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 雨だというのに、外を見つめる彼は、懐かしむような表情で微笑んでいる。

「……覚えているか?俺と会った日のことを」

 彼女は彼に向けていた視線を外した。そして、目を瞑る。すると、外の雨音とは違う音が脳に入ってきた。そう、あの日は…土砂降りで―――

*****

「はあ…」
 一人の少女が黒で淀み覆われた空を見つめ、大きな溜め息をついた。その音は雨音に飲み込まれ、空しさと憂鬱な気持ちが残るだけであった。もう一度、重たい首を上げ、恨めしそうに空を見てみるが、雨は止む気配はなく、少女は意を決するように鞄を持ち直した。足を踏み出し、走り出した彼女の髪や頬を雨は容赦なく打ちつける。服が濡れ初め、ぴったりと肌に張り付いたシャツとベタつく体に気持ち悪さを感じながらも走り続けた。それから、少し休もうと小さな屋根のある本屋に行った。店内には入らず雨を凌いでいると、店から背の高い、綺麗な顔立ちをした男が出てきた。閉じられている…いや、そう見えるだけで、もしかすると開いているのかもしれない目は特徴的だった。あまりまじまじと見ているのも失礼な上に、変わった人に見られかねないので視線を外すと、君、と呼ばれた。声を掛けられるほど可笑しな人に見えていたのかと思いながら、男に視線をやると、彼は大きな和柄の傘をすっとさした。
「入っていくか?」
「……へっ…?」
 予想だにしない言葉に思わず変な声が出た。嫌ならいいのだが、と横目で土砂降りの雨によって叩きつけられている道路を彼は見た。まあ、この状況で入るかと問われて嫌という者はいないだろう。
「えっ…でも…いいんですか?」
「いいから聞いたのだろう」
「そ、そうですね」
 はは、と笑って言うと、彼は雨に濡れた少女の腕を引いて傘の中に入れた。
「この土砂降りの中で、断るほど君は馬鹿ではなさそうだからな」
「すみません…」
「謝る必要などない。それより、家はどこかな?」
 まさか、家まで送ってくれるのだろうか。疑問に思って問うと、当前だと返された。そこまでしてもらうのは気が引けたので断ったが、押し切られて家までの道のりを説明したのだった。
「そういえば…名前、聞いてませんね」
「ああ、俺は柳蓮二だ。」
「私は苗字名前っていいます」
 苗字が頭を少し下げて小さなお辞儀をすると、柳が微笑んだ。
「確かその制服はすぐそこにある中学校のものだったな」
「そうですよ。柳さんの着てる制服は立海大附属高等学校でしたっけ?」
「惜しいな。俺は中学生だ」
 くすりと笑いながら言った柳に慌てて苗字はすみませんと謝った。容姿が大人っぽかったため、てっきり高校生かと思っていたのだ。
「いや、構わない。因みに三年だが苗字さんは?」
「三年ですよ」
「やはりな。同い年なんだ、敬語じゃなくともいいのだぞ」
 すると、彼女はひどく儚げな笑みを浮かべた。この雨に飲み込まれてしまいそうな、そんな笑顔。
「ふふ、それが同い年じゃないんです」
 病気で二年、遅れて学校に入ったから――
そう苗字が小さく呟けば、すみませんと柳は謝った。
「いや、いいです。それに敬語じゃなくとも…」
「それなら、苗字さんもだろう?」
「私は人間としてあなたより劣っています…体は弱いし、小さいし、いつまた発病するかわからないですし…」
「しかし、先に生まれた事実は変わらない。苗字さんは俺より長く生きている」
 彼の目が開いて苗字をしっかりと見据えた。ああ、やっぱりさっきは閉じていたのか、などと考えながらありがとうと言った。
「そう言ってくれたのは柳さんが初めて」
「フッ…この際、柳でいい」
「私も苗字でいいよ。あと…さ、お願いがあるんだけど…」
「何だ?」
「と、友達に……」
 口ごもると、柳は立ち止まって首を傾げながら苗字の顔を見た。目が潤み、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「友達、に…なって…ほしい……」
 彼女は、中学に二年遅れて入ったと言ったが、正確には二年と五ヶ月で、夏休みが終わってから登校し始めた。既にグループはできあがっていて、友達の輪に入ることは出来なかった。しかも、行き始めてからもよく休んでいたので友達を作れるわけもなく、彼女は学校へと通ったのだった。それから、少ししてある噂があることを知った。
"苗字の近くにいると病気がうつるかもしれない"
また発病する可能性があるので完治したとは言えないかもしれないが、一応は治った。それに、その病気も感染する確率はかなり低いものだった。だから、そう言われていることにショックを受けた。違う、とみんなに分かってもらいたかったけれど無理だった。学年中、もしかすると学校全体にも広まっているかもしれない噂をどうにかする力なんて持っていない。人の噂も七十五日と言うが、もう噂ではなく、苗字名前は重度の感染病を持っているから近づかない方がいい。そんな考えがみんなの中で定着してしまったのかもしれない。
 そして、三年になった今でも友達がいないのは、そのような学校で生活しているのだから当然なのかもしれない。
 友達がほしい。他愛もない話で笑いあって、悲しいことがあれば相談して、休みの日は遊んで、そんな中学生なら誰でもしているようなことをしたいと彼女はずっと望んでいる。
「や、なぎ…あなたならこんな私の友達に…なってくれる?」
 悲痛に歪んだ彼女の表情から柳は何かを感じ取った。
「もちろんだ。寂しかったのだな…」
柳は苗字の体をぎゅっと抱きしめた。雨に打たれて冷たくなった体だけでなく心をもあたためるように。
「っ…あ、りがとう…」
 苗字の頬に一筋の涙が流れた。それを指で拭った柳は彼女の小さく、指先まで冷え切った手を握って歩き出した。
 そうして歩いていくと、小さな古くて汚いアパートに着いた。その頃には既に雨は止んでいて、遠くの空は青かった。
「本当に、ありがとうね」
 にこりと微笑んでお礼を言った瞬間、彼女の体がぐらりとふらついた。柳は倒れる前に受け止めて顔を覗き込めば、えらくしんどそうな表情をしていた。
「苗字、大丈夫か?……熱いな」
 先程まで冷えていたとは思えないほど彼女の体は熱くなっていた。柳は慌てて苗字を抱き上げて家の中に入った。
「お邪魔します…。家の人はいないのか?」
「お母さんは仕事…お父さんはいない」
 すると、はっとした柳はすまないと申し訳なさそうに謝った。
「いや、知らなかったんだしいいよ」
 ひとまず苗字は雨で濡れた体を拭いて、制服から部屋着に着替えた。そして、布団を柳に敷いてもらい、中に入った。
「迷惑かけてごめんね」
「迷惑などと思っていないさ。友達だろう?」
 そう言いながら頭を撫でてくれた彼に、今日何度目かわからないお礼を言った。
 それから、自分や家のことについて話した。小学校を卒業する頃に重い病にかかって入院し、その一年後に父が病気で急死して、生活費や私の入院費のために母がパートを掛け持ちし始めたこと。退院しても、1ヶ月に一度は検査のために通院しなくてはならなかったし、すぐに風邪をこじらせるためにお金がかかった。しかも、中学に通い始めてからは更にお金が必要になった。だから、母はパートを減らすことができずに働き続けた。貧乏人の暮らしなど、きっと私立に通っている人には分からないだろうけど、同情からか柳は大変だろうと言った。
「すごく大変……。な、なんか、いきなり重たい話しちゃってごめん」
「いや、話すのは辛かっただろう…」
 そう言って彼はまた彼女の頭を優しく撫でた。その手がどこかあたたかくて涙が滲みそうになった。
「……あ、そうだ、柳の話聞きたい!」
「しかし、今は寝たほうが良いのではないか?俺の話はまた今度、たくさんしてやろう」
 少し残念そうな顔をしながら「約束だよ」と言って苗字は小指を出した。
「ああ、約束だ。」
 絡められた小指には嘘などなく、数日後に二人は待ち合わせたのであった。

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