×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

あなただけが居ない
──私は、イレブンのような聖人君子ではなくて。勇者の力を得たのを良いことに、淡い希望を求めて愚かなことに何度も時を超える気でいるのだ。こんなことでは、私を勇者の器として生み落とした大樹も、ほとほと呆れているかもしれないなと思う。──


この世界もまた、イレブンたちの手により救われた。魔王ウルノーガも、邪神ニズゼルファも、我々を脅かす存在はもう以居ない。ただ、ケトスの背から見たロトゼタシアの景色は相変わらずどこか寂しくて。

「乾杯」

イシの村では、人々によって世界平和を謳う盛大な宴が催されていた。あまりに痩せこけた自分見て心配すし詰め寄ってくる兵士たちに、私は適当に言葉を濁しつつ、村を一望できる丘の上へと逃げてきた。リタリフォンが繋がれている厩舎の隣は、かつての世界で魔王討伐前にイレブンへと気持ちを打ち明けた場所でもあった。誰もいないここに来ると、心が落ち着くのだ。
平和になり活気が溢れる村を眺めながら、酒を少しずつ喉に流し込んでいると、肉とパンが盛られた皿を手に持ったイレブンがこちらに向かって丘を登ってくるのが見えた。私がひとりで居ることを心配してくれたのだろうか。

「どう?だいぶ落ち着いた?」
「……ん、落ち着いた、かな」

しんみりとした空気の中、イレブンに貰ったパンを口に入れながらゆっくりと咀嚼する。しかし、口の中に入っているパンは思うように減らない。イレブンは何も言わずにただ隣に居てくれていた。ふと彼の横顔を見やると、そこには相変わらず青く澄んだ瞳があった。人を恨むことができない彼は、己を恨むこともできないのだろうか。もしそうならば、彼はどうやって気持ちの整理をつけているのだろう。私も出来ればそんな人になりたかった……己に対する後悔に苛まれずに生きていけるような前向きな人に。そんなことを考えていれば視線に気づいてこちらを向いたイレブンと目が合った。気まずくなり慌てて目を逸らすと、土を踏んで丘を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。

「よ、名前!世界が平和になったってのに、なーに辛気臭い顔してんだよ!」
「カミュ……」

背中をぽんと叩かれ、衰弱した身体はいとも簡単にぐらりと揺れる。カミュはイレブンの反対側――私の隣にドンと腰掛けた。いつもならば真っ先に相棒の隣に座るのだろうに、彼も私を気遣ってくれているようだった。その手には溢れそうなほどにビールが注がれた青銅のジョッキ。彼の顔もうっすらと赤みを帯びていて、ほんのりと酔っていることが分かる。イレブンとはまた違うアプローチの仕方に、彼の性格が滲み出ているような気がして、微笑ましくなってしまう。

「そういやイレブン、幼馴染が探してたぜ。主役なのにどこ行っちゃったのよ!だとよ」
「エマが?分かった、ちょっと行ってくるね」
「おう」

イレブンがせっせとに坂を下りていく光景を見て、エマのことを思い出す。この世界の彼女と私は、イシの村人が牢に閉じ込められていた時に看守と囚人として言葉を交わした程度の関係だった。前のように仲良く話すこともない、赤の他人だ。この世界では、イレブンと彼女の恋は実っているのだろうか、そんなことを考えながらぼーっとしていると、カミュに顔を覗き込まれる。

「お前が辛いのも分かるけどよ、今日くらいは自分に嘘ついてでも楽しもうぜ」
「そうだよね、楽しまないとね」

今はもう何も考えずに居たいと思っていたが、カミュの言葉を受けて硬くなった表情筋を無理やり持ち上げた。自分でも判るほど不自然な笑顔が出来上がったに違いないが、カミュはそれも気にしようとせずに、ジョッキをこちらに向けてよこした。

「はい、つーわけで乾杯」
「乾杯」

ぐいっと酒を飲み干せば、喉にじんわりと熱が宿った。感傷的になっているからか、いつもより酔いがまわった気がするが、それでも私の気分はそのような誤魔化しで晴れるものではなかった。一方のカミュは酔っているのか、私の肩にぐいっと手を回しながら、いつもより一回り大きな声で喋り始めた。

「思えば俺ら、名前に助けられっぱなしだったよな。ユグノアでも、命の大樹でも……何か不思議なんだよ。俺たちがピンチの時にお前がやって来てくれて手を差し伸べてくれる。まるで女神さまだ、なーんてな」
「何言ってるの、いきなり」

いきなりそんな言葉をかけられて、恥ずかしさと嬉しさのあまり顔に熱が集まった。下を向いていた視線を上げたのは良いものの、やり場に困ってしまい、カミュと同じように平和になったロトゼタシアの空を見上げた。
かつて、聖地ラムダでも宴を抜け出してひとりきりでいた私のもとに、彼がやってきてくれて話しかけてきてくれたことがあった。ひとりで居る私を放っておけないのは、幼い頃から妹に世話を焼いてきた所以の面倒見の良さからきているものだろう。かく言う私はカミュよりもうんと年上になってしまったのだが、そうであっても彼の心遣いに心が癒されたのは事実だった。

「カミュ、私に気を使ってくれてありがとう。カミュのそういうとこ、好きだよ」
「なんだよいきなり」
「えっと!そう言う意味じゃなくてね」
「ばーか、分かってるよ。お前らしくねえからビックリしただけだ」

そんな他愛のない会話で、久しぶりに心の底から笑えたような気がした。天空魔城に幽閉されていたあの間、一度も笑えなかったぶん、ほんの少しでも笑えることが嬉しくて、カミュにありがとうと漏らせば、彼も気恥ずかしそうに「おう」と返事をした。

「酔っちゃったみたいだから、外の空気にあたってくるね。カミュも主役なんだから、私とばかり一緒に居ないでみんなのところに戻りなよ」
「分かった、暗くなる前に戻ってこいよ」
「もちろん」

これ以上カミュを独占するのも申し訳なく、適当に理由をつけてその場を離れた。人混みを避けながら向かったのは、デルカダールの兵士たちが寝泊りしているテントの中。兵士たちは皆宴を楽しんでいると見越して、一人で休める場所を探していたのだ。かつてこの村にやって来たときの記憶を思い返しながら、ひときわ大きなテントにもぐりこめば、そこには見慣れた人影があった。

「あれ、グレイグさま?」
「……名前か」

私は心を休ませていたいのに、兵士が居て質問攻めにでもされたらどうしようかと思ったのだが、テントにいたのがグレイグさまで良かった。奥の寝袋の上にどんと腰掛けながら、一人で酒を飲んでいる彼のもとへ駆け寄ると、少しだけ間をとって隣に腰掛けた。

「どうしてここに居るんですか?」
「……婦人たちに囲まれてな。どうも居づらくなってここに来たのだ。お前はどうしてここに」
「酔い醒ましです」
「とても酔っているようには見えないが」

ここに来た理由を吐き出す気にはなれなくて、誤魔化すようにグレイグさまの取り皿にあったパンをひとかけら口に含んで、ごくんと飲み込んだ。

「一人になりたいのなら、俺はそろそろ……」
「大丈夫です。一人にというか、皆と一緒にあまり喜びたくなかったんです。こんな時に不謹慎ですよね、ごめんなさい」
「……俺も素直に喜べるかと問われれば、どこかそれを否定する自分がいる」

グレイグさまはジョッキに入ったビールを飲み干すと、身体ごとこちらを向いた。その顔は、世界を救った勇者の盾とは思えないほどひどく悲痛に耐えているようで、私は次のパンをを取ろうと伸ばした手を思わず引込めてしまった。

「お前が城から逃げた時は、それはもう大変な騒ぎだった。すぐにユグノアで悪魔の子を庇ったと言う話が流れ、たちまち悪者だ。……それが、まさかこんなことになろうとは」

かつてグレイグさまに、ホメロスさまからの虐待の痕を見られたことがあったが、今回はそのようなことは無い。むしろ私は異端審問にかけられる前に無断で城から逃げ出した裏切り者。グレイグさまは、きっと私のことも疑ったに違いない。そして、そのことを思い返して彼はまた心を痛めている。

「クレイモランで、ホメロスは俺をおびき寄せて殺すために氷の魔女の封印を解いた。それから、俺はホメロスの行動に疑問を持ち、王と共に大樹へと赴いたのだ」
「……そう、なのですか」
「振り返ればこの十六年、なんと愚かなことをしてきたのだと自分自身に嫌気が指す。王に化けたウルノーガを信じて疑わず、あれだけ敬愛していたユグノア王家を目の仇にした。思えば自分で真実を突き止めるために動けば良かったのだ。後悔しても、もう遅いがな」
「私がグレイグさまの立場に居たとて、きっと同じ運命を辿ったのだと思います。私だって、後悔しています……遅いと判っていてもそう思ってしまうことは、何も可笑しくはありませ──」

そう返せば、グレイグさまが驚いたような表情を浮かべたものだから、もしかしたら何か墓穴を掘ってしまったのかと思いすぐに口を閉じた。

──言葉ではうまく言い表せないが、ユグノア城跡で、共にリタリフォンに跨り崖を登っていた時のあの名前と、ここに居る名前はどうも違うような気がしてならないのだ。弱冠二十歳であるというのに大人びた雰囲気も、澄んだ瞳に湛える悲痛も、まるで自分の知り得る彼女ではない。自分の発した言葉に対し気遣いを見せる彼女を見てふとそう感じ、思わず驚いてしまえば、名前は俺の表情を見て慌てて口を噤んだ。そこまで考えたところで、会話が暫く途切れていることに気づき、は慌てて場を取り繕うと口を開いた。

「そろそろ、宴に戻るか。そろそろ皆も心配するだろう」
「……私は」

立ち上がろうとするグレイグさまの服の裾を、無意識のうちにきゅっと掴んでいた。今更辛さには慣れたつもりでいたが、どうも私の心は強がりでは居られないらしい。どんなに気持ちのこもった気遣いよりも、一人で嘆いているよりも、同じ痛みを分け合う方が、どうも心が落ち着いてしまっていることに気づいたのは、グレイグさまが寝袋の上に座り直したあとだった。

「ごめんなさい」
「いや……いい」

二人して黙って座っていれば、手持ち無沙汰なのか、すっかり伸びきってボサボサになった髪を押し込むように繕われた。外からは相変わらず賑やかな声が聴こえてくるが、テントのなかは傷を舐め合う私たちの寂しい言葉だけがぽつりと響いていて。結局最後まで感傷的な気分から抜け出すことはできずに、盛大な宴はその幕を閉じた。