「OK.5分で駐車場まで降りてこい」
伊達の若社長…いや、こんな奴バカ社長でいいか。バカ社長はゆっくりと時間をかけてお茶を飲み干した後、エラソーに脚を組み直して言った。…って待て待て、何がオーケーなんだ。
「…私行くなんて言ってませんけど」
「いいから来い」
「お断りします!」
「腹減ってんだろ?」
「そ、それはっ…、でも」
無益なやり取りを続けること数十分。どっちつかずの攻防は、再度鳴った私のお腹の音によって終了した。結局私は頷くしかなかったのだった。
「はぁ、言い合いしたら更にお腹空いたー」
薄ぐらい廊下を抜けて所属部署に戻った時、誰もいないだろうと思っていた部屋に一人、まだ残っている人を見つけた。
「あれ、毛利先輩。まだ残ってらしたんですか」
「…ああ…神崎か」
考え事をするように俯いて腕組みをしていた毛利先輩は一瞬だけ顔をあげて私を確認した後、すぐにまた下を向いた。その姿を見て私は少し悩んでしまった。うーん、ど、どうしようかなぁ…上司が残ってるとさぁ、帰りにくいんだよね…。なんて頭を悩ませていると、毛利先輩が再度顔を上げて言う。
「取引先からの連絡を待っている。気にせず帰ってよい」
…あ、悩んでたのバレバレ?勘のいい毛利先輩の気遣いに感謝だ。先に帰るのは何だが申し訳ない気もするけど…そういえば私、バカ社長に「5分で降りてこい」と指示…命令されてるんだっけ。不本意ながらも慌てて帰宅準備を整える。未だ俯いたままの毛利先輩に「お先に失礼します」と頭を下げて、部署を飛び出して廊下を走った。
「………リムジンですか」
「Ah?」
息を切らして駐車場にたどり着いた私を待ち構えていたのは、相変わらずニヒルな笑みを浮かべたバカ社長。そして黒色の、やたらと長い、テレビでしか見たことのないようなゴージャスな車があった。
「…このブルジョアジーめ」
…ふん!別に羨ましいなんて思ってないんだからね!実は一回でいいから乗ってみたかったんだとか言わないからね!…じ、実物を前にして若干ビビってるなんて事もない…ん…だから…
「…何やってんだ、早く乗れ」
リムジンの前で固まっていた私にバカ社長が嫌味ったらしく口を歪ませる。
「それともEscortが必要か?kitty」
「…い、要りませんよ!エスコートなんて!」
の、乗ってやるわ!リムジンくらい!余裕で乗ってやるわ!勇み足で近づきドアノブに手を伸ばしたら、私が開けるより先にドアが勝手に開いてその先端がお腹に直撃した。
「………」
「………」
「……痛、」
数秒の間を置いてからお腹をさすると、バカ社長がブハッと噴出した。ちょっと運転手さん、タイミング悪いよ。
「な…中から開けてくれるなら先にそう教えてくれませんか!」
「HA-ha!Sorry!くくっ…」
悪いなんてこれっぽっちも思ってないだろう上辺だけの謝罪の言葉を口にしながら、笑い続けるバカ社長。もういい、笑いたいなら笑え!憤慨しながらリムジンに乗り込んだ。
「……す、」
すごー、リムジンの中ってこんな感じなんだ。うわ、何あれ!凄い、何これ!座席ふかふか!あ、運転席遠い!とキョロキョロしていると、反対側のドアが開いた。慣れた仕種で乗り込んで来るのはもちろんバカ社長。おどおどしてる私とは正反対に当たり前のようにふかふかの座席に腰を下ろして脚を組む。
「……ちっ」
思わず舌打ちが出てしまったのは、憎たらしいバカ社長と、この車内に漂う高級感が妙にマッチしていたからだ。何食わぬ顔で座っている横顔をチラ見して、心の中で不安がむくむくと沸き上がってくる。こんな住む世界の違う…しかも性格最悪な男と一緒に食事なんてやっぱり気が進まないけど、まあ一食分お金が浮いたと思えばいいんだよ。ポジティブにいこう、うん。
…と思っていられたのは、私達の乗っていたリムジンが某有名高級ホテルの前でゆっくりと停車した時までだった。
幸か不幸かその先は
(私など知るはずもない未知の世界)