小さな幸せから | ナノ
 幸福

"幸せ"それは身近にあって、気付きにくいもの。

だが、少し意識することによって、どれだけ幸福に包まれているかがわかるのだ。

あなたと出会えたおかげで、私はこうして幸せな日々を送れている。

******

あれから、十三年の月日が経った。私たちは学生の頃に付き合ってから、今までずっと交際をしてきた。今では、彼は人生のパートナーでもある。
互いの思いが通じたあの日、彼が言った「その先まで付き合えるといいな」という言葉通り、私たちはずっと並んで歩いてきたのだ。

昔のことをふと思い出すと、よく私は柳色のしおりを取り出してきて、「なんて懐かしいのだろう」とさらに思い出に耽る。
今とて追憶に浸っていると、つい先ほど買い物から帰宅して食品を冷蔵庫に仕舞い終えた旦那―蓮二さん―に声をかけられた。

「また、回想しているのか?」

「うん、あ、お買い物、ありがとう」

「礼には及ばない。名前に無茶はしてほしくない。この子のためにも、な」

蓮二さんの手が、私の膨らんだお腹をそっと撫でた。すると、それに応えるように、少しだが動いてくれた気がした。まるで"パパ"と呼んでいるよう、なんて言えば、彼は嬉しそうにでも照れくさそうにふっと微笑んだ。

「ふふ。そう言えば、昨日赤也くんと真田さんに会ったの」

「あの二人は変わっていなかっただろう」

「特に真田さんは昔のままのようで、今だと若く見えるくらい」

蓮二さんのほうが老けて見えるんじゃない?と、からかうような笑みを浮かべると、蓮二さんはそんな私を怒るわけでもなく、かといって困った表情をもせずに、ただしみじみと言った。

「そうは言っても、俺ももう三十だ」

「もうそんなに、経つのね」

初めて顔を見たのは、あなたが中学三年生で十五歳。会話をし始めたのはその約一年半後。昔のはずなのに、昨日のことのように感じる。だが、一日では到底詰まりきらないものがたくさんあり、長い年月を経てこその今。毎日が楽しかったわけじゃない。辛いことだって悲しいことだってたくさんあった。楽しかったことや嬉しかったことも数え切れないほどあった。それでも、一日一日が私にとっては素晴らしいものだった。たとえ、その日がどんな日であろうと、大切な一日であることに変わりはないのだ。

「時は、あっという間だね」

「そうだな…。名前は、その時の中で、とても感情が豊かになったと思うよ」

「蓮二さんや、テニス部の人たちのおかげだから」

あのときの日々が、私に様々なことを教え、そして色んな感情を表情に表せるようにしてくれた。


微笑さえ、まともに顔に出せなかった私が声に出して笑った。
羞恥の色を微動だに見せなかった私が顔を赤らめた。
狼狽することなど滅多になかった私がうろたえた。
恍惚する相手すらいなかった私が周りの声が聞こえなくなるほど夢中になった。
喜悦と呼べるほどのことがなかった私が心から喜べることができた。
誰かのことで悩んだりすることなかった私が、懊悩した。
怒るという感情など出すことがなかった私が人に小憤した。
たくさん考えるほど、事に触れなかった私が色んな体験から所感した。
悩むことはあっても、一人の対応によって思い煩うことのなかった私が焦思した。
悲しむことさえもあまりなかった私が人前で落涙した。
人の選択に携わるような相談をされなかった私が話を聞いた。
嫉妬などの感情に関わりがなかった私が自分の行動によって人が悋気した。
困惑することが少なかった私がどうすればよいのか分からずにとても戸惑った。
心乱れるほどに混迷しなかった私が判断や決断に迷った。
好きという感情がどんなものか分からなかった私が恋慕の情を抱いた。
誰かに思われる、ましてや想い合うことなどなかった私が相思した。

そうして、幸せなど意識しなかった私が、それらによって幸福に気付かされた。


今も昔もそんな幸せに心から感謝している。

「蓮二さんに会えて、本当に良かった」

「ああ、俺もだ」

彼が顔を綻ばせながらこちらをじっと見据え、ゆっくりと唇を重ねてくる。
そして、私は自分の手でお腹に触れた。今だって、こんなにも幸せに囲まれて生きている。この新たな命もまた、幸せの結晶であると私は思っている。

「名前、愛している」

彼の両手が私の頬を包み込み、優しく甘い言葉を囁いた。

私は、日々の小さな幸せから色んなものを得た。
―幸せ―それは、私にとって、とてもかけがえのない大切な存在であるとともに、いつもそばにあるものだ。

「私は幸せ者……。蓮二さん、愛してる。ずっと…」

莞爾として笑う私の頭を大きな手がそっと撫でる。また唇が重ねられて口付けを交わした。それは先ほどよりも、深く。深く。

(私は日々の幸せを愛するの。)

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あとがき
連載を始めた当初から決まっていたラストです。これが書きたいがために頑張って書いてきました。
それも、もう終わりです。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。書き切れて、私も幸せな気持ちでいっぱいです。
(~20130306)執筆
(~20220306)改稿

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