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▼ お客様以上、恋人未満。

 とある喫茶店のマスターが淹れるコーヒーがとても美味しい。大のコーヒー好きの父から聞いた話なので味は相当のものらしかった。気になるそのマスターだが、意外にも年の若い容姿の整った長身の男らしい。愛想も良く、父は大変そのマスター自身をも気に入っている様子だった。あのコーヒーと人間性に関して辛口審査の父がそこまでいうマスターとはどんな人物なのか気になって、行ってみた。
 最寄り駅から乗り継いで、人気の少ない駅で降り、そこからまた静かな道を歩いていった。だんだんと目にする人の数が減っていき、しまいには全く会わなくなった。
 そして歩くこと約十五分。ようやく例の喫茶店に着いた。閑静な街の路地裏にひっそりとあるそこは見落としそうな場所であった。扉を開けると同時に鳴る鐘の音。次いで「いらっしゃいませ」という声が耳に入ってきた。
「えっと、こ、こんにちは」
「ほう、珍しい」
 私の顔を見るなりマスターと思われる男はそんなことを呟いたが、すぐに笑みを浮かべて「どうぞ」とカウンター席に座るよう促した。きょろきょろと周りを見渡しながら腰を下ろす。
「あ、あの、珍しいとは?」
「ここに来るのは殆どが常連客。だから、あなたのように初めて来るお客様は偶にのことなんですよ」
 ああ、なるほど。ということは、もしかすると父は結構前からここの店に通っていたのかもしれない。今更になって、何故私に話を出してきたのかは謎だが、父にも何かしらあるのだろう。
「父に教えてもらったんです」
「フッ、苗字さんのお嬢さんですね?目元がそっくりだ」
「ふふ、はい。よく言われます」
 それから、肝心のコーヒーを頼んで、飲みながらマスターと駄弁を弄した。コーヒーの味だが、かなりのものだった。私も比較的コーヒーはよく飲む方だが、今まで飲んだもので一番美味しいと言っても過言ではないほどで、また飲みたい。そう思わせるコーヒーだったのだ。それに、マスターと話すのもとても楽しかった。物腰柔らかで、とても話しやすく、いつまでも話していられそうな人だった。
 店を出るときに「美味しかったです。あと、すごく楽しかったです」と言えば、「ありがとうございました。またお越しください、お嬢さん」と微笑んでくれた。

 私は二週間に一回のペースでそこへ行くようになった。多いときは週に一度。コーヒーをゆっくり楽しみながら、課題や読書をそこで二時間ほどするのだった。すっかりと常連客になった私は、マスターともそれなりに仲が良くなり、敬語は使わなくなった。高校三年生になってからは勉強をよく教えてもらったし、大学生になってからは愚痴を聞いてもらうことが増えた。今日とて話を聞いてもらおうと思って店に向かった。
 鐘を鳴らしながら店に入れば、マスターは「いらっしゃいませ」と私に声をかけた。いつもと同じところに座れば、数分後にはいつものコーヒーを出してくれた。口で頼んでいないけど、マスターは私が何を飲むか分かっているから。
「今日はどうしたんだ」
「どういうこと?」
「課題も本も出していないということは、お嬢さんは話を聞いてもらいたいからここに来たのだろう」
「ああ、うん。さすがはマスター、お見通しなんだね」
 満足げな顔のマスターを見ながらコーヒーをのどに通した。うん、やっぱりマスターのコーヒーは最高。私好みの味で淹れられた、マスターにしか出せない味。自分でも、自分の好きな味のものをつくるのは難しいから、これを飲みたければここに来なくてはならない。これが飲めるなら少し遠い場所で多少のお金がかかろうと、かまわないと思ってしまう。
「それで、話なんだけどさ」
 コーヒーカップを静かに置きながら口を開いた。マスターは優しい表情を私に向けた。
「私は無意識のうちに人を分類してしまうの」
 鞄からメモ帳とペンを取りだして、しゃべりながら項目を書いていく。利己主義、利他主義、孤立主義、博愛主義、独善主義、平和主義、事勿れ主義…。
「人それぞれ生き方というものがあるでしょ?それがどういう類なのかって」
 自分の利益のためなら周りなど気にしない人、逆に他人のために自分を捨ててでも頑張る人、そもそも人と関わらないようにする人、度合いをつけずに全員を好きになろうとする人、自分だけが正しいと思っている人、何も起こしたくないようにと消極的に生活する人、平和をただ求め一切争いごとには入らないようにとする人。
 少し話をした人でも、即座に私は相手がどういった部類なのかと頭で判断する。ほぼ100%の確率でその判断は正しいもので、外したことなんて滅多になかった。そして、接する度にその人の度合いをはかる。例えば利己主義ならどこまで周りを見ずに自分のために行動を起こすか。といったようにだ。
 ペンを置いて、少しぬるくなったコーヒーを口に含んだ。口の中で広がる苦みよりも、心に広がっている気持ちのほうが苦い。何だか、複雑な気分なのだ。
「私は…さ、そうやって人を振り分けているのが嫌なんだよね。大学に行って今まで以上に色んな人間と出会って、前よりひどくなって…」
「分類することが何故嫌だと思うんだ?」
「偉くもないのに格付のようなことして、それって見下しているみたいじゃない?」
「俺はそう思わないが。それに、人をみることは悪いことではない。それが上辺だけの判断なら良くないが、お嬢さんはしっかりと考えて分類しているだろう」
 もう一度カップに口をつけて、マスターの言葉を脳内で繰り返して考えてみる。悪いことではない、と言える理由は何なのか。マスターは賢いから何となくそう言った訳じゃないと思うけど、私にはそれが分からない。だから、問おうと思って口を開けば、先に言われた。
「どうして?とお嬢さんは問う。それは、上手に生きていくためには相手をはかることは大切なことだと俺は思うからだ」
「上手に生きる…」
「そうだ。社会、世の中は広い。大学以上に色々な類の人間がいるし、厳しい世界でもある」
 そこで賢く生きていくために、相手を判断して、その人とどう接すれば良いかを考えることは必要となってくるスキルだそうだ。対人関係とは難しいもので、誰でも相性が合うわけではないため、相性の悪い人と関わるには普段と同じというわけにはいかない。
「…マスターありがとう。何だかちょっとだけ考えが変わった気がするよ」
「フッ、そうか。もし、見下している気がまだあるというのなら、教えてやろう。俺は学生の頃から人のことはノートにまとめているから、お嬢さんよりも質が悪いぞ。もちろん分類もしてあるからな」
 これでまた少し気持ちが変わったか?と笑顔で聞いてくるマスターを見て、思わず笑ってしまった。以前から彼を変な人だとは思っていたが、昔から変わっていただなんて。あんまり人のことは言えないが。
「マスターは面白いね」
「ほう、俺が面白い?それこそ面白いことを言う」
「あははっ、やっぱり面白い。普通はそんな返答しないもん」
 珍しく、少し困ったような表情を浮かべるマスター。すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みつつ、現在の時刻を確認した。まだ大丈夫かな。
「ねえ、マスター。久しぶりにココアが飲みたい」
 飲み干したコーヒーのカップを手渡しながら、にこりと笑った。マスターは「七ヶ月と十四日ぶりだな」とか言ったけど、実は昨日家で飲んだ。自分の作るココアがあまり美味しくなかったから、マスターの作るココアを飲みたくなったのだ。
 ココアやコーヒーや紅茶など、何かを淹れているときのマスターの真剣な表情が好きだ。もともと容姿が整っているというのもあるが、あの一点を見つめているときの顔がとても格好良い。微笑んでいるときもいいけど、私は真剣な顔つきの方が好き。
「どうぞ」
 ゆっくりと置かれたカップからは甘い匂いが漂ってくる。前を向けばいつもの表情をしたマスターがいて、少し残念に思いながら熱いカップを手に取ったが、ココアを一口飲んでその気持ちはどこかへ消え去った。ああ、美味しい。無意識のうちに口に出していたようで「ありがとう」とお礼を言われた。
「マスターの作るものは何でも好きだよ。コーヒーはもちろん、ココアも紅茶も食べ物も」
「そうか。では、俺自身はどう思う?」
 急に、というかマスターがそんなことを聞いてくるとは思わず、私は目をぱちくりしてしまった。だが、すぐに頬を緩めて答えた。
「もちろんマスターのことも好きだよ。面白いから」
「そうか、俺もお嬢さん…いや、名前さんのことが好きだ」
「ふふ、ありがとう。それより、名前知っていたんだね」
 お父さんから聞いたのかな、と首を傾げれば、そうだとマスターは頷いた。私もマスターの名前知っているよ、と言えばフルネームか?と問われ、答えた。
「柳蓮二さんでしょ?前から知っていたけど、マスターはやっぱりマスターかな」
 心の中で柳さんや蓮二さんなどと言ってみたが、何となく違和感があって、笑ってしまった。マスターはそんな私を見て「慣れだな」と言った。きっと、マスターも私の名前を知っていたけど“お嬢さん”が一番慣れているからそう呼び続けているんだろう。まだ学生だからいいが、社会人になってもそう呼ばれるのは些か恥ずかしい気もすると考えると、また笑いが込み上げてきた。
「っふふ、社会人になってもお嬢さんはやめてね。あっ、いけない、こんな時間」
 ふと目に入ってきた時計を見て驚いた。もう行かなくてはならない時間だったからだ。私は一気にココアを飲み干して、慌ててお金を机に置いた。
「ごちそうさま。また来るよ」
 乱雑に鞄の中に財布を入れて店を出た。そして、急いで駅へと向かう。そんな私は、マスターが店で一人、こんなことを呟いていたことなんて知らない。

「できることなら既に名前と呼んでいる。まったく…」

    

(名前を知ってくれているとは思わなかった。だが、きっと彼女は俺のことをずっと“マスター”と呼び続けるのだろう)


***
あとがき
学生の私にはまだ社会のことは分かりませんが、きっと厳しいのでしょうね…。
それより、柳さんが喫茶店のマスターだったらいいなあ、大人な柳さんにお嬢さんと呼ばれたいなあ、なんて思った結果がこれですよ。妙に楽しくて続きの話を書きたくなりました(笑)
(~20140111)執筆

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