コンコンと遠慮がちにノックされるドア。入れ、と短く返せば、盆に茶を乗せて入ってきたのは神崎奈々だった。少し不機嫌そうな表情と、視線を合わせないようにする様がなんとも可笑しい。茶を持ってくるといった担当社員に対し、神崎に持ってこさせろと命じたのはおれ自身なのだから、彼女がくるのは必然と言えばその通りだが。なにしろこいつは俺を苦手としているだろうから、どうにかこうにか言い訳して俺の前には出て来ないつもりかと思っていたのに、まさか本当に来るとはな。以前、書類を届けさせた時の“俺が嫌か”という問いかけへの受け答えといい、本当に変わった女だと思う。


「会いたかったぜ、kitty」

「そうですか、私は出来れば私はお会いしたくはありませんでした。ただ…どういう訳か先輩に、お茶を出して来いと指示されましたので」


行儀良く差し出されたお茶を一口飲んでから言ってやれば、一瞬だけ眉間に皺を寄せ不機嫌さを露にしてからいつもの若干ひきつり気味の作り笑顔でそう返した。俺の所為で此処に来る羽目になったのだ、とでも思っているのだろう。まあ実際その通りなんだが。相変わらずのつれない反応。無理に笑顔は作るくせに、社交辞令のひとつも言わず馬鹿正直な理由を言ってのけるあたりが、なんともこの女らしい。

この俺に媚を売らない。それだけでも珍しいのに、食事に誘ってやったって浮かれた様子どころか嫌そうな素振りまで見せる。本当に、変わった女だ。だからこそ、どうにも構いたくなる。


「おっと、Sorry.拭いとけよ」

とりあえず、ワザとらしく茶をこぼしてみれば、引きつった笑顔が大変不機嫌な面持ちへと変わる。だがしかし、怒りに堪えるようにぎゅっと目を瞑ると、また表情を作り笑顔に切り替えてテーブルにこぼれた茶を拭き始めた。こいつは少し予想外だ…cuteな顔で文句のひとつも言いながら腹を立てるのを期待してたんだがな。


「ほんっと、つれねぇのな」

屈んでテーブルを拭く目の前の彼女の耳元へ息のかかる距離でそう囁いてやれば、ビクリと肩を震わせる。反射的に振り返った彼女に、威嚇するようにキッと見上げられた。と、次の瞬間足元へ急に痛みが走る。

「痛っ…!」

「ああ…!すみませんすみません!無駄に長ったらしい足が邪魔だったので躓いてしまいました…!」


茶を拭き終え、立ち上がる際に地味に蹴られた…。躓いてしまっただと?なかなか白々しい言い訳しやがる。そのうえ、さり気なく悪態つきやがった。


「ほーう、いい度胸してんじゃねえか」

「恐れ入ります」


してやったり、と少しばかり満足げな様子で恭しく頭を下げる神崎。かなわねぇな、まったく。何処まで俺を夢中にさせるつもりなのか、関われば関わるほどこの女への俺の興味は増すばかりだ。

今までの人生で、女に対して執着というものをもったことがなかった。寄ってきた女は拒まず、関係が冷めれば、又は煩わしくなれば終わり、というのが俺のパターン。女に不自由したことはない。言い寄ってくる女は星の数ほどいたし、あるいは少し気になる女がいても、それなりに押してみれば簡単に手に入るものばかり。自慢じゃないが、誘いを掛けて断られたことはほとんどない。それこそ重要な用事でもなければ、二つ返事でOKがもらえるものだ。

その俺が…。
その俺が、だ。

このヘンテコな貧乏性女に、こんなに執着するのはどういう訳なのか。自分でも疑問だらけだが、どうにも構いたくなるんだから仕方ない。どうせ断られるのは承知の上で、食事に誘うのもまた一興だろ。そう考えてしまえるのは、最早かなり重症なのだろうか。


「おい、このあとdinnerに付き合え」

「っ!?……あの」

「なんだ」


即答で断るか逃げ出すという、いつもの反応とは違い、何かを言いかけた神崎。今日はその気があるのかと彼女の言葉を促すように問いかければ、何を勘違いしたのか彼女は突拍子もないことを言い出した。


「もしかして、マゾ…なんですか?」

「違ぇよ…」


どうやらさっきの、蹴られた後に誘うというタイミングが、そう思わせたようだ。別に蹴られたのが嬉しくて食事に誘ったんじゃねぇよ…。怒る気力もなく否定の言葉を返すが、当の神崎はどこか納得いかない様子でいる。


「美味いコース料理と、いい酒をご馳走してやるって言ってんだ」


もう一度そう声を掛けると、神崎は困ったように視線を彷徨わせ、小さく唸りはじめた。どうやら悩んでいるようだ。即答で断られることを思えば大きな進歩なのか。それともただ単に、悩むほど今日は腹が減ってるだけなのか。


「まあいい、好きなだけ悩んどけ。行く気があるんなら、三十分後に下に来い」


悩み始めた彼女にそれだけ言い残して、俺は応接室を後にした。取出した煙草をくわえた口元が自然と上がってくるように感じるのは、きっと気のせいなんかじゃない。



SとMは紙一重
(まさかMだなんて言われる日がくるとはな)





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