「奈々、昼を食べに行かないか?」


お昼休憩になりざわめきだす社内。あとちょっとでキリのつくはず仕事がなかなか終わらなくて未だにデスクに向かっている私を誘ってくれたのは、かすが。
その誘いに二つ返事で立ち上がりたい衝動を必死で抑えて、私は首を横に振る。


「うー、一緒に行きたい、けど…。また毛利先輩に怒られるの怖いし、休み入る前にちょっとコレだけ済ませときたいんだ。ごめん、先行って食べてていいよ」

「そうか、なら私も今日は社食にしよう。席をとって待っているから仕事が片付いたら連絡するといい」


ぽん、と優しく私の肩に手を添えてそう言い残すと部署を後にするかすが。ああもう、なんて紳士なんだろう!いっそ私は、かすがのような彼氏が欲しい。


精一杯の力をつくし残りの作業を出来るだけ早く終わらせて、かすがの待つ社員食堂へと足早に廊下を駆ける。ふと途中の自販機が目について足を止めた。そうだ、心ばかりのお礼としてかすがに缶ジュースの一本も買っていこう。そう思い至って、財布から小銭を取り出したところで、指の隙間から十円玉がひとつすり抜けた。チャリーンと独特の音をたてて床に落ちたそれは、くるくると回りながら自販機の下へと入っていってしまった。


「ああっ」

慌ててしゃがみこんで自販機と床の隙間を覗き十円玉の行き先を伺う。それは隙間の中ほどに落ちており、なんとかして手を伸ばしてみるものの、ちょうど届くか届かないかの距離にどうにも苦戦する。


「あ…と、ちょっと!」

「Hey、なにしてんだkitty?」


手がつりそうになるのを必死でこらえながら自販機の下へと手を伸ばしているまさにその時、聞き覚えのある腹立たしい声が耳に届いた。このふざけた英語と、人を小馬鹿にしたようなニュアンスを含んだ物言いは…。

予想される人物に溜息をこぼしそうになりながら、床にしゃがみこんだままに視線をあげる。そこには案の定あの若社長がいて、珍しいものを見るような目で私を眺めている。


「自動販売機の下に十円玉が落ちちゃったんです」
「?」

さっぱり意味がわからない、といった様子の彼は不思議そうな顔で尚も私をみつめる。


「あー、つまりですね。拾ってるんですよ、落とした十円玉を」

「Ha、何の意味があるんだ?たかが十円だろ」

「たかが十円、されど十円です。そんなこと言ってるとそのうち十円に泣かされますよ?」

「sorry、悪いが貧乏人の理屈は俺には到底理解しがたい」

「もう…いいです」


イライラするのをなんとか押さえ込んで出来るだけ冷静に受け答えしたって言うのに、この男はまたしても貧乏人と私を馬鹿にする。確かにあんたからみたら私なんか貧乏人でしかないだろうけど、面と向かってそんな台詞を吐いてしまうのは何処までも俺様気質ゆえか、はたまた常識がずれているのか…どっちにしろ腹立たしい。


「佐助さんならわかってくれるのに…」
「佐助、だと?」


腹立ち紛れにぼそりと呟いてみれば、予想外に反応する馬鹿社長。一瞬目を見開いてから、ぴくりと片眉を持ち上げて見せた。

けど、この男のそんな訳のわからない行動にとやかく言っている場合ではない。急がないと、今は愛しのかすがを食堂に待たせているのだ。十円玉も勿体ないし捨てがたいけど…これ以上こいつと関わるのもごめんだし、何よりかすがをこのままいつまでも待たせておく訳にはいかない。何か言いたげな馬鹿社長に気がつかないふりをして、財布から新たに出した小銭で早々に缶ジュースを購入した。


「では、失礼いたします」


お世辞程度にぺこりと頭をさげてから缶ジュースを片手に若社長に背を向け、早足に食堂へと向かった。



敵前逃亡の心得
(我ながら今回は上手く切り抜けられた、と食堂への足取りは軽い)





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