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ほら、おいで。私は放舎裏で一匹の猫と戯れていた。よしよしと頭を撫でれば気持ち良さそうに猫は目を細める。
最初は警戒されていたが、何度か来ると思ったより早く懐いてくれた。気が合うのかもしれない。
この子は最近、見つけた野良猫ちゃんだ。ついこの間に生徒会が「野良猫に餌をやらないように」と忠告文を出していたからきっとこの子のことなのだろう。
だが、猫が好きなのに猫を飼えない(家族がアレルギー持ちなのだ)私は、猫と触れ合う機会をなくしたくなくて、注意を聞かずに餌をやって世話している。
以前にも何回かあげたことはあったが、生徒会に見つかって対処されてしまった。今回こそは上手くやろう。まあ、世話するったってもちゃんとしたキャットフードだし、茂みにおふとんだって用意してあげた。ちゃんとやってるんだからいいよね、なんて勝手に自分に許可を出して猫ちゃんを育てているのだ。
「寒かったね、よーしよし」
膝の上に乗せれば、背中を丸めた。私は自分の首に巻いていたマフラーを布団
がわりに上へかけてやる。あったかそう。私は寒いけど。
ひとしきり眺めていると、じゃり、と砂の音が聞こえてはっと顔を上げた。そこにいたのはまるで猫のように背中を丸めた銀髪の男子だった。
「仁王、雅治……」
思わず彼の名を口にしていた。
こんなにも近距離で顔を合わすのは初めてで、私は自然と息を呑む。ちなみに私がなぜ彼を知っているのかと言えば、とても有名だからだ。興味がなくとも噂に疎くない限り、だいたいの生徒が彼の存在を認知している。
それは強豪立海テニス部のレギュラーだとか、びっくりするほどイケメンだとか、女遊びが激しいらしいだとか、理由は様々。良い噂も悪い噂もそれなりに出回っているわけだ。
「…………」
本当にイケメンだな。っていうかユニフォーム着ているってことは部活中じゃないんだろうか。
なんて真顔でぼんやり思考を巡らす私と何を考えているのかわからない彼の視線が交錯する。
ちらり。彼が私の膝に目をやった。
「あ、」
私は膝に猫を抱えていることを思い出した。とっさにマフラーで子猫ちゃんの体全体を隠す。
しかし、にゃ〜んという鳴き声がこの場に響き、隠すことなど到底できなくなってしまった。
「あの! これは……! そのー……」
私はそのとき、テニス部の中に生徒会やら風紀委員のメンバーが所属している者がいることを思い出した。
「このことは生徒会の人とかには、言わないで」
まるで猫を守るように、抱きしめる腕の力を少し強めた。すると、無表情だった彼がにやりと意地の悪そうに少し目を細める。
「クク、それは餌をやっとると自白してるんじゃな」
しまった! 私はただただ猫を抱えてるだけじゃんか!
「えっと、あ……ああぁ……」
あえなく黙ってしまった私を見て、仁王がくつくつと笑う。私はムカっとしてしまった。墓穴を掘った私が単に間抜けなだけだが、すごく小馬鹿にされた気分で癪に触る。
「ところでおまん、俺を仁王雅治と知ってて呼び捨てタメ口とは珍しいのう?」
とつぜん仁王はそんなことを言った。私はそんな彼を見ながら、“この人も勘違いしているな”といつも通りの思いを抱く。
そう、私は彼より1つ年上で高校2年。中学生だと思われているようだが、私が彼に対して呼び捨てすることも敬語を使わないことも本当は年上なのだから当然なのである。
今のように間違われることはしょっちゅうだ。私は自慢できることじゃないが、とんでもなく“童顔”で“チビ”なのである。
そのため、大して驚きもしないし、わざわざ気にすることもなくなった。
ふと私は彼の異名を思い出した。
“コート上の詐欺師”
よし、詐欺師を騙してやろう。そして私だって彼に馬鹿にしたような表情を向けてやるんだ。
年下と思われていることよりも、先ほどのような笑いを浮かべられたことにちょっと腹を立てたからとか、いたずら心が芽生えた、だなんて些細な理由だけど。
何にせよ、詐欺師が騙されるなんてきっと面白いはずだ。私は心の中でにんまりと笑った。
「……ごめんなさい。焦っちゃって。あの、猫ちゃんのこと言いますか?」
「俺になんのメリットもないきに、言わんよ」
「ありがとうございます。仁王“先輩”」
そこでピクリと眉をひそめた。ちょっと先輩を強調しすぎたかな。様子を伺っていると、彼は私の左胸辺りに視線をやった。しかし、名札がないことに気づいてさっと私を見た。
「おまん、名前は?」
「名字名前です。仁王先輩ほどの人が私なんかの名前、覚えてくれるんですか?」
「明日には忘れとるかもしれんの」
仁王には是非とも私が上の学年であったことに驚いてもらいたいので、名前は覚えて欲しいところだ。私は立ち上がりながら言った。
「私、あなたの秘密、知っているんです」
もちろん嘘だ。
だが、彼の気を引くには十分だったようで、訝しむように私を見ている。彼の中にどうしても知られたくない秘密があるのならば、私の知る秘密を暴くべく、何かしらアクションを取ってくることだろう。
「あなたが私のことや言わない約束を忘れても、猫に餌をやる生徒がいることだけ覚えていてうっかり話すかもしれません。私の名前を出されなくともそれは困るんです」
すると、仁王はきっと目を鋭くさせた。低い声で彼が言う。
「秘密を握っている……それは嘘じゃろ?」
怖い様子の彼に私が動じるわけもなく、答える。
「あなたは今日、初めて私のことを認識しました。しかしあなたのことを知っている人はいっぱいいます。いつどこで見られていたかなんてわからないんですよ?」
「ほう、どこじゃ?」
「そんなに易々と教えたら、せっかく得た秘密が台無しです」
「俺に恨みでもあるんか」
そのとき、遠くに辛子色のユニフォームを着た人物がいることに気づいた。もしかすると彼を呼びにきた人かもしれない。私は振り返り、茂みに忍ばせている布団に猫ちゃんを寝かせた。ひと撫でして私は腰をあげる。
横目で仁王を見やった。
「恨みなんてないです。さようなら、仁王先輩」
私は置いておいた鞄を拾い上げる。肩にかけて歩みだすと、彼は睨むように私を見つめていた。
(~20180802)執筆