あの女との出会いはいつからだっただろうか。いや、今更思い出したところで僕にとってはどうってことはない。なんとなく、ただいつもなら無心になって裁縫をするというのに今日に限って思考があの女を独占する。こんなことを考えてしまうなんて僕としては全くもってありえないこと。つい先日のヤツの発言からなるものだと予測するならばやはり出会うべきじゃなかったと酷く後悔するのに、思い出すたび胸焼けに似た感覚が身体中をむかつかせる。一度吐いてしまえばこの一瞬の苦しみから解放されるだろうか。いや、解放されたところで恐らくあの女が生きている限り無理な話なのだと皮肉めいた言葉を僕は、らしくもなく頭の片隅で思っていた。


『宗は、私のこと好き?』

何を言っているのかが、まず理解するのに時間を要してしまったことは確かだ。そして次にその発言に対して少しばかしの疑問を抱いてしまい思考を巡らせた時間に酷く後悔と苛立ちを覚えた。無言で押し通せば、『宗…聞いてる?』とその瞳は語った。必死になって僕の顔を覗き込もうとする姿に舌打ちして返せば一度諦める仕草をする。それでも諦めようとしないのがお米というもので、貴重な裁縫の時間を割かなければ収拾がつかなくなるのもヤツの悪い癖だ。

『やっと私のこと見てくれた。』

手を止めほんの一瞬お米を視界に入れたからだろう。恐らく他人からも、それこそ昔からの馴染みである鬼龍も気づかない僕の行動を一時も目を離さず見つめているのはこの女ぐらいしかいない。それはとうに昔から分かっていることで、自覚している自分にも酷く吐き気がする。

『宗は綺麗だね。瞳も、この手も指も…心も。』

そう言って僕の手に触れようとするヤツの手を避けると困ったようにそれでも嬉しそうにお米は笑った。このやりとりもいつもの光景だと思うようになったのはいつ頃からだろうか。いや、もう考えている暇なんてない。僕にはやるべきことがある。それは1分1秒も欠けてはならない。

思考を止め手元に集中する。今までのすべてがなかったかのように。最初からこの女となんか会話も時間を共有してこなかったように。初めから赤の他人だったかのように。記憶も全部なかったようにした。そんな僕の気持ちなんか気にもせずお米は息を吐くように呼吸をするように言葉を吐いた。

『聞いて。』

『宗…私ね、宗が好き』まるで機械のように『宗のすべてが好き』壊れた玩具のように『宗に恋をしているの』それでいて感情を訴えるように、その言葉掛けは僕の頭を刺激した。どうもヤツの声質は今日に限ってやけに甘ったるく、それにして僕の思考をぐちゃぐちゃと掻き乱す。これだから感情を持つ生き物は嫌いだ。感情を押し付けられれば僕の無かったはずの感情さえも無理矢理こじ開けられるんだ。特にこの女はそうだ。いつだって僕の感情を掻き乱してしまう。意図も容易く心の緩みを赦してしまおうとするのだ。

『宗は、私のこと好き?』


震えていたと思う。恐らく。気づかないふりをしていたとしても空気すらも震えていたと肌に感じていた。震えそうな消え入りそうなその見た目からじゃ捉えられないその繊細な作り物に僕は傷をつけることしかできない。だから、僕はあの女に残酷なことを言ったのだ。

「僕は君が嫌いだ。」

そう言い放った後、あの女の顔は見えなかった。いや正しく言えば見ることはできなかった。それはこの僕が恐れていたからだろうか?いや違う。恐らく面倒事になりたくないと思ったからだ。恐らくそれが正解だ。ならばあの発言は正解だったのだろうか?

その後の記憶はなく、あの女がどうしたのかは僕にとってどうでもいいことだった。では何故あの女の顔が今更になって過るのか。ふと、窓の外に目をやれば先ほどまでに煩わしいほどの太陽が暗雲に隠れ、窓に滴る水滴がまるで涙のようだと、またあの女の顔が浮かび上がっては消えた。

『宗に恋してるの』

まだあの女の甘ったるい声が頭を痺れさせて僕の思考を離してはくれなかった。



綺麗な言葉で恋だといって



恋をすることは汚れている。綺麗だと言った君も汚れて、恐らく言われた僕が一番汚れているのだと気づくのには何もかもが遅かったのだとどうしようもなく笑みが溢れたはずだった。
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