▼ 小憤
私の感情は顔に出やすくなったと、自分でも思う。
それ自体の、情感も敏感になり、何かに対しての気持ちも表れやすくなったとも言える。
私は日々を通して、色んなものを得ているのだろう。
しかし、全てが良い方向にいくとは限らないらしい。
*****新しいマネージャーが来るということで、私は以前にメモしていたものを読んで、仕事についての確認をしていた。
マネージャーとは選手をサポートする者だ。
あやふやに教えてしまえば、練習に支障が出かねない。
だから、責任を感じていた。
すると、部室の扉が開いた。
幸村の隣には見知らぬ二年生の女子がいる。例の新しいマネージャーだろう。
「苗字さん来ていたんだね。先に紹介するよ」
「私は菖蒲池美麗。よろしくね」
菖蒲池がニコリと微笑めば、周りがパッと花が咲いたように明るくなった。
そんな彼女はえらく綺麗な顔立ちをしていた。美人でもあるが可愛いとも言える。
"菖蒲池美麗"という名前に勝るとも劣らない容姿は、平凡すぎる私にはないものだった。
「苗字名前です。よろしくお願いします」
手を差し出してきたので、自然な流れで握手をした。
その手は滑るような色白の肌で、そこからも、私とは離れた存在なのだと感じさせられた。
「じゃあ、苗字さん。頼んだよ」
幸村は菖蒲池に負けないくらいの笑顔を残して部室から出ていった。
「あの、菖蒲…池さん」
「あはは、私の名字呼びにくいでしょう?美麗でいいよ」
「い、いや…」
「珍しいし。それにタメで話していいからね」
「それは…。美麗先輩と呼びます」
いいのにーと言った菖蒲池に対して首を横に振れば諦めたのかメモ帳を取り出して話を聞く姿勢に入った。
菖蒲池はマネージャーの仕事もテニスのルールもある程度、知っていたのか、教えることは少なかった。
しっかりとしなければ、という心配は杞憂だったらしい。
それから共に仕事をすること一時間。一回目の休憩に入った。
「ドリンク、運びましょうか」
「そうだね」
テニスコートへと向かうと、少しざわついたような気がした。きっと、菖蒲池が出てきたからだ。
男子高校生など、学生は顔が良い人には惹かれやすい。
恋をする相手のチェックポイントはまずは顔からだ。
男子だけでなく女子もそのはず、この学校は特にファンクラブ(テニス部にあり、レギュラーメンバーには各個人のものが存在する。)もあるのでその傾向は強いだろう。
純粋に応援しているものは少ない。大半、顔が良いので付き合ってみたいという軽い恋愛対象とアイドルを好きになるような感情のはずだ。
私も柳が綺麗で幸せな気持ちになれるからと言って毎日見ていたので、人のことを言える立場ではない。
はっきりとは言えなくなってしまったが恋愛感情はまだないと思われるが。
まあ、これらは学生なのだから仕方のないことかもしれない。
菖蒲池は配りながら、部員に挨拶をしていた。まるで私のときと表情が違うのが、ちくりと心を痛ませた。
やはり、顔か…。
そう感じるところ、私も思春期真っ只中の学生なのだと思った。
そうして、数日が経った。
菖蒲池と仕事をするのも大分慣れたので、今では話しながらできるほどだ。
「名前ちゃんは、誰のファン?」
「ファンってテニス部のですか?」
「他に誰がいるのよ。マネージャーしてるくらいだからいるんでしょ?」
「…マネージャーは頼まれただけで…」
すると、菖蒲池はとても驚いた様子で、ただでさえ大きな瞳をまた大きくさせた。
「じゃあ、いないんだ?」
「まあ、一応そうですね。美麗先輩は?」
「みんな好きだけど、本命は…」
菖蒲池はタオルを畳んでいた手を止めて、片手で髪をもじもじといじり始めた。
私は幸村や丸井、仁王あたりかと思いながら作業を進めて答えを待っていると、菖蒲池の口から予想もしない名前が出てきた。
「ジャッカルなんだ!」
「ハ…く、桑原先輩ですか」
「確かにハゲで髪のないスキンヘッドだけど、顔自体は一番格好良いと思うのよね…」
「…まあ、そうかもしれませんね」
意外すぎて、その日、桑原にドリンクを渡す際に顔を凝視してしまった。
どうしたんだと聞かれ、勿論、何もないと言っておいた。
*****相変わらず柳と接するのは、緊張したように心が落ち着かなかった。
恋をしているのだろうか?という疑問も晴れぬまま過ごしている。
恋愛感情ではない、と言い続けているのは気持ちの正体から目を背けているのか、本当にそうなのかは分からなかった。
そして、柳に対しての気持ちに加え、菖蒲池が来たことにより、自分の部活での位置が不安定になっている気がして少し寂しいような気持ちでいた。
どうすれば良いのだろうか。
はぁ…と溜息をついて前を見れば、目の前に妹の顔があった。
「その溜息と目…お姉ちゃん、恋をしているね!」
「は?」
否定しようとしたときには、既に妹の背中しか見えず、後を追った。
「大変大変、お母さん!お姉ちゃんが恋してるよ!」
「あら、そうなの!?今夜の夕食は出来ちゃったし、明日は赤飯に決定ね」
「恋だから鯉の料理は?」
「鯉は難しすぎて捌けないわよ。それに、そこらでは売ってないわ」
いやいや、待て。鯉が捌けないだの、売っているか否かの前に誰がいつ恋をしていると言った?ついでに言っておくが赤飯を炊いて祝うことでもない。
「お姉ちゃん、ヘルプしてあげるからね」
「Help meなんて言ってない。そもそも、私は恋をしていない」
「名前、そこはI'm not in loveと言わないと」
「どうして…」
この前、真面目に恋についての相談をしてくれた母は何処へ行ったのか…。
それから、母と妹の会話は収まるどころかヒートアップして、妹からは可愛い告白方法まで聞かされた。
父は二人ほど明るくないが、とても賑やかな家庭だ。こんな中で私がこのような性格になったのが何とも不思議である。
*****「美麗先輩、こんにちはー!」
横を元気よく走り去ったのは、喜色満面といった笑みを浮かべた切原だった。
「赤也くん、こんにちは」
「聞いてくださいよ!」
そうして切原は昨日あったであろう出来事を話し始め、次第には丸井や仁王、他の部員も集まって、6、7人で楽しそうに話していた。
一方で私は、黙々と一人でコート整備をしていた。
以前の私なら、練習の準備をせず話していることに苛立たせているか、さして何も感じなかったのだろう。
しかし、今はとても悲しく不安な気持ちになった。
笑い声が聞こえてくる度に、私の胸はきゅっと締め付けられる。
楽しそうだな。そう思っても、自分からあの輪に入る事なんて出来なかった。
やっぱり、菖蒲池のように可愛くて、元気で、明るい人のほうが良いに決まっている。
分かりきっていたことなのに。
自分が一番知っていたはずなのに。
実際に、こうも理解させられると辛い。
以前なら、この言葉がまた出てくる。
そう、以前ならこんな風には感じなかった。
一人でいること。誰かが笑い合っているところを見ること。
それに対して悲しくも羨ましくも思わなかったはずなのだ。
柳やテニス部を通して、私の感情の出方が確実に変わってきている。
あはははは!
何度目か分からない笑い声が耳に届く。
私はその場にいてられなくなった。
涙が出そう、なんて自分でも信じられない思いが心に浮かぶ。
「苗字…」
振り返れば、桑原が立っていた。どうしたのですかと問えば、心配そうに眉を下げた。
「そ、その、大丈夫か?」
「…何がですか?」
「いや、すごく悲しそうにしてる気がしてな…」
「…大丈夫、ですよ」
「あいつらも悪い奴じゃないんだ…わかってくれ」
下を俯けば、本当に泣き出してしまいそうになったが堪えた。
この人はとても優しい人だと、今のほんの少しの会話で十分に分かった。
「桑原先輩、ありがとうございます」
「いや、いいって。じゃあ、準備の続きしようぜ」
「はい」
*****菖蒲池が入ってから十日が過ぎた。部にすっかり馴染み、私よりも沢山の部員と仲が良かった。
今日も並んでドリンクを作る。最近は一緒にいるだけで心が詰まりそうだった。
すると、菖蒲池が急に"テスト"とそう呟いて、ドリンクの容器を手にした。
「え?」
右を向けば、頭からシャツにかけてドリンクに濡れた菖蒲池の姿。次に何をするかと思えば自分の頬を思いっきり叩いた。
「きゃーーー!」
そして、叫んだ。驚きのあまりに言葉が出ずにいると扉が開かれた。
「どうしたの?」
幸村に続いてレギュラーメンバーが顔を出していた。
いつの間にか涙を流している目の前の彼女を見て、ああ、俗に言う"嵌める"とはこういう方法なのかと理解した。
だが、私は周りにどう説明しようかと考える前に、違う感情が沸々と沸き上がった。
「何しているんですか!?」
珍しく声を荒げた私に周囲が一瞬静かになったが、切原が怖い険相で前に立った。
「あんた、美麗先輩を「切原くん黙っていて」
途中で遮れば、切原が手を振り下ろそうとしたが柳がそれを止めた。
「美麗先輩はきっと私を嵌めるためにこのような状況にしたんですよね。しかし、ドリンクを使うなんて許せません。これは部員、一人一人が持ってきた部費で購入したものです。その部費は私たちではなく親が働いて得たお金です。失礼だとは思わないのですか?」
「…………」
菖蒲池は黙った。そして、私が腫れた頬にそっと触れれば痛そうに目を細めた。
「それに、叩くなんて可愛い顔が台無しですよ。折角、白くて綺麗な肌をしているのですから、もっと大事にしてください」
自然とみんなに囲まれながら楽しくやっていて、私にはない容姿と性格を持っていて、そんな菖蒲池が羨ましかった。
それなのに、このような行動を取ったことに怒りの感情を覚えた。
「美麗先輩、私は「っぷ!あははははははは!!」
話しだそうとした瞬間に菖蒲池が大声で笑い出した。急なことすぎて私だけでなく周りも目を点にさせた。
「名前ちゃんサイコー!気に入った!あはは!あははははは!」
「……話が読めないのですが…」
「私はファンクラブ総会長。マネージャーが入ったと聞いて、名前ちゃんをテストしたのよ」
ウインクをしながら答えた菖蒲池を未だ、ぽかんと見つめた。
「合格よ。だから、これからもマネージャー頑張って」
それから、嵐が過ぎ去ったように菖蒲池はテニス部のマネージャーをやめた。
ファンならマネージャーを続ければいいのに、それはしないらしい。
いまいち、よくわからない人だ。
後に聞いた話、テスト(何故あれがテストなのかも不明)に失敗していたらえらい目に遭うことになっていたらしい。合格したので免除されたみたいだが、この学校も恐ろしいと感じた。
(名前ちゃん、可愛いすぎる)
(会長、最近テニスコート見ながらそれしか言っていませんよ…)
(ってか美麗、あの子すごく平凡な顔だけど…)
(違う!なんか、こう、可愛いの!名前ちゃん応援隊を作りたいくらい!)
(お好きにどうぞ…)
(…はは、会長…)
*****あとがき
菖蒲池って名字は実際にあるのですが、何かすごいですよね〜
ってか、どうしてこうなった!変な展開すぎる…。
実はですね、タイトルを"沮喪"にするかかなり迷いました。
あと、前回の最後の()←対話を書き忘れたことに、最近気付きました。
無いのに深い意味はありません(笑)
それより、私の小説の一話が長い!と友人数名に言われました。
これだけあると、読むの面倒でしょうか。
(20120916)執筆
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