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「#幼馴染」のBL小説を読む
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いつものように、ダイニングテーブルにコーヒーを二つ用意し、朝食が出来上がるのを待っている時だった。カランカランと、来客を告げる玄関のベルが鳴らされた。滅多に鳴らないそれに不信感を抱きつつも、客人を出迎えようとすると、鍋の火を止めた名前が「私の家だから私が出る」とエプロンを外して玄関へ向かって行った。

「どちらさまですか?あ……」

そこで名前の声が途切れた。様子を見る為に椅子から立ち上がり、ダイニングを抜ける。
玄関には、白い服に身を包んだ壮年男性が立っていた。俺がそこに着くと同時に名前は困惑の表情を浮かべながらこちらを見上げてきた。そこで、男性が冥府の役人であると察したのだ。

「ホメロス、……丁度良かった」
「おはようございます、役所の者ですが」

男性がこちらに向かって一礼した。名前はそこから一歩下がって、茫然とした表情でそれを見ていた。あまりにも突然の出来事だった。いつかとは思っていたが、今日明日にそれが来る覚悟はできていなかったのだと思った。だが今更泣き喚いても定められたものは覆らない。

「あなたがホメロスさんですね。ここに左手を」

男が手を差し出した。言われるがままその上に、自分の左手をそっと乗せる。すると、左手首に薄らと赤い……刺青のような帯が描かれた。

「これで、良いのか?」
「ええ。では、明日のこの時間までにこちらへお越し下さい」

それから、男は鞄から一枚の紙切れを取り出した。どうもこの街の地図のようなもの。赤でバツ印が描かれた建物は、自分がこの世界に来た時に倒れていた場所のすぐ近くだった。ここから随分と遠いが、きっと此処が冥府の入り口に繋がる場所なのだろう。

「……ありがとうございます、お疲れ様です」

名前は震える声で男に一礼した。男も同じようにこちらに一礼した後、早々と去って行った。自分はと言えば、あまりに急な出来事で言葉すらも出なかった。もうこの世界に居られない、その現実が上手く飲み込めないでいた。
どうすれば良いのやら、名前に視線をうつすと、目が合った。彼女もどうすれば良いのか分からずに動揺しているようだった。何もない玄関をきょろきょろと眺めて、静かに目を伏せるその姿に心が痛む。

「なんだか、いきなりだったね。遠目から見れば遅かったけど、ホメロスと過ごした時間があまりにも楽しかったから、あっという間な感じがする」

心を落ち着かせるように、ダイニングに戻ってテーブルについた。名前も作りかけのポリッジをボウルから取り分け、カットしたフルーツを載せ、生焼けのベーコンと目玉焼きに火を通すと、それらをテーブルに並べた。

「明日のこの時間には、もう向こうに着いてなきゃいけないから、これが最後の朝ごはんになるね。なんだか寂しいな」
「……ああ」
「いつもより少し豪華にしたの。余ったフルーツ全部入れた。うん、これならホメロスも来世まで覚えていること間違い無し」
「さすがにそれはないだろう」

名前が席につくと、その色鮮やかなポリッジを口にした。いつもと変わらないそれを、いつもの何倍も味わいながら飲み込んだ。冷たくなったコーヒーも、何もかもをまるで自分の記憶にはっきりと刷り込むように。

「おいしい?」
「美味しい」

そう答えると、名前は「だよね」と得意気な顔をした。やっぱり私の作る料理はおいしい!と自画自賛しながら食べ進めるいつもの名前の姿を見ると、自分の左手首にあらわれた薄い帯がまるで嘘のようだ。それでも、その帯に先程までは無かったはっきりとした赤が映されているのを見ると、やはりもう時間が無いという現実に引き戻される。

「すまないな」
「なんで?」
「寂しい思いをさせる」

そう言うと、名前は食べる手を止めて、悲しそうに笑った。

「大丈夫、最初から判ってたから」

それから、何も言わずに名前の作った料理を口に運んだ。食べ終わった食器を下げて、外にある井戸から水をくむと、いつものように彼女が食器を洗う。今までは水を汲めばすぐリビングへと向かっていたが、今日は名前が食器を洗うその姿を見ていた。二人で過ごす時間のリミットは、今この時も刻々と迫ってきている。
今日は何をするかと問われたが、特に何も思い浮かばなかった。それよりかはいつも通り過ごしたいということを伝えると、結局今日も本を読んだりして過ごすようになった。二人で同じソファーに腰掛けながら、他愛ない話をする。ただそれだけ、何もない時間だったのにも関わらず、これまでに無いほど満たされていた。現世に居た頃、明日もし世界が終わるとしたらどうすると問われた時、たしか「普段のように過ごす」と答えたことがある。二人でこうして過ごす時間がもう無いと実感できた今、そのときの問いに対する答えが正しかったのだと知った。こんな世界でも、自分は名前との何気ない生活に幸せを感じていたのだから。

「もうすぐ手紙が来るんじゃないかって思ってたんだ……だからもっとホメロスと一緒に居たくて、ずっとホメロスの部屋のソファを借りてたの。ずっと言えなくて、ごめんね」

肩にもたれかかってきた名前の圧を受けながら、やはりなと思った。恥ずかしそうに俯きながら本を読む名前の頭をくしゃりと撫でる。まさか彼女の口から弱音にも似たその言葉が出てくるとは思わなかったが、こう正直に言ってくれるとやはり嬉しいものだった。

「知ってた」
「え!ホメロスもしかしてエスパー?」
「さあな」
「大人はなんでもお見通しだね。うう……恥ずかしい」

その言葉通り、名前の耳は赤く色づいていた。



気づけば腕の帯は四分の一ほどまで赤く染まっていた。おそらくはこの帯がすべて赤色に染まった時、それがこの世界に留まっていられる刻限であろう。もう暫く読書をした後は、二人で買い物に出かける筈だ。本当に、いつもと何ら変わらない過ごし方。ただ、二人を取り巻く空気だけはいつもよりもどこか悲しい。

「此処に来てから、残される人の辛さを何度も味わうようになって、ようやく気づいたんだ。今更だけど、私が死んだ時もみんな結構辛かったのかな」
「それは、そうだろうな」
「ホメロスは泣いてくれた?」
「……覚えていない」
「そう」

嘘をついた。あの時、真っ先に名前が受け持っていた場所へと駆けつけた仲間は、皆涙を流しながらその亡骸を見つめていた。それは名前とこの冥府で出会ってからふたたび呼び醒まされた記憶だったが、あまり思い出したくないものだった。言葉にするのも躊躇われて、何も知らないふりをした。

「夜また部屋に行っても良い?」
「今更だな。ダメならとっくに断っている」
「なら素直に良いって言ってよ」

いちいち回りくどい言い方するなと怒る名前は、やはりどこか寂しそうに眉根を寄せていた。

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