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「#幼馴染」のBL小説を読む
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ネルセンの試練D
辺りにはもう禍々しい気配は無く、燭台に灯る聖火が神殿を温かく包み込んでいる。魔力を使い果たして未だ小さな棘が刺さっているように痺れる手をぐっと握り締めた。

「良くやった、自らの恐怖に撃ち勝ったのだ」

ネルセンの青白く光る手が肩に置かれた。それには重みも温度も、何の感覚も無かったが、まやかしに絞り取られた私の心を満たすような温かな仕草だった。大杖を地に立て、それを支えに立ち上がれば、身体を脱力感と清々しい汗がどっと流れ落ちる。

「さあ、約束通り願いをひとつ叶えてやろう。叶えて欲しい願いを言うが良い」

ネルセンは私の目を見てそう言った。戸惑って皆に意見を求めるように辺りを見渡せば、彼らもまた私を見ていた。どうやら最後の試練に撃ち勝った私に願いを叶えて貰う権利があるような雰囲気であるが、生憎イレブンたちを差し置いて勝手な願いを叶える気にはなれなかった。皆も叶えたい願いのひとつやふたつあるはずであるだろうから、私が悩みに悩んで捻り出した願いよりも、他のものを叶えて欲しいと思うのだが……。

「ニズゼルファを倒して欲しい……は無理よね。何にしようかしら、強い武器や防具もこの迷宮の中に眠っているのだし……。イレブン、イシの村の復興はどう?もし思ったように進んでいなかったら、世界中から人を集めることをお願いしても良いかもしれないわ」
「村の復興は、皆が力を合わせれば成し遂げられる。今でも順風満帆だから、それよりかは別な願いを叶えて欲しい」
「か、カミュは……」
「俺もこれといったのは特にねえよ」

あれほど願いを叶えるという言葉に目を輝かせていたはずなのに、と心の中で溜息を吐きつつも、いつまで経っても願いを言わないのもネルセンを待たせているようで申し訳なく、疲れ切った頭をフル回転させて当たり障りない願いを考える。

「名前ちゃんは、叶えて欲しい願いは何も無いの?」
「わ、私……?」

思い悩む私に助け舟を出すようにシルビアが話しかけてきたが、寧ろその言葉は私の思考回路を混乱させた。

「頑張って恐怖に撃ち勝ったのは名前だから、アタシは名前が願い事をしても良いと思ってるわよ」
「どのような願いでも構いませんわ。残された試練に撃ち勝てば、再び願いを叶えていただくこともできますし……」

ベロニカとセーニャにも背を押され、何か願うべきことは無いかと考えるが、私は今の生活に何の不満も無いのだ。これ以上の幸福を求めることも躊躇われるが、だからといって貴重な機会を無下にもできない。

「……なるほどな。大樹に選ばれし光を持つ者よ、願いを言うが良い」
「……ええと、私の願いは特に無いので、他の誰かの──」

突然、ネルセンは筋骨隆々な腕を私の額へと伸ばしてきた。青白く光るその手を、私の脳裏を探るように小さく揺れ動かせば、彼は腕を引き戻しながら深く頷く。

「…………相分かった、お前の望む願いを叶えよう。だいぶ難しい願いだったが、時が経てば必ず成る。少しばかり待っているが良い」
「え……?」

言葉の意味が処理しきれずに、驚きのあまり間抜けな声が出てしまった。私は何も願った覚えは無いのだが、彼は何か私が密かに望んでいるものを見たのだろうか。「難しいが必ず成るもの」と言われても、思い浮かぶものは何も無く……一体全体何の願いが叶うのか疑問に思ったが、イレブンたちの前でロクでもない願いを暴露されては困るから、深く追求せずに素直に礼を言った。

「それと、これは私からの褒美だ」

差し出された手の下に両手をおわん型にして差し出せば、その上にころんと小さな木の実が転がった。胡桃のように果皮に皺が寄っているそれは、「ふしぎなきのみ」といい、口にしたら己の魔力のキャパシティが少しばかり上がるという貴重な代物だ。願いを叶えて貰った挙句これまでも貰うのは流石に気が引けて、近くに立っていたベロニカに手渡した。彼女は魔法の才に溢れているから、きっとこの木の実が役に立つことだろう。

「私の試練はこれで終わりではない。次に来た時には、さらに強力な敵がお前を待ち受けていることだろう。更なる試練に挑みたくば、また此処へ来ると良い」

ネルセンがそう言うと、あたりが不思議な光に包まれた。どこかあたたかく、柔らかい光だ。気が付けば私たちの身体は試練の里に転送されていて、試練の説明をしてくださった神の民がボロボロの私たちの姿を見て「試練を乗り越えることができましたな」とにっこりと微笑んだ。

賢者の試練と勇者の試練……ネルセンが容易した試練はあと二つも残っている。しかし、これ以上敵と戦う体力も残っていなかった私たちは、試練の里の者にまた必ず来ることを誓い、もとの世界へ――ロトゼタシアの大地へと帰ってきた。東の空に昇っていた太陽は、未だ南天からバンデルフォンの麦畑を照らしている。ネルセンの創り出した世界は、この世界とは切り離された時の中に在ったようだ。バンデルフォン城跡にある瓦礫に腰掛ければ、全身に蔓延った疲れを吐き出すような大きな溜息が出た。目の前に続く空はどこまでも澄んでいて、西の空を見上げれば青々と茂る大樹がふわふわと揺蕩っている。数刻前の自分が、自身を脅かす悪夢と戦っていたことなど、それこそ夢のようだった。

「名前、さっき何を願ったの?」
「え、えっと……」

戦いも落ち着き、久々に再会した仲間たちと近況報告を交わしていれば、ふとイレブンがその話題に触れてきた。イレブンの目を見る限りそれは純粋な疑問であることに間違いは無いのだが、どこか問い詰められているようで。私の本能に隠れた願いを考えるのも、それを彼に伝えるのも小恥ずかしくて、口籠ってしまった。

「私は何も……願った覚えは無いんだ。何と願おうか悩んでいたら、ネルセンさまが願いを叶えてくれるって仰っていて……」
「名前が心の奥にしまいこんでいるような願いならば、きっと叶えたくとも叶えられないような願いだったんだろうね」

「だから、叶えることができて良かった」と言って、青草の上に腰掛けていたイレブンは立ち上がってうんと背伸びをした。

「今日は皆疲れているから、これで解散にしよう。各々、身体をしっかり休めて」
「また試練に挑みましょう。この導師の試練がいちばん易しい試練なのだから、これしきで満足していてはニズゼルファなど倒せっこないもの」

今日は解散、と声がかかった。久しぶりの再会も束の間、また別れの時がやってきてしまった。彼らと旅を続けていた時とは違うこの日常に、一抹の寂しさを感じてしまう。だが、私たちはまたきっと再会する。その希望を胸に私もまた立ち上がった。

「また会おう、国務がひと段落ついたら、また伝書鳩を飛ばすから」
「うん、名前が一番疲れただろうから、ゆっくり休んでね」
「イレブンも無理しないでね、お疲れさま」

イレブン、ロウさま、……仲間たちが移動呪文の青い光に包まれて空の彼方へと飛び立っていき、とうとうバンデルフォンの大地にはいつも顔を合わせている――マルティナ姫とグレイグさまと私だけが残った。麦畑を撫ぜるそよ風に吹かれながら、姫さまのもとに近寄る。この中でルーラを唱えられるのは私だけだから、移動呪文を唱えようと右手を上げれば、その手は姫さまに遮られてしまった。

「名前、あなたは真っ直ぐ帰りなさい。今日は疲れているでしょうから」
「姫さま、しかし……」

グレイグさまも姫さまも城に戻ったら普段通り国務をこなすのだろうから、自分だけ家に帰るのも申し訳ないと伝えたが、それでも姫さまは首を横に振った。

「良いから休みなさい、もともと今日は休暇を取ってあるのだから。行くわよ、グレイグ」
「はっ。名前、あまり無理をしてはいかんぞ」
「姫さま、グレイグさま、ありがとうございます」

姫さまのご厚意に深く頭を下げ、二人がデルカダールへと戻っていくのを見送れば、私もまたバンデルフォン城跡に背を向けてルーラを唱えた。
今年も麦の背丈が高くなってきて、とうとうこの小屋も遠目からは見えなくなってきた。空の上から褪せた臙脂色の屋根を見つければ、ゆっくりと地上へ降り立つ。丁寧に四回ノックをしてから扉を開けば、煉瓦造り特有のひんやりとした空気が身体を包んだ。

「ただいま帰りました」

中を見渡せば、ダイニングチェアに腰掛けながら本を読んでいるホメロスさまの姿があった。元は農具小屋だった此処は窓が少なく、まだ日は昇っているというのに、家の中は夕暮れ時のように暗い。武器の手入れもせずに壁に立て掛け、防具を脱ぎ捨て部屋着に着替えれば、重い身体を引き摺るように「寝室」へと足を向ける。

「……疲れたので先に休ませていただきますね」
「夕飯は」

カーテンを潜ろうとしていた手がピタリと止まった。心身共に疲れているせいか、淡々としている彼の言葉に少しばかりの苛立ちを覚えたが、そんな邪念も直ぐに振り払ってダイニングへと踵を返す。

「すみません、作ります……」

水を汲みに行こうと鍋を持てば、背後からそれをひょいと取り上げられた。

「要るか要らないかを聞いている」
「私は要らないです」
「ならばさっさと寝ていろ、自分の食事ぐらい自分で用意をする」

そう言うなり、ホメロスさまは扉を開けて出て行った。本来なら私が早く帰って来た時はご飯を用意するはずだったのだ。自分の手から鉄鍋の重みが無くなってしまったことも、水を汲んで戻ってきたホメロスさまが竃に薪をくべている姿を見ているのも、何もできないのに先程まで苛立っていた自分が酷く恥ずかしくてしょうがなくて、唇を小さく噛んだ。
だが悔やんだとて身体が動くわけでもなく、今日はホメロスさまの言葉に甘えて休ませて貰うことにした。バフッと大きな音を立てながら藁のベッドに倒れ込めば、麻布に擦れた皮膚がヒリヒリと痛みを感じた気がしたが、それすらも気にならないほど全身が重く動かない。

「あの、ホメロスさま、もしよろしければ明日から……稽古をつけて頂けませんか?」
「稽古……?」

「この二年で力をつけた皆の足を引っ張らないように強くなりたい」と、言葉を続けようと思ったのだが、疲れ切った私の身体はベッドに倒れるなり強い眠気に襲われた。麻のシーツに埋もれた口を動かそうとするも、零れるのは喉の奥を鳴らしたような声ばかりで。微睡の中でホメロスさまこちら側に身を捩ったような気がしたのだが、とうとう返事をすることなく瞼を閉じてしまった。

「何の稽古だ」
「……う……」

声にならない返事をすれば、辛うじて残っていた意識の奥で、小さな舌打ちと溜息が聞こえたような気がした。