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酒場の仕事が終われば、城下町にはもう人の気配すら無い。バニースーツの上にローブを着込み、閑散とした城下町を抜けて兵舎へと戻る。日が昇れば水を浴びてすぐ訓練場に向かわなければならないため、睡眠時間はほんの僅か。それでも麻袋の中に入った数枚の金貨の代わりであれば安く感じるものだ。

「あれ名前、眼鏡なんて掛けてたっけ?お洒落か?」
「これは、その……唐突に目が悪くなっちゃってさ!」
「お前ボウガン上手いからそこそこ目が良かったはずだろ?」
「そうなんだけど、急にね、うん……」

模擬戦の相手となった顔見知りの同期に話しかけられる。
今の私は普段とは違う瓶底眼鏡にひとつ縛りという生真面目スタイル。もちろん、新入りの中でボウガンの天才と謳われている私は、産まれてこのかた視力が頗る良好。人生で一度も眼鏡をかけたことなど無かった。無かったのだが、かける羽目になった。理由は勿論、酒場の仕事をしている時にグレイグ将軍を始めとした見回りの兵士と会ってしまったから。「やっぱり昨日酒場にいたバニーガールじゃん!」と言われてしまったら最後、仕事をクビになるならまだしも最悪地下牢にぶち込まれるかもしれない。そう思うと恐ろしく、頑張って早起きをして下層のガラクタフリーマーケットで瓶底眼鏡を買ってきたのだ。残念なことに視界がぐにゃりと歪むほどの分厚い眼鏡しか無かったのだが、変装していないよりかはマシである。

二人とも木刀を構え、手合わせが始まりかけたところで、視界の端に飛び込んできたのは漆黒の鎧。それをこっそりと目で追えば、ツカツカと歩いてきて目の前で止まる。花緑青の瞳孔がこちらを睨んだ。どうやらグレイグ将軍は、私たちの手合わせを見るつもりらしい。こんな時に、タイミングが悪い。

「どうした?顔が青いぞ」
「な、なんでもない……大丈夫、深呼吸……」

私なんて、ただの新入り下っ端兵士。グレイグ将軍も私の顔をよく覚えてはいないだろう……と信じたい。覚えていれば、昨日の時点で声をかけられるはず。将軍が気を使って声を掛けないなんてことがあるわけがない。でなければ、きっとこの人は鈍感の中の鈍感だ。グッと木刀を構えて同期の目を見る。グレイグ将軍を絶対に視界に入れないように、ただ一点に集中する。

「いくよ」
「どこからでもかかってきな」

木刀がぶつかり合えば、痺れるような衝撃が手首を襲う。サイズの合わない眼鏡が耳朶からずれ落ちたが、直している暇はない。次々と繰り出される相手の攻撃をなんとか食い止めてはいるものの、次第に視界は歪み目が追いつけなくなってゆく。

「はっ、どうした!動きが鈍いな」
「いつも通りだから!」

間合いを取れば、やけに視界がぐにゃりと歪んだ。このままでは負けてしまうと思い、眼鏡を外すべきか悩んでいると、同期が木刀を大きく振りかぶった。防がなければと剣の端を握ろうとした左手は、……視界がずれているせいで大きく宙を掴み、支えを頼りにしていた右手の力は呆気なく抜け、私の持っている木刀はカランと音を立てて地面に落ちてしまった。

「おらあ!」
「きゃっ!」

相手の木刀はそのまま脳天へと直撃し、衝撃を受けた身体は後ろへと弾き飛ぶ。驚いたグレイグ将軍の顔が見えて、「将軍の前で恥をかいてしまったな」と思うと顔に一気に熱が集まった。

「……おいおい、大丈夫かよ」
「いったた……」
「いくら剣術の評価が「可」だからといって、まさか脳天に直撃するとは思わなかったよ、ごめん」
「いや、私が悪いから……というかさらっと傷を抉るのやめて」

差し出された手を掴んで上体を起こせば、目の前には眉根を釣り上げたグレイグ将軍が立っていた。解けていた緊張が一気に高まる。

「手合わせの最中に気を抜くな、実戦で失敗すれば命を落としかね……」
「グレイグ将軍!申し訳ございません!」

慌てて頭を下げれば、次の叱咤の言葉は降ってこなかった。顔を上げても良いのだろうか……とちらりと視線をやって様子を伺えば、グレイグ将軍はこちらを見たまま固まっていた。

「む……」
「あの……将軍?」
「はて、今まで眼鏡を掛けていたか?」
「さ、最近買いました!私目が悪くなってしまってですね……!」

慌てて言い訳をすれば、掛けていた眼鏡をひょいと取られた。グレイグ将軍はそのまま私の眼鏡をじっくりと覗き込む。

「……強いな、こういったものは弱いものから慣れさせねばならん」
「すみません……」

てっきりもっと怒られるのかと思ったが、予想に反してそこまでキツくあたられることはなかった。それどころかいつもより異様に優しくはないだろうか。

「……グレイグ将軍?あの、眼鏡を……」
「……」

それを返して欲しいと手を伸ばせば、グレイグ将軍は少し固まった後、ハッとして眼鏡を手渡してきた。このまま顔を合わせ続けて昨日のことを思い出して貰っては困るので、慌てて眼鏡をかけ直す。

「では気をつけるように」
「はい!」

ようやく目の前から去って行った黒い背中を見て、一気に身体の力が抜けたような気がした。周りの兵士も一人また一人と手合わせに戻り、訓練場にいつもの空気が戻れば、ようやく先程の相手であった同期に話しかけることができるようになる。

「はあ……びっくりした……」
「グレイグ将軍は女兵に甘いのか?俺なら相当怒られてたぜ」

私も今までは男兵と同じようにキツく叱られていたのだが……と言おうと思ったがやめておいた。今日はたまたま機嫌が良かっただけだろう。明日にでもなれば、普段通りの厳しい指導をされるはず。先程こちらの目を見て固まっていたことは私の勘違いであって欲しい。

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