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ネルセンの試練B
渓谷を抜ければ、再び異空間へと迷い込んだ。この不思議な空間を抜けるのは何度目だろうか……長らく禍々しい空の下で動いていたせいか、気分的にも体力的にも限界が近づいているのを感じ始めていた。
祭壇にある魔法陣に踏み入れば、足元から溢れる不思議な光が私たちの身体を包み込んだ。目を開け、此処はどこかと辺りを見渡せば、見覚えのある景色にハッとする……神聖な空気があたりを満たしていたせいで直ぐには気づかなかったのだが、此処は魔王ウルノーガの居城であった天空魔城の最奥ではないだろうか。漸く見知った場所を訪れることができて安堵している自分とは裏腹に、この場所での記憶がぽつぽつと思い出される現状に、少しばかり恐怖を覚えている。巨大な燭台に灯る炎に照らされた道を進めば、黄金色に輝くウラノスの銅像が建っているのが見えた。魔物の気配が全く無いということから、此処が試練の終点なのだろうかと期待をしながらも、ひとまず像を調べてみようと近づけば、何処からか声が聞こえた。

「よくぞ此処まで辿り着いた。勇者イレブンとその仲間たちよ」

青白い光と共に目の前に現れたのは、赤い防具に身を包んでいる筋骨隆々の男性。その姿は、大樹の苗木が映し出した太古の記憶の中で確かに見たことがある。目の前に居る人物は、ローシュ戦記に記されている人物──戦士ネルセンで間違い無いだろう。善の心を持ったウラノスがそうしたように、ネルセンもまた私たちを待つために己の魂をこの場所に留めていたのであろうか。

「……私はネルセン。かつてローシュと共に戦った男だ」

太古の英雄が、確かに自分の目の前に存在して言葉を紡いでいるというのは何とも不思議な感覚だ。まるで夢の世界にでもいるようで、驚きのあまり口を開けたまま固まってしまっていた。乾燥した喉に唾液を押しやれば、ごくりと音が鳴る。

「私は邪神ニズゼルファを天空に封印した後、荒廃した世界を復興する為バンデルフォン王国を建てた。我が統治の下、王国は大いに繁栄し、人々はいつしか私をこう呼ぶようになった。偉大なる建国者──英雄王ネルセンと……」

遥か昔の記憶を思い出して郷愁に駆られているのか、ネルセンは懐かしさに目を細めながらそう語った。……今やその栄華を誇った王国跡には殆ど何も残っていないが、かつての彼がそうしたように、荒廃した世界を復興させることができたら──邪神ニズゼルファを私たちの手で倒すことができたのならば、もう一度亡き故郷の姿を見たいと、きっとグレイグさまもそう思っているに違いない。

「そなたたちの中にもバンデルフォンゆかりの者が居るようだな。……お前がかつての私と同じく勇者の仲間になったのは、偶然ではなく運命だったのかもしれんな」

ネルセンはグレイグさまの顔をまじまじと見つめた後、肩にかけたデルカダールの盾に目をやった。幼い頃、城の何処かで、英雄王ネルセンのデルカダールの盾に関する逸話を読んだことがある。ネルセンがデルカダールを訪れた際に、彼の命を狙って黒竜が襲い掛かってきた時のこと。国民を守り抜こうと、身を挺して立ち向かったデルカダールの兵に感動し、その黒竜の鱗にも似た漆黒の盾を贈たのだと……確かそういった話であったはず。自身にも似た強い眼差しと、そんなデルカダールの盾をグレイグさまが持っていたこともあってか、ネルセン自身も運命であると確信したのだろうか。

「……ときにネルセンさま。あなたが伝説の勇者と共に戦ったのは遠い昔のこと。どうして今もこのような場所に?」
「私は死の間際……いつか訪れるかもしれない邪神復活の日に備え、神の民と共にこの迷宮を建設した。そして、邪神と戦う勇者が現れた時、その力になる為に魂だけの存在となって、ここでお前たちを待っていたのだ」

やはりネルセンも知っているのだろう。イレブンが勇者としてこの世界に生み落とされた意味を──近い未来、邪神ニズゼルファはあの封印を破り、復活を遂げる……勇者はその為に大樹から遣わされた存在であるということ。だからこそこの世界の為、そして今は亡きローシュの為にも、彼は気の遠くなりそうな時間を経てこうして私たちを待っていた。

「この迷宮はそれ自体が勇者を試す試練。よくぞそれを乗り越えた。褒美に、お前の願いをひとつだけ叶えてやろう」
「マジかよ!イレブン、どうすんだ?」
「……うーん、願いを叶えてくれるほどの苦労をしてないと思うのは僕だけ?」

「願いをひとつだけ叶える」という言葉に張り切る相棒を横に、腕を組みながら悩むイレブン。彼の言うことも尤もで、私たちは確かに此処まで辿り着く道中で、魔物たちと幾度となく戦闘を繰り返してきたが、「試練」とされる程には手応えはイマイチ手応えが欠けている。もしかしたら、このままタダで願いを叶えるつもりではないのかもしれない。そう思い始めた束の間、私たちからの疑念を感じ取ったのであろう、ネルセンが口角を上げた。

「ただし!私が課す最後の試練に打ち勝つことができたらだ!」
「……まあ、予想はしていたわよねぇ」

背後で、シルビアが溜息混じりにそう呟いたのが聞こえた。

「この試練では自分自身を脅かす最大の敵……そう、お前たちの中にある恐怖が実体となって立ち塞がる。だが、もしそれを乗り越えることができれば、お前は何者にも負けない強さを手に入れるだろう」
「自分自身を脅かす、敵……」
「用意はできたか。……ではいくぞ」

──ネルセンの言葉と共に目の前に現れたのは一匹の魔物だった。反射的に杖を構え、敵が剣を持っていると認識し素早くスクルトを唱えたのだが。身体を包み込む違和感に気付いたのはその時だった。

「見たことが無い敵ね……けれど、とんでもない強さだってことは判るわ」
「ネルセンさまの仰ったことが確かならば、これも誰かを脅かすものを具現化した敵なのでしょうか?しかし、私たちはこのような敵には一度も出会ったことが……」

セーニャが独り言のようにそう呟くと同時に、私の身体は一瞬にして固まった。「それ」を見つめているだけで、吸い込まれてしまいそうだった。この空間には燭台に灯された明かりが確かにあるはずなのに、その場所だけまるで次元が切り取られてしまったかのように先の見えない闇に覆われている。辛うじて形を認識できるのは、両手に携える巨大な双剣と、角の折れた兜。それから、右眼に嵌められた紫色のオーブに照らされたその顔。

「あ……」
「どうしたのじゃ、名前」

ロウさまの言葉が耳を通り抜けていった。イレブンも、カミュも、皆不思議そうな目で私を見つめている。そうだ、彼らは知る由も無かった。ウルノーガにオーブを授けられた六軍王、それを模した目の前にいる剣鬼の存在を。イレブンたちは彼と出会ったことも無ければ剣を交えたことも無い。この世界では大樹は崩壊せず、ウルノーガは大樹の魂を手に入れずに倒されてしまったのだから。
だが、私だけは知っていた。此処ではない世界線──本来の世界で、私は確かに目の前の剣鬼に会ったことがある。忘れもしない、絶望に塗り潰されたあの場所、ある日「それ」は私の前に現れた。鈍色の甲冑と紫色の衣に身を包んだその容姿を見て、一瞬で雷に撃たれたようなショックを受けたことを今でも覚えている。腰を抜かす私に差し伸べられた手を握れば、冷たい金属の温度と、軽い籠手の質感が伝わってきた。それもそのはず、甲冑の下には薄紫色を帯びた彼の骨幹しか存在していないのだから。

「ぞ、ゾルデ……よね」

そう問いかけてみたものの返事は無く、代わりに剣を振りかぶったものだから、素早く後退し、体勢を立て直した。遠く霞んだ記憶を呼び起こすトリガーが引かれたように、今ではすっかり封印されていた地獄のような日々が脳裏に蘇る。

「ンフフ……初めまして」
「え、ええと……」
「貴女の世話は、優秀な我がしもべたちが責任を持って行いますので、ご心配なく」

ネルセンの言っていた己の中の恐怖とはこのことなのかもしれない。消そうとすればするほど、思い返してしまう。死臭にまみれた地下牢で、瓦礫に押しつぶされた人間から剥いだ服を身に纏って、あの場所で私は生きていた──否、飼われていた。

「助けて、誰か……グレイグさま、イレブンは生きているの?」
「名前?」
「あ、あれ……」
「正気を取り戻せ!一瞬でも気を抜けば斬られるぞ!」

気が付けば、目の前にはイレブンが居た。その隣には剣を構えるグレイグさまも居る。「良かった、二人は生きていたのだ!」……思わず縋りつきそうになったが、自分が今ネルセンの試練を受けていたということを思い出し、カミュの言葉を聞いて慌てて剣鬼に向き直った。しかし、過去の記憶と現実がぐちゃぐちゃに混ざり合っているようで、まるで夢を見ているかのように意識が朦朧としている。武器を構えたまでは良いものの、そこからどうしても身体が動かない。気を抜けばまた「地下牢に幽閉されている自分」になってしまう。
頭の中でガンガンと鳴り響く警鐘を掻き消すように、己の頭部をぐっと抑える。このまま前衛に居ても足手まといになってしまうだろうと判断し、ふらつく身体の均衡をなんとか保ちながら皆の後ろへと下がった。背後で、私たちの戦いを見守るネルセンが低い声で「……そうか、あれはお前の記憶か」と呟いたのだが、私はそれに返事をすることすら敵わなかった。