×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

「え、辞める?」
「もうバレそうなの!私は今、職を失いかけている!」

開店前の準備時間。「辞めたい」とマスターに強く訴えれば、彼はそれは困ったような顔をした。相変わらずこの店には私とマスターの二人しか居ないから、私が辞めて痛手を負うのは当然である。しかし、私は何度も他の子を雇えと言い続けてきたのだ。私だけではなくマスターにも責任の一端はある。一端どころか殆ど全てあると言っても過言ではないだろう。

「マジかよ、名前目当てのお客さんいっぱい居るから結構な痛手だな……。うーん、給料をもう少し出す、もう俺がギリギリの生活を送る羽目になるまで出す!だから新しい子が見つかるまでだけで良いからお願いって言ったら……?」

そう言われて、申し訳ない気持ちも少しだけ沸いてきた。これ以上給料を上げて貰えるなんて、きっと近くにできた人気店のナンバーワンバニーガールでも、私ほどは貰っていないだろう。
相変わらずお金に弱い私だ。露見してしまうという思考から、でも完全にバレたわけではないしという思考にあっという間にシフトチェンジしている。

「う……私もお金が欲しいし、ギリギリバレる手前までは働く。まずいと思ったら裏口から逃げる。仕事中であろうが、必死に逃げる。判った?」
「それで十分だ。見つかるまでよろしく頼むよ」
「もし前みたいに兵士たちを引き入れたりしたら、ボーナスをたんまりいただくから覚悟してよね」

きっと大丈夫、青い兵装が見えたら、急いで裏に引っ込めば良いだけだ。顔をジッと見られさえしなければ、バレることはない。誰かがバーに行くと話していれば、その日は休んでしまえば良い。念入りに化粧を施して髪型を整えれば、私はデルカダールの一兵卒とはかけ離れた姿になる。鏡の前で口角を上げ、作った声を出す練習をすれば、来客のベルと共に店内へと足を踏み入れる。

「いらっしゃーい!」
「よ、バニーちゃん!」
「お久しぶりですっ!ええと、アモンさん?」
「おっ!覚えてくれてたのかい」
「勿論です!さあさ、こちらにどうぞ」

向かいの人気店に食らいつく秘訣は、常連のお客様を掴んで離さないことだ。特徴的な長い髪に深緑のコートを見て、瞬時に名前が出てくるあたり、普段から鬼のように頭を使うホメロス将軍の講義を受けていて良かったと思う。

「今日は大丈夫?」
「うん」

店内をぐるりと一周見渡してみるが、城で見た顔は居ない。あとは、見回りの兵だけネックなのだが、鉄靴がタイルを叩く音を気をつけて聞いていれば、あちらが店に入る前に隠れることができよう。綱渡りのようなギリギリの状態に見えるが、不思議と落ち着いていた。試験前に湧いてくる謎の余裕と同じようなものかもしれない。

「バニーちゃーん!こっちビール!」
「はい、ただいま!」

城では変な噂が流れていたが、この店は何も変わらない。普段通り、お客さまから注文が入ればそれを受けに向かい、酒やつまみの用意ができたら席へと運ぶ。それの繰り返しで、気がつけばもう真夜中になっていた。壁掛け時計を見遣れば、仕事も残りあと数刻といったところ。明日は朝食前から訓練があるが、予定通りに上がることができれば、なんとか起きられるだろう──と、そんなことを考えながら働いていた時だった。来客を告げるベルがカランカランと音を立てた。

「い──」

扉へと駆け寄り挨拶をしようとすれば、目の前に突き出された銀色のダガー。言葉は直ぐに喉の奥に飲み込まれた。
目の前に居る男は、古臭いコートで顔を覆っている。何日も身体を清めていないような強烈な臭いと、城下町上層では悪目立ちするその風采。ふと、グレイグ将軍の言葉を思い出した。

“下層の強盗の話は聞いているな”

間違いない、下層で話題になっている強盗とは、目の前に居る彼のことだ。此処は上層だが、下層に隣接した場所にある為、彼らが無理矢理壁をよじ登ったり、屋根を渡ってくれば、侵入を許してしまう。また下層に近い所為で警備が行き届いておらず、直ぐ助っ人を呼ぶことは難しい。夜も更け、客足が少なくなるこの時間帯。更には男女二人で経営する小規模な酒場。強盗はずっとこの店に狙いを絞っていたのだろう。こちらはといえば、相手の思うツボで、客もいなければ兵士も来ておらず、この男一人を捕まえる戦力も居ない。体術の心得がある私でも、丸腰状態で武器を持つ男に勝てる見込みがなく、黙って両手を上げた。

「名前ちゃん、待っててな!いまお金持ってくるから、大人しくしていてくれよ」
「……っ」

ここで変に抵抗すれば、強盗の怒りを買うだけだ。そうすれば、マスターにも迷惑がかかってしまう。閉店前で気が抜けて、直ぐ強盗に気づかなかった自分が悔しくて。唇を噛み締めながら、渋々頷いた。

「これで良いだろ、用が済んだならさっさと立ち去ってくれ」」
「んん……?これしかねえのか?もっとあるだろ、あるだけ寄越せ!」

硬貨が入った袋の中身を確認するなり男は激昂し、私の身体から離れたと思えば、目の前に居たマスターの腹を強く蹴り上げた。

「ぐっ……!」
「マスター!」

マスターの身体が宙に浮き、激しい音を立てて床に叩きつけられる。男は怒りが収まっていないようで、ダガーを片手にカウンターに入ると、物を投げ散らかしながら荒らし始めた。私たちも客も、その様子を唖然としたまま眺めていたが、ふと我に返った。私の身体が開放されたのだ。あの男を叩きのめすチャンスは今しかない。

「……ちょっとそこのハゲおやじ!トイレからモップ取って来て!」
「ば、バニーちゃん!?」
「良いから早く!」

外に出て助けを呼ぼうとも思ったが、そうなればこの店の中にあの男を止められる人はいない。私が戦う他無いということだ。客の男から渡されたモップをキャッチすれば、カウンターの中に回り、素早く強盗の頭部へと振り下ろした。

「はあっ!」
「な……て、てめえ!」

モップを槍のように振り回し、強盗の手からダガーを叩き落とせば、店内はたちまち大歓声に包まれた。二階や階段の踊り場に避難した客が、私たちを見て手を叩いている。あろうことか、コインを取り出している客も居る……酒に酔って闇賭博か何かと勘違いしているのだろうか。ふつふつと怒りが湧いてきたが、彼らに構っている暇は無い。
強盗の男を仕留めれば、再び入り口の扉が開いた。騒ぎを駆けつけてやって来た人物かと思えば、これまた柄の悪い男が数人飛び込んでくる。

「なんだなんだ、女にやられるたぁ、情けねえなあ」
「チッ……油断しただけだ」

どうやら、外に仲間が控えていたようだ。此処はギリギリであれデルカダール兵の警備が行き届いている場所であるから、さすがに一人で乗り込んでくるようなことはしなかったのだろう。床に倒れ伏した男はマスターに任せて、数人の男と対峙する。勝てる自信があるかと問われれば殆ど無いのだが、だからといって逃げるわけにはいかない。この店を守り抜いた暁には、マスターからたんまりボーナスを貰ってやるんだから。

「よっ、と!」
「おーいけいけバニーちゃん!」
「ちょっと!見世物じゃないから!」

本音を言えば猫の手も借りたいほど追いつめられているが、客に怪我をさせるわけにはいかない。マスターは男ひとりを取り押さえるので精一杯である。時折カウンターの方から飛んでくるグラスが強盗たちに当たり、怪我を負わせてくれてはいるが、それ以外は私ひとりで数人を相手に戦う。いくら私が城で厳しい訓練を受けているとはいえ、まだまだ半人前であるし、剣術の成績は良くないし、女性であるし、酒も飲んでいるし……考えれば考えるほど、不利な状況であるという言い訳しか出てこない。戦闘は次第に劣性になり、ついに壁側まで追い詰められてしまった。ダガーの斬撃を庇うために、咄嗟にモップを手前に構えたが、その隙に別な男も構えていたダガーを振り下ろした。咄嗟に身を捩って避けたが、刃先は薄い布へ容易に食い込み、遂には私の肉を裂いた。

「きゃっ!」
「バーカ、女ひとりにやられてたまるかっての」

まさに絶体絶命のピンチ。傷口を庇いながら、複数対一で戦闘を続けられる訳がない。最後の力を振り絞り、強盗共を振り払ってしまおうともう一度モップを構えた時――店のドアが勢いよく開く。また強盗の仲間がやって来たかと身構えれば、店内に響いたのは良く知る鉄靴の音だった。

「おーい!兵士さまを呼んできたぞ!」
「クソッ!」

どうやら、どさくさに紛れて店を抜け出した客が、デルカダール兵を引き連れて戻ってきてくれたようだ。店の中はあっという間に青い兵装を纏った兵士たちに占領され、強盗たちは私に背を向けた。大怪我は免れたと安心したのも束の間、近くに居た男に手首をグッと掴まれ、身体を拘束される。腰や胸を、固く太い腕がきつく締め上げ、首元には鋭い刃が付きつけられた。

「城の者だ、観念するんだな」
「それ以上近づくとこの女斬っちまうぞ」
「……」

まさか一日で二回も人質にされるなんて。しかし、私はまだ諦めていない。寧ろ、先程よりも状況が良いのだから。兵士と対峙する強盗たちの様子を窺い、私に対しての注意が逸れるその瞬間を狙う。じっくりと彼らの目を、動きのひとつひとつを見極め、私を拘束するその手の力が緩んだ一瞬を見逃さない。

「隙あり!」
「ぐあっ!いってえ!」

腕から逃れ、足を強く蹴れば、男の身体はバランスを崩してぐらりと揺れる。まるでドミノのように、次々とバランスを崩す強盗たちに、兵士たちが飛び掛かった。

「捕らえろ」
「はっ!」

ふと、グレイグ将軍の声が聞こえて顔を上げれば、彼は険しい顔で右手をぐっと握り兵士たちに指示を出していた。そこで漸く、自分がこんな格好をしているところを兵士たちに晒していると気づいて、顔を隠しながらマスターが居るカウンターへと避難する。切傷にホイミを唱えれば傷はみるみるうちに塞がった。傷も治り、体力も回復したはずなのに、心は疲れ切っていて。深く溜息を吐けば、マスターが心配そうに声を掛けてきた。

「大丈夫?」
「うん……そんなに深くないから大丈夫だよ。名前こそ、怪我はない?」

マスターが、うっかり私の名を呼んだ時だった。カウンターの外からガタンと大きな音が聞こえたかと思えば、グレイグ将軍がこちらをまじまじと見つめていた。

「名前?」

反芻されたその言葉を聞いて、肩が大きく跳ねた。疑問を抱いているように眉根を寄せた表情は、段々と確信を持ったような険しい表情に変わり、大きく見開かれた瞳は私の姿を掴んで離さない。

「やはり、お前なのか」
「……」
「こいつらの処分は城で行う。では失礼する」

肯定の言葉も、否定の言葉も出なかった。黙って下を向けば、グレイグ将軍は兵たちの方に振り返り、捉えた強盗と共に店の外へと消えて行った。静寂が訪れたのも束の間、店内はざわめきに包まれた。私を褒めるもの、労うもの、諫めるもの、様々な言葉が降りかかってきたが、私の頭にはそれらのどれも入ってこなかった。全て、グレイグ将軍が見せた確信的な表情が頭から離れない。

「もう!何で名前出しちゃうんですか!マスターの馬鹿!」
「痛い痛い!そこ蹴られた場所!」

夜が明ければ仕事という事実から、全力で目を背けたくなった。グレイグさまは、絶対に私が「名前」であると確信しただろう。仕事は勿論クビになるだろうし、もしかすると地下牢行きになるかもしれない。兎にも角にも、今まで通りの生活を送ることができないということだけは確かである。

「はあ……どうしよう」
「う、うちの店で働く?」
「絶対に働かない!とりあえず今日は帰るから!」

飲み屋の仕事なんて、あと数年も経ってしまえば若くて可愛い子たちに追いやられてしまう。城での仕事は一生モノだから、死んでも続けてやると思っていたのに。グレイグ将軍も、ホメロス将軍も、私の好意を許してくれる人だとは到底思えない。
どうしようかと頭を抱えながら兵舎に戻る頃には、山の端から青白い光が顔を出していた。仕事が終わるはずの時間から、もう数刻も経っているようだった。だが、私の身体は兵舎に戻ってベッドに入っても、眠気を感じることはなかった。


BACK