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「#幼馴染」のBL小説を読む
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無償の愛
水でも浴びに行こうかと、軽く身支度をして外に出れば、テントの入り口で既に用意を済ませたセーニャが待っていた。

「名前さま、お目覚めでしたのね」
「セーニャ、おはよう」
「おはようございます。カミュさまが皆で訪れたい場所があると仰っていましたわ。準備ができましたら教会の前までお越しください」
「うん、すぐに済ませるから待っててね」

前の世界のように、グロッタの南にある湖に向かうということは容易く想像がついた。そこでイレブンたちは、世界の時を操る存在について知ることになるだろう。そしてその可能性を知った時……。心臓の音が跳ね上がったような気がした。私には、再び時を遡ることができるチャンスがあるわけだ。そうすれば、またホメロスさまに会えるかもしれない。しかし、そこまで考えて頭を抱えた。過去に遡ることができたとして、私は何をするというのだ。ただ無鉄砲に時渡りを遂行するのか、何も目的が無いままではこの世界の二の舞──いや寧ろ、この世界の命運よりもずっと酷い結果になることだってある。

「お待たせしました」
「お!やっと来たな」

懊悩しながらも用意を済ませて教会の前に行けば、既にそこには皆が揃っていた。それにしても、まさか十人で旅をする日が来るとは思わなかった。見た目は小さな子供のベロニカから、ご老体のロウさままで老若男女さまざま。これではどこかの旅役者の集団と思われても仕方がないかもしれないなと思い、傍から見た自分たちの姿を想像して少しだけ笑ってしまった。

「それで、どこへ行くの?」
「グロッタの南に湖があるだろ?ケトスに乗って戻ってくる時に、そこが何かこう光って見えたんだ。だから、もう少しだけ俺らに付き合ってくれないか?」

勿論付き合うに決まっている。私が大きく頷けば、シルビアが元気よく拳を突き上げた。

「そうと決まれば、さっさと行きましょ!」
「うん、じゃあグロッタまで飛ぼうか」

身体を優しい光が包み込む。イレブンが唱えるルーラで移動するのも何年振りだろうか。パーティの中で自分を除けばイレブンだけが唱えられるその呪文は、彼らとの旅を思い出す時に一番心に残っていた記憶だった。

**

「はて?ここは……前に来たことがあったかのう?とても良く似た建物をどこかで……」
「たしか、神の民の里でも見たわ。神の民と関係があるのかしら?ちょっと中を調べてみましょう」

皆が湖に落ちた瓦礫を踏みながら奥へと進む中、私は近くにあった建造物の中に入り、瓦礫の上に腰を下ろしながら落ちていた本の適当なページを捲っていた。知的好奇心が旺盛だったかつての自分はどこへ行ってしまったのやら。今は失った彼の顔をふと思い浮かべてはため息をついてばかり。新しい知識も、何もかもを脳が必要としていなかった。

古代文字で記されたそれをぼーっと眺めていた。頭を働かせなければ、それらは勿論脳内には入ってこない。そんな無意味な行動をし続けてはや数刻ほど、外に居る仲間の声すら聞こえなくなったことに気づいた私は慌てて瓦礫の上から立ち上がったのだが、次第に視界は暗み、その意識は何か飲み込まれるようにゆっくりと深い水底へ落ちていった。

「っ!……ここは?」

気が付けば何も無い空間に居た。果てしなく続く白一色、見渡してもあたりには何もない。はて、自分はどうしてここにいるのだろう。色々と考えを巡らせていれば、背中をトントンと叩かれて勢いよく振り返る。

「ふふ……久しぶりだな」
「ウラノス!」

青髪のきれいな女性の姿をした彼はにこっと微笑んだ。姿はどうであれ、私の意識に干渉する者などこの人しかいない。思わず手を取って喜ぶと、ウラノスは何か納得するように首を縦に振った。

「ふむ、やはりな。わしの正体を知っていると言うことは……おぬしさては時を超えてきたな?」
「えー……と、うん」

そういえばこの世界ではまだウラノスだということを知らなかったのだった。いきなり図星を突かれてしまい、言葉に詰まる。

「この空間はおぬしの心の中。誰も何も聞いてはおらぬ。さて、おぬしの行動についてはわしも少し気になっていたのだ。詳しく聞かせてはもらえぬだろうか」
「どこから話せば良いですか?」
「ああ、言わずとも心の中で思うだけでわしには分かる。口では言い辛いこともあるだろう」

そう言われるがまま、目を閉じ、かつての世界で魔王を倒してからのことをゆっくりと思い出した。ウルノーガとの戦いで、魔物化した魂は肉体を離れたものの、ウラノスと仲間の力により復活を果たしたこと。それから数年間、罪悪感に苛まれながら世界の復興に励んできたこと。そんな現実に耐え切れず、逃げるようにこの世界へとやってきたこと。ひとつひとつの記憶を断片的に思い出せば、ウラノスはにっこりと微笑んだ。

「なるほどな。そうしておぬしは元居た世界での後悔を塗り替えるために、この世界にやって来たのだな」
「ええ、そのような感じです」
「して、この世界はどうだ。おぬしの望む世界になったか」
「それは……」

望む世界になっていないからこそ、平和になった今でもこんなに苦しんでいるのだ。なんなら、この世界に希望を抱いてやって来たことを思い出すのでさえ苦しい。ほんの少しの記憶の断片でも思い返してしまえば最後、連鎖的に忌まわしい記憶が脳裏を駆け巡る。

「欲を言えば、もう一度過去の世界に戻りたい。でも、戻ったとしてこの靄がかった気持ちが晴れるとは限りません。……私はあと何度過去に戻ったとしてもうずっと納得できる未来を歩むことは出来ないのではないかと、そう思うんです」

ウラノス、私はどうすれば望むべき世界を手に入れられると思う?あなたにならきっと判るはず。──そう問おうとしたとき、彼は私の言葉を遮るように口を開いた。

「今のロトゼタシアは、おぬしの目にはどう映っている」

その問いにどのような意味があるのかも分からぬまま、ケトスの背から見た世界の景色を思い出した。吸い込まれそうなほど真っ青な空、夕焼けに染まった茜色の海、生命の輝きに満ちた大樹の葉。その景色は、魔の手に染まる前と変わらず確かに美しい、美しいはずなのに。

「確かに美しいですが、どうも私には色褪せて……」

“──でもなぜでしょう。世界は相変わらず美しいままなのに、あなたがいない……。それだけで何もかも色褪せて見えるのです。”

そのとき心の中に浮かんできた一節の言葉に、私はとある古手紙を思い出した。ラムダの里にいた吟遊詩人から渡された、二枚の便箋。それは賢者セニカが勇者ローシュへと贈った愛の手紙。
なぜ、平和になった世界がこんなにも色褪せて見えるのか、なぜ彼がいないだけでこんなにも胸が張り裂けそうなのか、その答えはずっと自分のバッグの底に眠っていたのだ。どうして今までこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。相対する立場に居た彼を、自分を道具としてしか見ていなかった彼を気にかけるなんて可笑しいと、無意識のうちにブレーキをかけていたのかもしれない。それならばどうして、彼を失いたくなかった?その答えはいたって容易に導かれるものだった。

「ああ……私はきっとホメロスさまのことを愛しているんだ」

見返りを求めない愛情を、ずっと彼に抱いていた。この世界の彼が倒れた時、理性を押し倒して口から溢れた言葉は紛れも無い本心だったのだ。そう気づいた瞬間、今まで心を蝕んでいた不安がスッと晴れたような気がした。いまいちど過去に戻ることができたら、私はもう逃げも隠れもしない。たとえ異端審問にかけられようとも、魔王の呪いで再び魔物になろうとも、彼の目を見てこの気持ちをまっすぐに伝えよう。それで世界が救われぬとしたら、きっとそれが世界の運命なのだと諦めることができる。

「おぬしがまた過去に戻りたいと願うならば……その時はおぬしの仲間たちに包み隠さず話すことだ。あやつらならば、必ずおぬしの気持ちに応えてくれよう」

ウラノスの姿が白い世界に飲まれるようにゆっくりと霞みはじめる。もうこの世界で彼と会うことはきっと無いのだと、私は心のどこかでそう感じ取った。

「ウラノス!私、あなたに助けてもらってばかりで、本当になんと言ったら良いか!」
「おぬしがこの世界にやってきても、以前と変わらずにわしの願いを聞き届けてくれた。それだけで十分だ」

ウラノスがかつて私に願ったこと──それは世界を救うこと。ウラノスの願いを叶えようなんて立派な理由をつけてこの世界に来たわけではない!……という言葉を口に出そうとして思わず引っ込めた。ウラノスはきっと、すべてお見通しだ。私はこの世界を救うためにやって来たのではなく、前の世界から逃げてきたことも、そんな無責任でどうしようもない人物であることも。願いを聞き届けたなんて、ただの理由付けで、彼が私を導いてくれた理由は、きっと己の片割れによって運命を狂わされた私への償いで……。

「では、さらばだ」
「ウラノス!」

勇者の力を得ることができたばかりに、それを私利私欲のために使おうとする愚か者。それなのに、私はこうも救われるのだ。命の大樹は、何を思って私に勇者の器という使命を与えたのだろう。

「……ん、あれ……ウラノス……」
「もう、相変わらずのお寝坊さんね。それにしても、まさかこんな場所でも寝られるなんて思わなかったわ」
「ふ……え!ひ、ひめさま!これは失礼いたしました」

気が付けば、瓦礫の上に横になりながら眠りこけていた。こちらを覗き込むマルティナ姫と目が合い、飛び起きて姿勢を正す。

「まだ昼に起きているのが厳しければ、村で休んでいても良かったのだぞ」
「い、いえ……もう体調は大丈夫になったので。それで、何か見つかりましたか?」
「ええ、ロウさまがこの本を」

気が付けば、私を囲むようにして皆が揃っていた。冒険心に溢れる彼らの表情を見ると、何かを発見したということが直ぐに判った。中心にいるロウさまの手の中には、古びた分厚い本が収まっていた。漸くこの世界でも時を司る存在について知る時が来たのだ。
ならば皆に己の気持ちを話す機会は今しかない。私が馬鹿げたことを話そうとしているという自覚はあったが、ウラノスの後押しもあり、仲間のことを信じても良いのではないかと、そう思えてきたのだ。