私を室内へとすすめるように扉を開けた片倉さんは、一礼してからスッと部屋を後にした。静かにしまる扉の音に反応して肩が強張る。この前、会社で彼を追い返してから、その後はじめて会う所為なのか妙に緊張した。


「Ha、よく逃げずに来たじゃねぇか」

「別に私はただ、会社からの命で書類を届けに伺っただけですから」

「くくっ違いない。ならそんなに怯えんなよ、誰も捕って食おうって言ってんじゃねぇんだから」


どうやら私の緊張は相手に伝わってしまったようで、楽しげに口角をあげるバカ社長。馬鹿にされたのが悔しくて、緊張は次第に苛立ちへと変わり始める。唇を引き結んで感情を抑え、彼の方へと顔を向けた。


「申し訳ありません。書類の方、お渡しします」
「ああ、ご苦労」


バカ社長は営業スマイルといった風に、私に満面の笑みをみせて手を伸ばしてきた。ご苦労だなんて、馴れ馴れしい態度に苛立ちが増す。私はあんたの部下になった覚えはない。


「それでは、これで失礼いたします」


書類の入った封筒をしっかりと彼に手渡した段階で、早口にそう告げる。一刻も早くここから出たくて、返事も待たずに背中を向けるとドアへと歩みを進めた。


「折角ここまで来たんだ、そんなに急くなよ」


扉の前まで辿りつき、開けようとドアノブに手をかけた刹那。耳元で低く囁くように響いた声に、私の肩はびくりと跳ねる。扉を目の前に背後をとられ、彼の身体と扉の間に挟まれたこの状況…はっきり言って冗談じゃない。でも立場上、突き飛ばして逃げることもままならないから、やり過ごすしかない。



「昼でも一緒にどうだ、kitty?」

「け、結構です」

「つれねぇな、少し話そうぜ?」

「仕事の話なら、ここで伺います」

「Hmm…」

「………」

「そんなにオレが嫌か?」




丁寧に、されどきっぱりと断った私をみて、少し考えたようなしぐさ。暫くの沈黙の後、彼の口から飛び出た言葉は予想の範疇を超えていた。そんなに嫌か、だって?どの口でそんな質問をするというのか。

怪訝な顔して、見上げてやった。どう答えてやろうかと逡巡する。大嫌いだと吐き捨ててやろうとも思う。だけど、会社の皆の顔が浮かんだら、嫌いですと首を縦に振りたい気持ちが踏み止まった。

ここは会社で。今はプライベートじゃない。彼は大手取引先である伊達コーポレーションの社長で、私はバサラ商事の新米一社員でしかない。本心では顔も見たくない相手でも、これは仕事なのだ。失敗は許されない。今後の関係に支障をきたすかもしれない明言は、義理でもなんでも控えたほうが得策だ。私は、仕方なしに首を横に振った。


「いいえ」


私の返答に、バカ社長はさも楽しそうにククッと顔を歪めた。大方、仕方なく答えている私の態度を知ってのことだろう。しかしそうかと思うと、急に柔らかな表情を見せた。


「あんた、やっぱ変わってんな」


一瞬どきっとした。まるで色を含んだような目で見てきたから。けれど、そんな顔は数秒だけで、すぐにまたヤツ特有の笑みに変わった。


「わ、悪かったわねっ!変わり者で!!」


ハッと我に返って、思わず慌てて言い返した。そんな私の態度にバカ社長はにやりと笑う。

「Yeah、あんたは淑やかに猫かぶってるよりそうやって威勢の良いほうが似合ってんぜ」


すごく満足げなのが腹立たしい限りだが、それ以上なにかを言い返すわけにもいかなくてグッと押し黙る。急に携帯電話の着信音が鳴り出した。彼のジャケットの内ポケットからだ。彼は私から視線をはずすと、忙しなく音を上げるそれを取り出し電話の相手を確認する。


「残念。呼び出しだ。sorry,こう見えても分刻みのスケジュールなんだ」


残念だなんてとんでもない、私にとっては千載一遇の逃げるチャンスだ。しかし当の本人はと言えば、手の中で携帯が呼んでいるのに、なかなか出ようとしない。私が不思議そうに見ると、彼の口角が至極楽しそうに弧を描いた。


「と、言うわけでお転婆kittyとの食事会はまたの機会までお預けだな」

「――は?」

「楽しみにしてんぜ」

「え!?ちょっ……!」


声を上げたときには、もう顔は見えなかった。重たそうな豪華な扉をたやすく押し開き早足で歩き出したバカ社長は、さっきから鳴り止むことのなかった電話にようやく出た。呼びとめようとしたけれど、電話の相手はどうやら重要な仕事関係のようで、アイツにそぐわない丁寧な敬語が次々と並べられている。そうこうしている間にも、どんどん背中は遠くなって、正面のエレベータへと乗り込み行ってしまった。


姿が見えなくなって、急に身体の力が抜けた。ほーっと、安堵の息を吐き出して、壁に寄り掛かる。天井を仰いで、そこから下がるシャンデリアを意味もなくみつめた。社長室に社外の人間ひとり残して居なくなるなんて、どこまでバカなんだろう。


「ウチの社長が世話かけてすまねぇな。いくぞ、エントランスまで案内しよう」


数分もしないうちに私の前にどこからかスッと現れて、苦笑しながらそう言う片倉さんは、実は顔に似合わず凄く親切ないい人なのかも知れないと密かに感じた。




こんな現実知りません
(あの男のことだから、また会社まで押し掛けてくるに違いない…)



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