リレー小説 | ナノ
心の山

「あたし、おっきくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる!」

私がまだ小学4年だった頃、時々遊びに来てくれる怖い顔したお兄ちゃんにそう言ったことがある。
その時のお兄ちゃんは中学3年、私とは5つも歳の差があった。今思えばたかが小4の戯れ言だとしか思えないし、あの時のお兄ちゃんだってまさか本気だとは思ってなかっただろう。
だけど見た目に反してお兄ちゃんは、鬼十次郎という人は優しいから。

「あたぼうよ!」

そんな幼い私を馬鹿にすることもなく、その大きな手で指切りをしてくれたことを、今でも覚えている。




「名前ねーちゃん!」

ぽかぽかと暖かい日溜まりが降り注いで、施設全体も自然に暖かく感じられる日曜日。陽当たりが良いからかもしれないが、「ぽかぽか横丁」と名付けられた児童福祉施設には今日もここに住まう元気な子どもの声が響く。
そして同じくここの住人であり、お姉さんになりつつある私は呼び止められた。この間まで私が「お姉ちゃん」とか「お兄ちゃん」とか呼ぶ立場だったのに、いつのまにか弟たちが増えたみたい。時間が経つのって案外早いなぁ。

「なぁに?どうしたの?」
「ねーちゃんさ、鬼のにーちゃんの所に行くんでしょ?」
「うん、ちょっと遊びに行ってくる」
「じゃあこれ渡して!」

まだまだランドセルが大きく見えるほどの幼い弟分は私に手紙を差し出した。それも一通ではない。女の子らしい可愛い便箋から、折り畳まれた似顔絵、それから小さな袋に詰め込んだひまわりの種。あぁ、みんなお兄ちゃんに会いたがってるんだなぁ、大好きなんだなって、まるで自分の事みたいに頬が緩んだ。
任せて、と柔らかく微笑んで、私は子どもたちからの預かり物を大切にカバンにしまった。ちょっと荷物が増えちゃったけどこれくらい平気。院長さんたちからのお土産も預かったし、今度こそ私は外へ歩き出した。
行き先はお兄ちゃんがいるテニスの合宿所。久しぶりに会えると思うと頬が緩まずにはいられなかった。
そもそも私がお兄ちゃんと知り合ったのは四年前、交通事故で両親を失った私がぽかぽか横丁に引き取られた―両祖父母は既に他界していて、親戚とも疎遠だったから身寄りがなかった―ばかりの頃だ。家族を失ったショックや周りに馴染めないせいもあって、私は毎日部屋の隅で泣いていた。
そんなある日のこと、お客さんがやってきた。私以外の子どもたちは大きな声ではしゃいでその人を出迎えた。その人こそがお兄ちゃんだったのだ。
もちろん来客なんかには目もくれず、ただ隅っこですすり泣いていた私はある意味おかしく見えたのだろう。しばらくして夕日も沈みかけているころにうずくまる私の肩を大きな手がポンポンと叩いた。

「どうした?」
「ふぇ……」

条件反射で振り返ったとき、別の意味で涙が出そうになった。元から怖い顔してるし辺りが暗いのもあって余計に怖く見えたから。私が泣いていることに気づくや否や、怖い顔のお兄ちゃんは慌ててハンカチで涙をぬぐってくれた。怖いんだか優しいんだかで混乱したのを覚えてる。
それでも泣き止まない私にやっぱり困ってしまったのだろう、初対面だというのに彼は私の涙が止まるまで背中をさすってくれていた。ついこの間まではお母さんもこうしてくれてたっけ、と思い出してまた泣きそうになったけど、さすがに枯れてしまったのかその日の分の涙は次第に止まった。
ようやく私が泣き止んだ頃、自己紹介を受けた。鬼十次郎という変わった名前とその顔はかなりのインパクトですぐに覚えた。私も自己紹介をすると、何度か覚えるように復唱しながら、お兄ちゃんは優しそうな顔をしていた。

「見ねぇ顔だが、ここに来たのは最近か?」
「うん……この間、パパとママが死んじゃって」
「……そりゃあ辛かったなぁ」
「つらいよ……つらいし、寂しいし、すごく会いたい」

病院で一人目覚めたときは、心底後悔した。いっそのこと目覚めなければ良かったとまで思った。だってそうすれば、たとえ死んでたとしても両親と一緒に居られたから。
ご近所さんも羨むくらいの仲睦まじい親子だったのに、私は突然ひとりぼっちになってしまって、死んでしまいたいと思ったのも一度や二度じゃない。今まで院長さんにさえ本音を言ったことはなかったのに、彼の手があんまり優しいものだからついついこぼしてしまった。
そのうちにまたどうしようもないくらいに虚しくなってきて泣きそうになったけど、やっぱり枯れた涙は流れてはくれない。虚しさを吐き出すことができずに余計につらくて、胸をかきむしりたいくらいだった。ぽっかりと空いてしまった穴はそう簡単には埋まりそうになかった。

「あたし……もうやだ。生きてたくない……」

このまま生きてても良いことなさそうだし、一生悲しみがついてまとう人生なんて嫌だ。蚊の鳴くようなか細い声は部屋に反響すらしない。その代わりに……随分と不機嫌そうな声が耳をついた。

「……バカなこと言うんじゃねえ」

伏せた顔を再び上げると、さっきよりも怖い顔が目に入って。私の自殺願望ともとれる言葉がどうやら癪に触ったらしい。

「死んでどうする!それでお前は満足かもしれねぇが、そんなことでお前の親が喜ぶのか!」
「っ……で、でも」
「でもじゃねえ!お前の母さんはつらい思いしてお前を産んだんだろ、父さんは必死に働いてお前を育てて来たんだろ!それをお前が踏みにじるつもりか!?」

言葉の一つ一つが容赦なく心臓に食い込んでいく。それを痛いと感じたのは、きっとお兄ちゃんの言うことを心のどこかで認めていたからだ。私を責め立てる言葉は同時に私を縛っていた罪悪感から解放する言葉でもあり、枯れたと思った涙がまた頬を流れた。
あぁ、本当はそんな言葉を待ってたのかもしれない。私が生きることを許してくれるような、そんな言葉が欲しかったのかもしれない。
お兄ちゃんが子どもに泣かれるのが苦手だと気づいたのはその時だ。私の涙を見るとぴたりと怒鳴るのをやめて、またハンカチでぬぐってくれた。小学生相手に言い過ぎたと思ったんだろう。
だけど私は"そうじゃない"と首を振った。涙が出たのは怒鳴られたのが怖かったからでも、まして彼の顔が怖かったからでもない。むしろ嬉しかったから。
事情が事情なだけに、大人たちは私を割れ物みたいに大事に扱った。だからこそ両親みたいに本気で向き合ってくれる人がいなかった。けど、お兄ちゃんは初めて私を叱ってくれた他人。家族みたいだと思えた赤の他人。

「泣くな……対処に困る」
「も、もうっ……泣かな、い、もん!」

嗚咽混じりで意地を張ると彼は笑った。怖い顔だけど優しい顔にも見えて、やっぱり不思議だなって思った。怖くて優しい赤鬼は、その日私の身体に空いた空洞を少しだけ埋めてくれた。
それ以来私はめっきり泣かなくなった。両親の死がつらくなくなったわけじゃないけど、虚しさは日に日に減っていったから。私もすぐにお兄ちゃんを慕う子どもの仲間入りを果たして、少しずつぽかぽか横丁の皆とも仲良くなっていった。
お兄ちゃんに会える日はそれはもう嬉しくて、最近あった嬉しいことやつらいことを話すと彼も真剣に聞いてくれる。たしか一緒にお菓子を買いに行ったこともあったかな、弟さんに買ってあげるつもりをしていた綺麗なお姉さんと遭遇した時には、親子と間違われてしまったけど。
そうした日々は私の空洞を埋めて、そして積もっていく彼への想いは簡単に穴を塞いで私を満たした。むしろ今では溢れる始末で困っている。
だから今日は、もう一度彼に伝えるんだ。あの日の感謝や、伝えきれなかった想い。私が溜め込んでしまったこの感情。
あの日と同じ言葉で言ったら、また"あたぼうよ"って笑ってくれるかな。

「私……まだお嫁さんになる気でいるからね、お兄ちゃん」

ぽかぽか陽気に包まれ、恋心は絶賛増幅中。
怖い顔した優しい貴方に今日は私から会いに行きます。


執筆者:巡歌

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