×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

月光@
羊皮紙に書いた文字を丁寧に目で追い、誤字脱字が無いことを確認すれば、デルカダールの国章が刷られた封筒に折り目が付かないように仕舞い込んだ。赤色の封蝋を垂らし「大魔道士の杖」を模した半月を押印する。魔力を集中させた右手から生まれた小鳩に、その手紙を括り付ければ、上体を後ろに傾けながら大きな欠伸をした。

朝の仕事は一先ず落ち着いた。台所へ軽食でも取りに行こうかと、肘掛に体重をかけながら立ち上がった刹那、視界が大きく傾く。
今日は朝から体調が悪いのだ。先日のネルセンの試練による疲れが残っているのだろうか、下を向き漸く眩暈が治まれば、私室のドアを開けて廊下へと出た。

「おはようございます……」
「おはよう」

すれ違ったグレイグさまの顔を見上げる動作でさえも怠さを感じてしまって、目も合わせぬまま辛うじて挨拶を済ませれば、すれ違った背後から呼び止められた。

「名前、待て」
「はい」

静止すれば、グレイグさまはこちらへとやって来て私の顔を覗き込んできた。やはり、具合が悪いというのが嫌でも伝わってしまう。私自身も、それを隠し通すことができないほどに参っていたものだから、どうするべきかと悩んでいたのだ。

「どうした、具合でも悪いのか」

否定したところで自分の首を絞めるだけであって、そもそもグレイグさまにすら察されてしまうくらいならば、傍から見ても私の体調が良くないことは明白なのであろうから、素直に頷いた。

「まだ疲れが溜まっているんだと思います。職務は普段通りこなしますので、大丈夫です」
「……そうか」
「今日は魔法学の講義もありませんので、ずっと私室に居ようと思います。お気遣いありがとうございます」

顔を顰めるグレイグさまに頭を下げ、台所へと向かう。軽食が欲しいと頼めば、焼き立ての白パンとサマディーから仕入れたという星型のフルーツを渡された。銀のトレイにのせたそれを部屋まで運べば、台所への往復だけで既に息が上がった身体を休めるようにベッドへと倒れ込んだ。
自分が此処で夜を明かすことがなくなっても、侍女がシーツは定期的に取り替えてくれてるらしく、爽やかで清潔な香りが鼻を擽った。シーツに包まり膝を折れば、もう立ち上がる気力もなくなってしまった……パンが固くなってしまう、フルーツが乾いてしまう、そう思うのに四肢は錘がつけられたように動かないし、熱は相変わらず強さを増して私の身体を支配している。

「はあ、風邪でもひいたかな……」

体調を崩したのは、ユグノア王国跡で風雨に晒された時以来だろうか。ホメロスさまと過ごすようになってから、城に居た時よりも行動力も免疫力も上がっていたと思ったのに、こうも風邪を患ってしまうとは本当に情けない。
思い当たる節は、試練の里に辿り着く道中でシケスビア雪原に似た場所に放り出されたことだが……雨に濡れたわけでもないし、寧ろフバーハで自分の周りの空気を適温に保っていたのだが。

そんなことを考えていれば、ふと頭に浮かんだのはネルセンに叶えて貰った願いの存在であった。彼の力を持ってすれば、体調不良を引き起こすことも可能と言えば可能なのであろうが──。

「まさかね、……風邪ひきたいなんて、願った覚えも無いし、ネルセンさまもそんな願い叶えようと思わないよね」

それは流石に無いだろうと思いつつも、一度疑ってしまえば気にもなるというもの。原因不明の体調不良の正体が、不可思議な力の所為ならば納得がいくからだ。とは言いつつも、仮にネルセンの仕業だとして私のどんな願いを叶える為にそうしたのかは全く想像できない。だが不思議なことに、「願いの所為」という可能性が頭の中からいつまでも抜けないでいた。

**

国務が終わる頃には、西の空を茜色の鰯雲が彩っていた。文官たちから受け取った書類を整理し、机の上をまっさらにすれば、侍女の見送りの元バルコニーからバンデルフォン地方へと移動呪文を唱える。

ぼんやりとする頭を抑えながら、家の扉をノックすれば、珍しくタイトなトップスに細身のロングブーツを身に付けているホメロスさまが居た。はて、何かあったのだろうかと思考を巡らせていれば、昨日寝る間際に稽古を頼み込んだことを思い出す。その為に戦い易い格好をされているのかと、納得すると同時に頬が緩んでしまいそうになって、慌てて唇を引き締めた。

「……と言うわけで、武術と魔術の指南を頂きたいです」

そう言えば、ホメロスさまは一瞬で眉間に皺を寄せた。「面倒臭い」という言葉が脳内で再生されたような気がする。剣術と魔術、それぞれ単体ではなく、二つを織り交ぜた高度な技術を必要とする稽古であるから、勿論、二つ返事で了承してくださるとはハナから思っていない。とは言え、ホメロスさまの服装を見て少し浮かれていた心が、どん底まで突き落とされたのは事実であった。

「私はもうお前の上司でもなければ、くだらないことに付き合う暇も持ち合わせていない」
「ホメロスさま以外に誰も居ないのです。引き受けてくだされば、家事は私が全て引き受けますし、それと……ええと……」

どうにか承諾してもらおうとあれこれ思案するも、私がホメロスさまのためにできることなど僅かしか無く、結局素直に頭を下げた。

「……どうかお願いします」

下げ続けている頭に血液が溜まって、ただでさえぼんやりとしていた視界が更に強く揺らいだが、それでも顔を上げずにいれば、ホメロスさまは深い溜息を漏らした。

「……判った」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
「断っても執拗くせがんでくるだろうからな、仕方あるまい」

嫌味な言葉も嬉しいと感じてしまうほどに、飛び上がって喜んでしまった。ホメロスさまはこちらを一瞥すると、家にあった二振りの木刀を持ってさっさと外へと出て行った。私も慌てて動き易い服装に着替え、髪をひとつに結えば、急いでその後を追う。

ホメロスさまに向かい合って一礼すれば、大杖を構えた。直ぐさまスクルトの詠唱を唱え、間合いを取りながら出方を伺おうとしたのだが、その間に守りの構えを取られてしまう。私が繰り出す斬撃は、殆どホメロスさまの双剣に弾かれてしまい、物理攻撃に気を取られている隙に、私を守っていた光の壁は消えてしまった。魔法を唱える隙も与えられず、ホメロスさまに少しも攻撃を当てることができていないのに、心臓は限界まで鼓動を早めていた。一方で彼は息も乱れておらず、ただこちらを見据えている。

「……はあ、はあ、……驚きました。まさかここまで追い詰められてしまうなんて。てっきり家にいらっしゃる時は、ずっと本を読んでいるものだから、私でも少しは太刀打ちできるまで追いつけたかと思っていたのに」
「……ふん」
「やはり物理攻撃の技術も磨かなければなりませんね、こうして一対一になってしまえば、勝ち目が無いですもの」

そう言えば、ホメロスさまは手に持っていた木刀のうち一振りをこちらに寄越した。どうやら剣術の稽古もつけてくださるようだ。剣の心得はあったが、何せこうして握るのは久方ぶりで、上手く扱えるかどうかも判らない。ジエーゴさまの講義を受けていない私の剣は完全に見様見真似で、ホメロスさまの前でそれを披露するのは少しばかり抵抗があった。

「我流なのであまり見栄えの良いものではないのですが」
「良いだろう」

木刀はブロードソードよりも幾分か軽いのにも関わらず、握る手は緊張で震えていた。
姿勢を落とし、下から斬り上げるように剣を振るえば、それを掬い上げられるように弾き飛ばされた。木刀が手からすり抜けそうになるのを堪えている間に、ホメロスさまが剣を振りかぶる動作をしたため、頭上でその斬撃を受け止めれば、直ぐさま背後へと回った。振り返り際、ホメロスさまの利き手である右から再び斬撃が飛んでくるだろうと踏んで右方への防御に集中しようとすれば、予想と反して逆方向から大胆な剣筋が飛んできた。

「逆だ」
「なっ……あ!」

右方に集中していた頭がそれに気づいた時には時すでに遅し。強い斬撃を受けた身体は耐え切れずに宙へと放られ、背中から地面へと叩き付けられた。

「っ……たた……心理勝負でも負けてしまいました……はあ」

私が右方に集中していると踏んで、敢えて隙ができる左方から攻撃を食らわせてきたのだろう。定石通り戦っているように見えて、こういった大胆な手も取ってくることをすっかり忘れていた。ホメロスさま相手に冷静さが欠けていた時点で、私はまんまと彼の罠に嵌っていたというわけだ。背中に鈍痛が走って思わず顔を歪めたが、これしきで稽古を終わらせるわけにはいかない。上体を起こし、もう一度立ち上がろうとしたのだが、その意思に反して身体はこてんと地面に転がってしまった。もう一度肘をついて起こそうと思うも、上手く力が入れられずに、立ち上がることができない。

「あ、あれ……」
「どうした、今日はもう終わりか」
「た、立ち上がれない……です」

伸ばした左腕をグッと引かれてなんとか上体を起こすことはできたのだが、その状態を保てずに再び地面へ倒れそうになるところを、背中に腕を回されて支えられた。そのまま無理矢理立たされたものの、立ち眩みが起き足元も覚束なく、結局ホメロスさまに背負われる形となった。

「ホメロスさま、その」
「何だ」
「いえ、何でもありません……ありがとうございます」

重いでしょうと、そう言いたかったのだが、今はこうしてホメロスさまに素直に運んで貰うしか術は無い。彼が余計な気遣いを好まない人だということは知っていたから、有り難く背負って貰おうと口を噤んだ。
汗ばんだ背中からは、体温が直に感じられられて、まるで直接触れているようだと、自分で恥ずかしくなってしまいそうな考えすら浮かぶ。ホメロスさまの背中に体重を預けたのはいつ以来か、幼い頃に先代に頼まれて私の面倒を見ていた時に数度あった程度だろうか。まさかこんな大人になってまで、こんなことをするとは思わなかった。彼が相手だと、私はいつまで経っても子供のようだ。

「今朝から具合が良くなかったんです。きっと試練の疲れが残っているのかと思います……」
「その身体で稽古を申し込むなど、馬鹿だとしか言いようが無いな。焦りは身を滅ぼす……あの剣が木刀だったことに感謝するが良い」

運び込まれたのは私の寝室ではなくホメロスさまの寝室だった。互いの寝室に入ることは無かったものだから、布一枚で遮られていたとはいえ、新鮮に感じられてしまう。私に気を遣ってくれたのか、単に他人である私の寝室に足を踏み入れたくなかったのか──城に居た頃は私の部屋にやって来ていたから前者だとは思うのだが、ホメロスさまはこうして己のベッドに私を運んでくださったのだろう。彼のベッドが汗と泥で汚れてしまうのも嫌だったが、私のベッドスペースには着替える際に脱ぎっぱなしにしていた下着が放置されているものだから、それらを見られなくて良かったと安堵した。

「ご迷惑をお掛けして、すみません……」

リネンのシーツには、香油の香りが染み付いていて、少しばかり胸が高鳴った。此処に来てから、これほど彼と接触することがあっただろうか。今のままで十分幸せだと思い込んでいた自分の心が、肌に触れたことで更に満たされたことに気づいて「まさか」と思った。いや、思い違いであって欲しい、私が本能的に求めていたものなど。
このまま目を閉じては、今度はホメロスさまの寝床が無くなってしまうと思い、壁をつたって這うように隣室へと潜り込めば、脱ぎっぱなしの服を纏めて棚に入れてベッドへと転がり込んだ。
気恥ずかしさで熱を持った頬は、未だ冷めないでいた。