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反省文を書いた後日、餌をやらないにしろ私は猫ちゃんに会うべく昼休みに校舎裏に来ていた。少し落ち込むことがあったため、癒しを求めていたのだ。
「っふ、かわいい」
私は昨日のことを思い出しながら猫ちゃんの頭を撫でる。すると、そこに柳くんがやってきた。暗い顔を隠すように私はにっこりと笑って言う。
「餌やってないからね。遊んでるだけだよ。っていうか仁王じゃないよね?」
「今日も正真正銘、柳蓮二ですよ。それに、仁王はあそこにいます」
柳くんが校舎の三階あたりを指した。そこには目立つ銀髪が歩いている。確かにあれは仁王だ。あんなやつそう多くいない。
「偵察に来た、と」
私は猫ちゃんに視線を戻しながら言う。しばらく撫で続ける私に柳くんはこんな質問を投げかけた。
「元気がありませんね、何かありましたか?」
自然に手が止まる。
やっぱりわかるんだ。結構、普通に振舞っているつもりだったのにな。
「はは、」
なんだか悲しさを思い出して乾いた笑いが出た。それにしてもさすがは柳くんだ。感情の機微を捉えるのに長けているだけはある。
「実は彼氏と喧嘩したんだよねー……」
そう、昨日の晩に私は電話で彼氏と言い合いをしてしまった。そのことで私はかなり気持ちが滅入っていた。だからだろうか、普段は年下なんかに相談しない私が昨日のことを詳しく話してしまったのは。
「最近、そっけないどころか、なんか怪しかったから浮気してるんじゃないのって疑ったら口論になっちゃってさ……」
柳くんは話を聞いてくれるのか、隣に腰をおろした。優しい顔で私に顔を向けて、続きを促すように首を少し傾けた。
「自分が嘘つきだから、私ってすぐに人のこと疑っちゃうんだよね。本当は彼氏を信じたいって思ってるのに、つい勘繰っちゃう」
言われた方は困るであろうに、「性格悪いよね」だなんて私は口にしてしまう。しかし、柳くんはそんな様子など一切見せず、首を横に振った。
「名字先輩は人を傷つけるような嘘はつかない。そうではありませんか?」
どうだろうか。もしかしたら傷ついた人がいるかもしれないのに、なんて思う私はやはり人のことが信じられない質らしい。柳くんの励ましの言葉さえも疑っているのだから。
「そう、かな」
素直に聞き入れないこんな女、誰だって嫌だよね。そりゃあの人も怒るよ。
「ごめんね、愚痴って。話聞いてくれてありがとう」
私は口元を上げただけの作り笑いを浮かべて立ち上がる。柳くんは「いえ、いつでも聞きますよ」と言ってくれた。年下とは思えない物腰の柔らかさだ。
私も“大人な年下”にならなきゃ。彼氏が年上だからってそれに甘えたり、年下だから許されることもあるなんて考えを持ってたりしちゃ駄目だ。
私はその日の晩に電話で素直に謝った。彼氏も「俺の方こそごめん。課題立て込んでてイライラしてた。構ってやれなくてごめんな。今度、遊びに連れてってやるから」と言ってくれた。嬉しくて柄にもなく少し泣いた。
やっぱり疑う女より素直な女の方が幸せになれるよね。
あれから一週間すると、テスト週間に入って私の方が忙しくなった。
大学までエスカレーターとはいえ、多少なりと試験はある。むしろ科目が少ない分、3年の間に受けたテスト結果が内申に響いてくるので、中間考査や期末考査が早い受験みたいなものなのである。それなりに頑張っておかないと内申点が厳しくなるというわけだ。
とはいっても私はどちらかといえば勉強においては真面目な人間なので(授業はたまにサボるけど)、そのような理由なしにテスト勉強はする方である。
だから、いつもテストが終わるまでの一週間はバイトにはいっさい入らない。しかし、どうしてもと言われて入った日があったのだった。
「いらっしゃいま、あ、」
私は家の近くのファミレスで働いている。この店は何時間いても注意されないタイプの店だから、学生がぼちぼちやってくる。きっと彼らも勉強するために来たのだろう。
「名前ちゃん、ここで働いとったんじゃのう」
そう、仁王たちが来たのである。切原と確か丸井? というやつと、あとは名前が思い出せないスキンヘッドのやつもいた。
「あっ仁王先輩を騙したっていう3年生! ほんとに騙したんすか? っていうか本当に3年っすか? 見えね〜!」
目の前で指をさして、堂々とそんなことを矢継ぎ早に言う切原。まあ、言われ慣れているからいいけど、ほぼ初対面の人にそんなこと言わないほうがいいよ? って思っていたらスキンヘッドが「ちょ、赤也失礼だろ」と注意した。その横で丸井も私の顔をまじまじと見ている。
「どっかで見たことあると思ってたけど、ここの店員かー! なるほどなあ、まさか年上とは思わなかったぜぃ」
後輩が注意されている隣でそれ言うんだって思った刹那、私はいいことを思いついてニヤリとする。
「私が年上に見えないから仁王は騙されたんだよね、仁王センパイ?」
そう言われた仁王は一気にバツが悪そうな顔をする。
「プ、プリッ」
「マジなやつじゃん!はははっ!」
なんて笑う切原に仁王は小突きながら「覚悟しときんしゃい」と言っていた。私はひとまず4人を席に案内した。
* 丸井が家の近くに怒られないファミレスがあるからと訪れたのが、このファミレスだ。どうやら、丸井とジャッカルは常連らしい。メニューも開けずに注文していた。
ちなみに、参謀は用事があるとかで赤也の付き添いには来なかった。真田がファミレスに来るわけもなく、柳生は塾があるとかで早々に学校を出て、幸村は「今日は帰るよ」と言って誘いを断った。
ジャッカルは家の手伝いとやらで先ほど帰り、俺たちの3人となったのだった。
「あーもーまじ分かんね。ジャッカル先輩帰っちゃうし柳先輩は何でいねえんだよ」
ジャッカルが帰ってから10分も経たずに項垂れている赤也には考える気がないように見える。誰かに教えてもらえなくなったらどうする気なんじゃ、こいつは。
「あ、つかさ、あの先輩3年だろ? ならこれもやってるよな!」
「バイト中は流石にやめとけよ、赤也」
「えー、ちょっとくらい大丈夫ですって」
赤也は丸井の注意も聞かずに呼び出しボタンを押した。運良く(?)名前ちゃんがやってきた。
「先輩って英語得意っすか?」
「Yeah, it's not bad.」
「は?」
「これも分からないレベルの相手に教えるのは骨が折れます。だから、私はお客様に勉強は教えません」
名前ちゃんは営業用スマイル付きで断り、持ち場に戻って行った。俺は思わず笑ってもうた。
「ハハッ」
丸井は一瞬、呆けた顔をしていたが、去っていく名前ちゃんの背中を見ながらだんだんと笑い声を大にしていった。机をバシバシ叩いている。
「ははっははは! 赤也、振られてやがんんの!」
赤也はむくれて頬杖をついた。
「なんでだよ、」
「ハハッあんな断り方があるとはなー!仁王を振り回すだけあるぜ!」
「一言多いぜよ」
「あ? だって本当のことだろぃ」
ケロケロ。俺は真顔でテキストに手をつけた。丸井は「あの子頭良さそー、どれくらいのレベルだったら数学教えてくれんだろ」と呟いている。丸井のレベルでも無理じゃ。とは言っても名前ちゃんがどれくらい勉強できるか俺は知らんがの。
それから1時間ほどして、丸井が追加でケーキを頼んだ。そのときに俺は名前ちゃんに聞いたのだった。
「名前ちゃん、何時まで?」
「7時半だけど」
「中途半端なんじゃな」
「今日はもともと入る予定じゃなかったから」
名前ちゃんはため息混じりに答えた。渋々入ったのだろうと予想がつく。もしかするとテスト期間はいつもなら入らないのかもしれない。
「俺に勉強、教えてくれん?」
「嫌」
即答だった。
「そこを何とかのぅ」
俺の言葉に反応した赤也と丸井がキラキラと目を輝かせて期待の眼差しで名前ちゃんを見ている。
「帰り送っちゃるから。8時半くらいまで駄目かの? わからんとこあるナリ」
「確か仁王ってお姉ちゃんいるんでしょ? 教えてもらいなよ」
「姉貴は俺より馬鹿じゃ。とにかく、教えるのも自分の勉強のうちやき、頼むぜよ名前ちゃん」
腕を掴んで揺すってみる。名前ちゃんは顔の幼さに似合わない、つんけんとした顔で俺を見下ろしている。ちらりと彼女の視線が丸井たちに向いたあと、俺に戻ってきた。
「今日さ、まかないあると思って夕飯いらないって言ったのに、4時間以上じゃないと出ないとか言われてさ」
つまり、夕飯を奢れと。まあ全員に教えて全員が彼女の分を出すとなれば大した金額にもならない。
「俺はいいぜよ」
「マジで教えてくれんなら出してやるぜ」
「え? 奢れってことっすよね? んーま、いいッスよ」
ということで3人の奢りで名前ちゃんから勉強を教えてもらえることになったのである。
「だから、受動態の形になっても、助動詞の後は動詞の原形になるんだってば」
「は……?」
「ねえ、そもそも過去分詞って覚えてる?」
「は、過去分詞?」
「うわあ、あり得ない。とにかく先にこれを覚えて」
名前ちゃんはご飯を食べつつも、教科書を開けて赤也に突きつける。ええー! と不満の声を漏らす赤也を無視して俺と丸井の方を見た。
「それで、どれがわからないの?」
「ここじゃ」
「これ」
俺たちはバラバラの方を指す。俺は応用問題、丸井は基礎問題だ。名前ちゃんはひとまず、丸井に取り掛かった。
「解の公式って覚えてる?」
「こうだっけ?」
「違う。切原くんといいねえ……。とりあえず丸井くんは解の公式覚えてから教えるよ」
「えっ」
くるりとこちらに体を向けて名前ちゃんはどこ? という風に首を傾げた。俺は飛ばしていたところまでテキストを遡る。
「解けるとこまで今解いてみて」
俺は先ほど1人で解いた時と同じ要領で解いていくが、途中で行き詰まった。指を動かせずにいると、名前ちゃんは合点がいったように口を開いた。
「今こいつのせいで立ち往生してるわけ。で、この値が全く分からないときでも、消す方法が1つあるの。何だと思う?」
「ああ、0をかけるとかかの?」
「正解。私の力なんていらないじゃん」
2人と違ってすんなり理解したからか、名前ちゃんは笑みを浮かべる。それは俺の好きな表情だった。どこか優しさも含んだ、幼顔に似合う無邪気な顔。
嬉しくなった俺は名前ちゃんの頭を撫でながら言った。
「名前ちゃんが導いてくれな解けんかったぜよ」
「もう、触らないで」
さっと振り払われて、丸井の方を向いてしまった。残念。
*あとがき
勉強についてですが、私は英語と数学が苦手なので(今回のドンピシャ)、調べたものをそれとなーく言ってるだけです。多分間違ったこと言ってますのであたたかい目で見てスルーしてください……。
(~20180813)執筆