我が家からバスに乗って小一時間。バス停を降りてから暫く行ったところに道場はあるらしい。主要道路から幾らか離れた、のどかな道を真田くんと並んで歩く。車は殆ど通らず、いつもよりもゆっくりと流れているような時間の中で、日ごろの疲れも和らぐような気がした。こんなところに住んでいたら、毎日が心地よさそうだと思い至る。


「そういえば真田くんも佐助さんも、小さい頃からここら辺の道場に通っていたって事は、もともと地元がこの近くって事なの?」

「ああ、今はもう少し会社の傍へ部屋を借りているが、実家はこの近くでござる」

「うわあ、すごいね都心で育ったなんて憧れちゃう。私は、大学に入るとき遠くから上京してきたから、始めは都会が怖くてさ。家賃も高いし、人付き合いでなにかと出費はかさむし、学生時代は本当苦しい生活だったんだよ」

「なるほど、苦労されたのだな」

「まあ、それはそれで楽しかったんだけどね」


その頃を思い返して苦笑した。あの日々を思えば今の生活は全然余裕があるけど、四年間で身についた貧乏性はどうにも板について抜けなく、今日のようにセールに赴いたり、ちまちまと日々の節約生活が続いているのだ。そのぶん貯金ができて良いといえばいいんだが、伊達の馬鹿社長に馬鹿にされるのは、どうにも気に入らない。

「うわ、嫌なこと思い出した…」

わざわざ休みの日に、あんな馬鹿社長のことを頭の片隅に一瞬でも思い出してしまったことにハッと気づき、自己嫌悪。思わず小さく呟いた一言は、どうやら真田くんの耳には届いていなかったようで一安心する。最近、何かとあの馬鹿社長のことを思い返してしまうのは、きっと彼との出来事が私にとって、さぞトラウマになっているということなのだろう。


「奈々殿、着きましたぞ。此処でござる」


考え事の所為で自然と足元に向いていた目線を、真田くんの声に反応してあげてみれば、そこには純日本家屋の立派な道場の入り口があった。一目見て、いかにも道場とわかるその門構えには「武田道場」と大きく掲げられていた。


「わあ、すごい!」

「そうで御座ろう?お館様、自慢の道場でござる!」


まるで自分のことのように嬉しそうに自慢してみせる真田くん。本当にこの道場と師匠を、大切に思っているのだと伝わってくる。丁寧に手入れの行き届いた庭を抜け玄関へと向かえば、すでに稽古が行われているのか、道場のほうからは威勢の良い声が聞こえてきた。


「佐助さん、どんな反応するかな」

「先刻、奈々殿が内緒にした故、さぞや驚くことと思うが」


新しい悪戯を思いついた小学生のようなわくわくした気持ちで、私と真田くんは思わず顔を見合わせた。こういうなんともいえないお茶目な楽しみを共有できるのも、私と真田くんが仲が良いゆえんかもしれない。


「きっと今頃は、昼の支度に追われているやも知れぬので、まず食堂の方へいってみまするか?」

「え!まさか佐助さん、料理もするの!?」


スーパーから真田くんに運んで貰った戦利品たちを、無事に冷蔵庫や戸棚へ収納した後、そのまますぐに道場へと向かって出発したので、現在の時刻は正午の少し前。確かにお昼の準備をする時間ではあるが、まさかまさか佐助さんが、道場でお昼の担当まで担っているとは。


「今日のような休日は、道場生の子供たちが集まるのが当たり前のようになっているからな。稽古をして、佐助の作る昼ごはんを食べて、楽しく遊んで帰るのが、彼らの楽しみらしい」


なるほど、そうか。つまりは佐助さんの作る料理ってのは、子供たちの楽しみになるほど美味しいってことなんだ。炊事洗濯掃除、何でもござれだなんて羨ましすぎる。


「今度、料理のコツ教わろうかな…」


またも思わず口をついて出たそんな一言は、道場から食堂の方へバタバタと向かう子供たちの足音と、騒ぎ声にかき消された。
ご飯だ、と嬉しそうに叫びながら駆けていく姿に圧倒されて立ち尽くしていると、後から来た数人が、玄関から食堂の方へ向かおうとしていた私と真田くんを目撃して目を見開いた。


「あっ!真田の兄ちゃん!!」

「本当だ!あー、真田の兄ちゃん、彼女連れてきたのか!?」

「か、彼女などではござらぬ!この方は、会社の同期の友人で…」

「またまたあ、照れちゃって」

「あああ、もうよい!とにかくだ、早く行かぬとお前たち佐助にしかられるぞ!!」


説明するのすらもどかしいのか真田くんが真っ赤になってそう一括すれば、子供たちはまたもわあわあと騒ぎながら食堂へ駆けていった。そんな子供たちの言動に、呆れたようにため息をつく真田くんだが、その表情はどこか楽しそうで、真田くんと彼らの関係性が伺えて、なんだか私まで微笑んでしまう。


「おーかーんー!」

「はいはい、なにー?無駄口たたいてないで味噌汁よそってー」


子供たちが駆けていって程なく、食堂の方からそんな会話が聞こえてきて、私は思わず首を傾げた。子供の声は、確かに「おかん」と呼んだのに、それに返事をしたのは佐助さんらしき声の持ち主だったのだ。いや、仮にそれが私の聞き間違いだとしても、明らかに女性の声でないのは確かだった。


「真田の兄ちゃんが彼女連れてきたぜー」

「えっ、うそ!!何処にっ!?」


そんな叫び声と共にバタバタと食堂の方から走ってきたのは佐助さんで…、しゃもじ片手にエプロン姿が良く似合っている。やはり、先ほどの「おかん」というのは、佐助さんに対する呼び名なのだろうか。


「奈々ちゃん!?え、ちょっ!まっ…!!真田の旦那の彼女ってのは…まさか」

「落ち着け佐助、そんなはずなかろう」

「お忙しいところすみません。佐助さんを驚かせようと、こっそり来てしまいました。彼女って言うのは、子供たちのただの冷やかしですよ」

「うわ、あああ。おどろかせないでよ、もう!俺様てっきり、今朝の内緒話は二人が付き合うことになったんだとかそういうことだったのか、とかなんとか妙に辻褄あわせて焦っちゃったじゃん」

「なら、ある意味成功でござるな」

「だね。佐助さんを驚かせるために内緒にしたんだもん」

「ちょ、なにそれ酷い…」


はああ、と盛大にため息を吐いて、心底安堵した様子の佐助さんの反応は少し予想外だった。確かに驚かせるつもりできたのだが、そんなに焦るような勘違いだろうか。良くわからないが、真田くんに彼女ができるということは佐助さんにそれだけ影響力のあることなのだと認識することにした。


「それはそうと佐助さん」

「ん?なになに、奈々ちゃん」

「おかん、って佐助さんのことですか?」


私の口から容赦なく飛び出た一言を聞いた瞬間、佐助さんはピシリと音が聞こえてきそうな勢いで、見事なまでに動きを停止した。これは、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。きっと、触れられたくない事実とやらに、ピンポイントで触れてしまったようだ。抜け殻のごとく、微笑んだ口元は半開きのまま瞬きも忘れた佐助さんの目の前で、慌ててぶんぶんと手を翳して呼びかける。一瞬ハッとしてどうにか意識を取り戻した佐助さんの様子に、私は少し安心した。


「あー、えーっと…。せっかくだから奈々ちゃんもお昼食べていきな、ね?」


「おかん」のことについては、まるで初めから話題に無かったかの様に振舞う佐助さんを見て、私の中では「佐助さん=おかん」の式が成立した。が、お昼をご馳走になれるという事実に私の貧乏性レーダーが過剰反応を示したので、その話題をぶり返すことはなかった。さすが佐助さん、私の黙らせ方を良く心得ているようだ。


「はいっ!遠慮なくいただきます!!」





出来れば忘れて欲しい
(忘れることは無理だけど、お昼の為なら口を慎みますとも!)




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