▼ この手がつかみしもの
俺は悩んでいた。何をかというと、どのタイミングで告白をするかである。苗字も俺を好いてくれているということは、両想い。俺とて男子学生で、好きな女子と交際して、それなりのことをしてみたいと思うのだ。
苗字があの本を読み終えた後、それを俺に知らせてくれる確率は79%とそこそこ高い数値のため、そのときに…と思ったが場所によるので決定はできない。臨機応変にせねばならん。と、そうこう考えて間もなくしてから、予想通り苗字が本を手に俺の元まできた。教室で話しかけてくる確率は低かったので、驚いたが、不都合なわけではないので構わない。
「これ、次借りるんだったわよね。なら、返しといて」
「分かった。面白かったか?」
「まあ…」
そう言って頷こうとしたが、急にはっとして、首を振りながら「全く」だと言った。それに対して何故かと問えばむっとした顔で本を指さした。
「どうして、最後に男からじゃなく女からプロポーズするのかわかんない。いくら女が強気だからって女々しいにもほどがあるんじゃないの。有り得ない。後書きで作者が逆にすれば良かったかもって書いてたけど、それならそうすれば良かったのに」
「フッ、面白くないと言っておきながら最後まで、しかも著者の後書きまできちんと読んだのだな」
「え、いや、別に。続き気になったし、何となくよ」
ばつが悪そうな顔をしてこちらを睨んだあと、教室を出て行ってしまった。校舎裏の日陰の場所に向かった確率、97.82%…否、100%だ。彼女から預かった本を引き出しに入れて、ノートを手に取った。そして、苗字が行ったであろう場所まで俺も向かった。
予測したそこのベンチに腰を下ろして、項垂れていたのはもちろんのこと苗字であった。今日はカラスはおらず、彼女だけがその空間に一人いた。
「はあ…またやっちゃった…」
いつもよりも近くに来ているので、読唇術を使わなくとも彼女の声は聞こえた。
「面白かったのに…あの本…。それなのに、何であんなこと言ったの…私…。素直に面白かったって言えば、もう少し本のことで話せていたかもしれないのに…馬鹿じゃない」
相変わらず頭をだらんと下げたまま、苗字は悔しそうに呟く。そんな彼女を見ながら、俺は足を踏み出す決意をした。好機逸ベからず。今が絶好のチャンスだ。
物陰から出て、彼女の方に歩み寄って行けば、俺の顔をそれはもう驚いた様子で見て、唖然としていた。
「やはり、面白いと思っていたのだな」
「………別にそんなんじゃ」
「俺はこの耳で確と聞いたぞ、ついさっき」
「…た、立ち聞き何て趣味の悪いことしないでよ」
仏頂面をして、ふいっと顔を逸らした苗字の隣に座れば、急に立ち上がろうとするものだから腕を引っ張り、俺の膝の上に座らせるように促して後ろから抱きしめた。
「な…っ!」
頬を赤くして照れている彼女に追い打ちをかけるように、耳元でこう囁いた。
「驚くかもしれないが、俺は苗字のことが好きだ」
「え、ええっ!?あんたおかしいんじゃないの」
「俺は至って正気だが?」
「私がほとんどの人から嫌われているの、柳なら知っているでしょ、とにかく離して…!」
聞く耳なんて持たない俺は離すどころか抱きしめる腕を強くして、もう一度「好きだ」と言った。すると、抜け出そうと必死にばたつかせていた腕と足を大人しくして、小さく呟いた。
「私、口悪いわよ」
「知っている」
「素直じゃないわよ」
「それも、知っている」
「友達が一人しかいないような嫌われ者よ」
次第に泣き出しそうな声になっていく苗字の頭をゆっくり撫でながら、俺はまた、彼女の耳元で優しく囁く。
「たとえ皆が苗字のことを嫌おうと、俺が苗字のことを好きなことに変わりはない。おかしいと言われようと、俺は苗字のことが好きなんだ」
両手をぎゅっと握れば、到頭耳まで真っ赤にした苗字は俯きながら「分かった」と言って俺の好意を受け止めてくれた。
そうして、付き合うようになった俺たちはクラスメートから恋人関係となったのであった。互いに誰にも言っていないはずなのに、一気に噂は広まり、「何故あんな彼女と柳は付き合っているのか」などと陰で言われている。しかし、俺は別れるつもりは毛頭ない。俺にしか分からない彼女の良さがあるのだ。
だが、彼女が俺のことを好きだということは元より知っていて、今も変わらずそのはずなのに彼女の口から「好き」という言葉を聞かせてもらったことはない。名前が素直でないと分かっていながらもそれを求めている自分がいるが、まだその時ではない。そう自分に言い聞かせた。
この手がつかみしもの
(それは、誰かを求めていたあの手)
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