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砂の無い箱庭で
望まれないもの、そんなことは判り切っていた。彼らの中にデルカダールの軍師ホメロスはどのような姿で映っているのだろうか。憎い、許せない、皆口には出さないが、プラスのイメージを持つ者はきっと一人もいない。そんな相手に恋い焦がれて過去へ戻ろうとするなどまったくもって馬鹿げている。
気が付けば過去へ行きたいと溢れる思いに蓋をするように、己のキャパシティ以上の仕事を引き受けては、睡眠時間を削ってまでも没頭していた。何かに集中している間は、ホメロスさまのことを考えなくて済む。ただ、それに反比例するかのように、ふとした時に思い浮かぶ彼の顔が堪らなく恋しいのだ。私は何故、愛するべきではない人を愛してしまったのだろう。

「名前さま、報告です。居住区西の斜地が崩れました、大樹崩壊に伴った地盤の変化かと思われますが」
「調査士を派遣します、暫く西の作業は中止しましょう。伝令、すぐに城へ向かって兵たちに伝えてください。他には?」
「ナプガーナ密林の管理についてなのですが、これ以上伐採を続けますと魔法研究に必要な動植物が絶滅してしまう恐れがあると。また、建築士が密林よりも北国の木目が詰まった木材のほうが良いと仰っていました」
「動植物の多様性の変化に関しては私のテントに研究資料がありますので、それを持っていって構いません。新しい木材については私が他国に書簡を送りますのでひと月ほど時間がかかります」

国が誇る知将が抜けた穴は大きい。繰り上がるように指導にまわった私は、彼がいかにデルカダールに貢献していたのかを思い知らされた。ホメロスさまが魔物と内通していたことを知り不信感を抱く兵士もいたが、それ以上に心の底から彼を慕っていた者も多く居たのだ。それはいかなる時も冷徹で的確な指示を出していた彼のカリスマが成せる業。
一方で軍師経験は兵法書、十年も城に籠っていた若造の私に兵や民を効率よく動かす腕は無い。兵が捌けると、名前は近くにあった切り株に腰を下ろしてため息をついた。彼は、こんな未熟な私のことを拒絶しない可能性を持ち合わせているのだろうか。思い出したくもない過去の思い出が蘇り、抗うこともできずに思いに耽っていると、作業で土まみれになったイレブンがこちらへ近づいてきた。

「名前、仕事のほうはどう?結構忙しそうだけど、ちゃんと休めてる?」
「全然、これっぽっちも休めてないよ。でも良いんだ。忙しい方が色々と忘れることができるから」

自虐をするようにそう答えれば、イレブンは眉を顰めた。私がこの村にやって来てから早くも一年が経とうとしているはずなのに、私の気持ちはあの時のまま、ホメロスさまに抱く恋慕に気づいたあの時のままだ。いや、もしかしたらホメロスが黒い光となって消えたあの日、から変わっていないのかもしれない。普段と変わりなくテキパキと仕事をこなしていると思えば、ふとした瞬間に今にも消えてしまいそうな切ない表情になってしまうのが判る。

「おーい、名前ちゃんや!終わったらこっちも来てくれねえか!」
「分かりました、すぐ向かいますね!」

──イシの村人から声がかかると、名前は悲壮感を漂わせていたのが嘘のように元気よく返事をして立ち上がった。裏表の無さそうな笑顔の奥に深い傷があることは、名前の悲痛な叫びを聞いた自分たちにしか判るまい。

「なんだか、ごめんね。名前もたくさんやることあるのに」
「ううん、もとはデルカダールがイシの村を滅茶苦茶にしたからこうなっているわけでしょう。イシの村人たちには本当に申し訳ないと思っているから、全力で働くわ。それに、愚かな上司の尻を拭うのも、遺された私の役目だから」

そしてこれは、彼を愛した私の償いでもあるのだ。イレブンと共にもと来た道を戻っていると、彼の養母であるペルラさんに後ろから声を掛けられる。呼んだのは息子である自分ではなく私の名だ。
村を焼いたホメロスさまとは相反して、村の人がデルカダールの牢に閉じ込められていた時、看守長であった私が村人を傷つけることも、ぞんざいに扱うこともなく良くしてくれたことを未だに覚えてくれており、
ペルラさんは私のことを気に入ってくれていた。

「名前さんじゃないか!随分と痩せた気がするけど、大丈夫かい?良かったらうちでシチューを食べていっておくれ」
「ペルラさん、ぜひおじゃましたいのですが、これから村でひと仕事終えたら、すぐに城下町の視察に行く予定が入ってしまっているのです。せっかく誘って申し訳ないのですが遠慮させていただきます……」
「そうかい、食べたくなったらいつでもウチに寄るんだよ」
「はい!ありがとうございます」
「イレブン、たまには名前ちゃんの息抜きに付き合っておやり」
「うん、分かってるよ」

イレブンに「またペルラさんのシチューが食べたい」なと小さく語りかければ、彼は首を傾げたあと成る程と頷いた。ペルラさんのシチューを食べたのは前の世界でのことだから、デルカダール近郊のテントで寝泊まりをしている私がいつそのシチューを口にしたのだと疑問に思ったのだろう。

**

イシの村の復興は村人のみならず、デルカダール兵は勿論、他国の有志までもが募って行っていた。共に旅をした仲間も例外ではなく、祖国の復興に務めるは勿論、空いた時間を見つけてはイシの村を訪れ、顔を合わせては思い出話に花を咲かせていた。
しかし、最近の話題は何も明るいものばかりではない。久しぶりにイシの村を訪れたカミュと、復興状況を視察に来たマルティナ、そしてその護衛のグレイグは偶然にも村の中ですれ違った。懐かしい顔ぶれに近状報告をするものの、その間も無意識に目で追ってしまうのは、明らかに不健康的に痩せている名前の姿。天空魔城から助け出されて暫くは肉もつき難いだろうと思っていたが、あれからもう一年も経つのに名前の姿は変わらないまま。その理由は、言うまでもない。

「俺たちはこれで良いのでしょうか?」

耐えかねて言葉を漏らした。誰もこのままの名前を望むはずがない、できることならもとの彼女に戻って欲しい。ただその渇望に反して、彼女を救う選択肢に対して我々は見て見ぬふりをしている。

「んなこと言われてもわかんねーよ。グレイグのおっさん、アンタも将軍なら名前のこと手伝ってやってくれ。あれじゃ身体を休める時間も無いだろ」
「できるだけ手伝ってはいるのだが、目を離した隙に新しい仕事をこなしている……やめろと言っても聞きやしない」
「私の言うことも聞かないの。あのままじゃ、いつ倒れるか分からないわ」

呟きにも近い己の鬱屈した声を聞いてか、マルティナ姫もつられるように嘆息される。

「行っちまうのが怖いからじゃない。名前が今以上に辛い未来を歩む可能性があるから、誰も言わねえんだ。あんたらもそうだろ?」

過去行きを反対する理由は、何もこちらのメリットだけではない。名前が過去へ行くとして、彼女が言っていたリスク──過去へ渡る際に捻じ曲がった時の渦に飲み込まれてしまうかもしれないという可能性、それから過去に戻ってホメロスと接触したとて彼女にとって良い結果になるわけではないという懸念。そんな事情も相俟ってどうしても決断できずにいるのだ。仮に名前が必ず過去へ行き望むべき未来を手に入れられる確証があるのなら、今頃彼女はこの世界にはいないであろう。

「本音を言えば、そうね。でもあの子が幸せになれるならもう過去へ送り出しても良いと思う自分もいるのよ。私たちのエゴでこの世界に縛っている罪悪感にも、もう耐えられそうにないの……」

時が経ち冷静さを取り戻してもなお、名前の気持ちが変わることはなかった。彼女はきっとホメロスとの最悪の可能性も見越した上で過去へ戻ることを切に願っている。それならば、止めようとする我々は、彼女を心配し未来を案じる我々は彼女の目にどう映っているのだろう。