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闇夜に蠢く者
明朝、私はグレイグさまと共に、キメラのつばさでサマディー王国へと向かった。
足元を駆け巡る景色は、ナプガーナ密林の深い緑からエメラルドグリーンに輝く海を越え、たちまち黄一色となった。文字でしか見たことがない世界に、感情が昂る。降り立って、近くに生えて居たサボテンを突けば、棘が指先へと食い込んだ。その痛みも、岩石に反射して直に当たる太陽の焼けるような暑ささえも、全てが愛おしくてたまらなかった。私は漸く、デルカダール王国の外へ出ることができたのだ。

相変わらず、日の光に弱い私には昼の行動は難しく、夜警の兵たちと共にワイバーンドッグと対峙することになった。私の為に用意された王宮の客室には柔らかそうなキングサイズのベッドと一匹の猫が用意されていた。野良猫にしては毛艶も良く人懐っこい。使用人に聞けば、この城で飼われているものらしい。私と共に客室を見に着いて来たグレイグさまは、その猫を見るなり「救援に行く」と早々に立ち去ってしまった。
日が完全に昇るまではまだ時間があったから、部屋から出て王宮の周辺を歩き回る。ふと目に入った案内板も、観光用の冊子も、馬レースとサーカスのことで埋め尽くされていた。砂漠の国には娯楽がたくさんあるらしい。それも、デルカダール王国では到底味わえないような、熱く激しく心を揺さぶるものが。せっかくサマディーを訪れたのだから、馬レースとサーカス、どちらも一目見ておきたかったが、どうやら私にそのような時間は残されていないらしい。太陽が南天に昇るにつれ段々と重くなってきた身体を引きずるように、宛てがわれた客室に戻れば、窓を閉め切ってベッドへと横になった。



「おはようございます」
「おはよう、今日はしっかりと起きることができたようだ……な」

慣れない場所で眠った所為で、すんなりと目を覚ますことができた。グレイグさまが戻ってくる前に出発の用意を済ませ、それでも余裕があったので部屋に居る猫と戯れていた。ホメロスさまが用意してくださった装備は猫の毛だらけになってしまったが、いずれは汚れるものなので、気にしないことにする。
生真面目なグレイグさまは、時間通りに私の居る客室へとやって来た。私の姿をまじまじと見た彼は、一瞬ぽかんと口を開けて固まってしまっていた。やはり、この衣装は少し露出が多かったから、グレイグさまも驚かれているのだろうか。そう思うと恥ずかしくなってきて、己の胸元を隠すように床に寝そべっていた猫を抱きかかえた。

「侍女が、デザインしてくださって、ホメロスさまが私にプレゼントしてくださった装備です。その……可笑しい、でしょうか?」
「あ……いや、とても似合っているぞ」

はしたないと言われてしまうかとびくびくしていたが、受け入れられて良かったと思う。だが、似合っていると仰ってくれていたのに、私と頑なに目を合わせてくれないのは一体どうしてだろう。

「準備を済ませているならば、このまま真っ直ぐ関所へと向かうが」
「大丈夫です」
「頭数は減ってきているが、ワイバーンドッグは間違いなく今夜も現れるだろう。救援は今日までの予定だが、魔物の様子次第では延長もあるということを頭に置いておくように」
「判りました」

グレイグさまにと共に客室を出て、城門へと足を運ぶ。どうやら、私と共に戦う兵士たちは未だ集まっていないようだ。不安に思ってグレイグさまに尋ねれば、出発時刻まであと数刻ほどあると言われた。何故だろうかと思ったが、その答えは直ぐに判った。

「関所までは馬での移動になる」

私の馬は用意されていないから、出発の時間までに見つけなければならない。幸いにも、サマディー王国は馬レースが盛んであるから、馬はたくさんいる。ここからグレイグさまと共に乗る馬を選ぶのかと、ワクワクしながら厩舎を巡り歩こうとしたのだが、グレイグさまは眉尻を下げながら、申し訳なさそうに目を伏せている。

「その……当初の予定では俺も同行する予定だったが、休養をとるべきだと諌められてしまってな。今日はお前ひとりで関所へと向かってもらうことになった」
「え!それでは、私はどうすれば」

サマディーで貸し出されているのは主にレース用の馬で、気性が荒くコントロールが難しい。馬術が苦手な私には到底扱えるものではない。そうとなれば、どうすれば良いものか。他の兵に一緒に跨っても良いが、馬にも申し訳ないし、だからといって歩いて行くわけにもいかない。うんと悩んでいると、グレイグさまは厩舎の奥へと足を進めた。手招きをされて、慌てて着いて行けば、そこには見覚えのある黒馬が美味しそうに干し草を頬張っていた。

「リタリフォン、久しぶりだね。元気そうで何より」

やはり、此処に連れてきていたのか。どの馬よりも賢く強いグレイグさまの愛馬リタリフォン。主であるグレイグさまの命令のお陰か、馬に慣れていない私にも懐いてくれているようだ。この馬ならば、私を無事に関所へと送り届けてくれるだろう。

日が暮れる前には、ダーハラ湿原へ続く関所に辿り着かなくてはならない。グレイグさまと別れ、サマディー兵への挨拶もほどほどに、先導する騎馬に続いて砂漠を駆け抜ける。リタリフォンの背中は乗り心地が良い。砂漠は石や砂で足が取られやすい筈なのに、リタリフォンはそれをもろともせず、颯のように大地を駆け抜ける。最低限の休憩のみで、関所に辿り着いた頃には、足元が朧げになるほど辺りは薄暗くなっていた。
関所の近くに張られたテントに入ると、中にいる兵士たちに挨拶をする。デルカダールの兵は、長らく城から出ていなかった私が来たことに驚きを隠せないようであったが、一方でサマディーの兵士たちは私の姿を見てこそこそと耳打ちをしたり、中には「遊びではないからな」と圧力を掛けてくる者もいた。命を懸けて戦う兵士たちに紛れて若く非力そうな女が来たとなれば、確かにあまり良い気はしないかもしれない。だが、実戦経験が無いとはいえ、私は奴らを牽制できるほどの魔術も備えている。反論せずとも、敵がやってくれば自ずと彼らに私の力を魅せることができるはずだ。

「では、我々は日が昇るまでここに居ますので、もし人手が足りなくなったら遠慮せずに叩き起こしてくださいね」
「判りました。ありがとうございます」

日中警備に当たっていた兵士たちは次々とテントへ入り、仮眠を取り始める。テントの中からは、日が沈んで直ぐに大きな寝息が聞こえてきた。夜警の兵は私を含めて十五人。東西南北それぞれに三人ずつ見張りを置き、私と二人はテントがある中央に控える。夜は兵が少なく、辺りは暗くて視界が狭いため、神経を研ぎ澄ませて奴らの様子を窺う必要がある。ワイバーンドッグと思われる魔物の遠吠えはときおり耳に入るものの、その姿はどこにも確認できない。

交代で休憩を取りながら、夜空を眺めて数刻が経った。砂漠は湿気も無く空気が澄んでいるから、夜空に輝く星々が良く見える。そして、この砂漠のはるか上空に浮かぶ「勇者の星」も。淡い赤光を湛えながら、私たちを妖しく見下ろしている。

「名前さま、そろそろ休憩されては如何ですか」
「では、お言葉に甘えて少し休んでいます。何かあれば声を掛けてください」

同じく夜警であるデルカダール兵から声を掛けられた。いつのまにか、休憩の順番が回ってきたようだ。遠くから聞こえる咆哮に身震いしている馬たちをひと撫でしてから、昼に警備をしていた兵士たちが眠っているテントに潜り込む。長らく空を見上げていた所為か、肩が酷く凝っていて、目も疲れている。持参した寝袋を丸めたまま枕代わりにして、鼾をかく兵士たちの隣に寝そべる。小さなテントだから、足も伸ばすことができないほど窮屈であるが、文句は言えない。

目を閉じてから、どのくらいの時間が経っただろうか。いつ訪れるかも判らないワイバーンドッグの襲撃のことを考えているとどうもぐっすりと眠ることができず、結局私は目を閉じながら考え事をしていた。奴らが現れたら、私はどう動けば良いのかを、脳内で何回もシミュレーションする。スクルトを唱えて味方の防御力を高めるのが先か、はたまたフバーハを唱えて炎から身を守るのが先か。氷系呪文が有効であると見ているが、果たして効かなかった時にどのような攻撃アプローチをしようか。考えれば考えるほど眠れなくなって、繰り返し寝返りを打っていた時。

「て、敵襲!」

兵士の声が響いた。身体を起こして慌ててテントから出れば、外の瘴気の濃さに思わず目を細めてしまう。色とりどりの宝石が散りばめられた夜空の真ん中には、大きな翼を広げた竜の影が重く落とされていた。ワイバーンドッグが両翼を羽ばたかせるたびに、砂塵が襲い掛かる。素早く杖を構え、フバーハの詠唱を始めようとすれば、後方に控えていた兵士が叫ぶように声を上げた。

「南から!南東からも一頭来ています!」
「な、何だと!」
「そんな……同時に三頭も?一体どうして!」

詠唱を中断し背後を振り返れば、さらに巨大な影が二つ目に入った。影は段々と大きさを増し、こちらへと向かってくる。予想外の事態に、私の頭の中は真っ白になっていた。ワイバーンドッグは群れで行動することがない魔物なだけあって、三匹一斉に攻めてくるとは想像もしていなかったのだ。

「怯むな!絶対にテントには近づかせぬぞ!」

兵士たちが分散して敵へボウガンを放つ中、私の身体は鉛のように動かいでいた。心のどこかで、上手くいくと思い込んでいたのかもしれない。あれだけ頭の中で組み立てていた戦闘シミュレーションが、ガラガラと崩れ去ってしまった。その絶望に身体が言うことを聞かなかった。私は、一体どうすれば良いのだろう。誰も返事を与えてくれないその問いを、頭の中でひたすらに唱え続ける。

ワイバーンドッグの咆哮が身体を突き抜けた。緊張と絶望で、激しく動く心臓の音が脳内に響く。全身の血が勢いよく回り始め、身体が燃えるように熱くなる。武器である杖を握っている手のひらも、新調した装備も、既に汗まみれになっていた。
咆哮を何とか堪えるも、私たちは相変わらず劣性だった。相手は宙に浮かんでいるから、こちらからの攻撃はボウガンと魔法しか命中しない。

「炎がくるぞ、下がれ!」

サマディーの熟練兵士が声を枯らしながら叫んだ。灼熱の炎は暗闇を竜のように激しく舞い、地に刺さる。砂礫は赤く燃え上がり、やがて煙を噴きながら熱を発した。あの炎に当たってしまえば、ひとたまりもない。ワイバーンドッグの喉元が、再びボコッと膨れ上がった。休む暇も無いうちに、次の火炎が襲い掛かってくる。ここは敵の攻撃を受けてばかりではなく、形勢を逆転させる一手が必要だ。何よりも強力な一手が……!

「ひ、ヒャダルコ!」

詠唱抜きで確実に出せる氷系魔法であるヒャダルコ。実戦で使うのは初めてだったが、杖の先から飛び出す氷に緊張が解けたような気がした。夜空に大きく広がった氷解はワイバーンドッグが吐いた炎に被さり、やがてポタポタと地面に小さな雨を降らせた。安心したのも束の間、これでは応急処置に過ぎない。この戦闘の行く末を考えればまさに絶望的な状況だった。

「ダメだ、ヒャダルコだけでは追い付かないよ……」

炎を止めはしたが、相手には掠り傷も負わせていない。未だに形勢逆転はできないまま、私の魔力だけが次々に枯渇していく。夜警の熟練兵士たちも、テントで休んでいる兵士たちも、ワイバーンドッグ三頭と同時に対峙したことなどないだろうから、どうすれば良いのかと問うても誰も答えを返してくれまい。ならば考えるしかない、頭をフル回転させろ、こんな時はどうすれば良いのか。あれこれと逡巡しているうちに、ふと思いついた。私が持っている最大限の力、私の意識をも蝕もうとする大いなる力――私の身体に潜む「何か」、これの力に賭ける他手は無いと。

「光を貪る蟲よ、我が身体に力を与えたまえ」

目を閉じ、己の負の意識に精神を集中させる。地面に闇の力を増幅するための魔法陣を描き、己の中に巣食う「何か」へと問いかける。このままでは、私はワイバーンドッグにやられてしまうだろうから、少しばかり闇の力を貸してくれと。強く念じれば念じるほど、身体が自分のものではなくなるような、ふわふわとした感覚に陥る。だが、それと反比例するように闇の力が増幅しているのは確かだ。己の意識をしかと保ちながら目の前の魔物を見据え、闇系の上位呪文を詠唱する。

「光を喰い潰す大いなる闇の力よ、かの者の肉体を、精神を蝕め……ドルモーア」

私の中に生まれる「光」を養分にして育っている「何か」。幼い頃から散々私を苦しめてきたのだから、今だけは都合よく使っても良いのではないだろうか。闇系呪文は、被術者の内側からダメージを与えるため、取り囲む兵士たちに危害を与えることはない。だから全力で、ワイバーンドッグを潰しにかかることができる。

(……ガ……サマ……?)

「え?」

まさに呪文を放とうとしたその時、頭の中に声が響いた。人の声ではないような、唸っているような低い声。一瞬「何か」の声かと思い問い返してみたのだが、返事は無い。その時、違和感に気付いた。ワイバーンドッグからの攻撃が止んでいたのだ。攻撃をするそぶりを見せない奴らに視線を移せば、先程まで逆立っていた体毛は、いつの間にか萎れていた。こちらをギラギラと睨んでいた目も、心なしか逸らされているような気がして。

「何故、攻撃してこないの?」

そう問えば、確かに目が合った。ゆらゆらと宙に浮く巨体の中心、月明かりに反射した二つの目は強く見開かれ、視線はこちらを向いたまま動かない。

(……ル……ガ……マガ ……オイカリ……ダ……)

「オイカリ……お怒り?」

三頭のワイバーンドッグは急に敵意を失くしたかと思えば、常闇に溶けるように消えていった。私が闇系魔法を唱えてから、あっという間の出来事だった。私も、兵士たちも、去りゆく彼らの姿をただ眺めることしかできなかった。朦朧とした意識の所為で、何が起こったのかも良く覚えていない。気が付けば私の意識から「何か」は姿を消していて、記憶の隅に残っているのは謎の声のみ。

「名前さま!魔物を追い返してしまわれるとは!」
「なんということだ!名前さまの魔力を前にして尻尾を巻いて逃げてしまったぞ!」
「いや、敵が勝手に……」

本当に私の闇系魔法を見て逃げていったというのだろうか。にわかには信じ難いことであるが、確かに彼らは此処から去って行った。あんなにも人間に敵意を持っていた奴らが、私たちに傷一つ負わせずに消えて行ってしまったのか。それだけが判らない。

兵士たちは、私がワイバーンドッグを追い返したことに対してワイワイと盛り上がっている。大したことをした覚えはないが、彼らが私のお陰だというのならば、きっとそうなのだろう。朝までワイバーンドッグたちが攻めてこないとは限らないから、私は再び持ち場に戻った。とりあえず、サマディーに帰ったらグレイグさまに報告してみよう。それでも判らなければ、城に戻った時にホメロスさまに報告すれば良い。あの二人ならば、最低でもどちらかはこの不思議な現象について何か知っているかもしれない。

結局、夜が明けるまでワイバーンドッグが攻めてくることはなかった。攻めてくるどころか、遠吠えひとつも聞こえなかったのだ。帰り際、砂の上で気持ち良さそうに眠るワイバーンドッグを見つけたが、私たちを見るなり身を縮こませ、こちらに背を向けただけだった。



帰還した兵士たちは誰ひとり欠けていなかった。その中に元気そうな名前の姿も見えて、無事で返ってきたことにひとまず安堵した。彼女はこちらの姿を確認するなり、大きく手を振って駆けて来た。名前が上半身を巧みに捻って手綱を引けば、リタリフォンは俺の目の前で足を止める。馬の扱いにも十分慣れたようだ。

「ただいま戻りました、グレイグさま」
「ご苦労だった」
「リタリフォン、ありがとう。デルカダールに戻ったら城下町で一番高級な餌を買ってあげる」

名前はリタリフォンを労わるようにひと撫でした後、疲れ切った様子で城の中へと戻って行った。日も昇り、身体も辛くなってきたのだろう。使用人をひとり呼び、彼女を客室に送り届けるように伝えれば、警備にあったったデルカダール兵のもとへと向かった。彼らがやけに盛り上がっているものだから、どうしたものかと話を聞けば、名前と共に夜の警備にあたった兵が興奮気味に昨夜のことを語り出した。

「名前さまが強力な闇系魔法の詠唱を始めたとき、ワイバーンドッグが戦意を喪失して闇夜に消えていったんだよ!さすがは我が城の宮廷魔道士だ」
「やはり名前さまを連れてきたのは正解のようでしたな、グレイグ隊長」

人間の姿を見ると直ぐ襲いかかってくるほど獰猛な魔物が、魔法を唱えただけで──しかも攻撃を受ける前に戦意を失くすなど有り得るのだろうか。俄かには信じがたいことだが、皆が口を揃えて熱弁しているところを見ると、嘘だとは思えない。真偽はともかく、甚大な被害が無くて良かったと思う。これでひとまず、無事に名前を城に帰すことができる。これをきっかけに、王が彼女の外出を許可してくだされば良いのだが。

サマディー王と兵士たちに、これをもって一旦デルカダールに戻る旨を伝えれば、宴を開くからもう一泊して行ってはどうかと言われてしまった。せわしそうに城の中を歩き回る使用人の手には既にワインやフルーツなどの食べ物があって、もう宴の準備をしているのだと思うと断るのも申し訳なく、言葉に甘えても一日留まることにした。



馬レースやサーカステントなど、サマディー王国の名物を堪能し、城に戻る頃には宴の準備ができていた。食堂へと向かい兵士全員の到着を待つが、料理が運ばれてきているのにもかかわらず、空いている席がひとつだけある。そこが誰の席であるのかは、考えずとも直ぐ判った。

「間違いなくお休みになっておられますね。きっと、昨晩の疲れが残っているのでしょう」
「だが、あいつが来なければ宴も始められん。仕方ない、起こしてくるとしよう」

今日の宴の主役は間違いなく名前であるから、引き摺ってでも連れてくるべきだ。疲れも相俟っていつもよりも起き辛いだろうが、皆が待っていると急かせばさすがに目を覚ますだろう。最悪、担いで此処まで運んで来れば良い。長い廊下を足早に歩き、名前に割り当てられた客室へと向かう。部屋に辿り着き扉をノックしてみるが、当たり前のように返事は無い。

「入るぞ」

聞こえていないだろうが、黙って扉を開けるのも躊躇われて、声を掛けてからドアノブを捻る。カーテンを閉め切った部屋は真暗闇に包まれていた。廊下の壁から松明を拝借して壁掛けランプに明かりを灯す。淡い光に照らされた純白のキングベッドには、こちらに背を向けるように横たわる影があった。

シーツの隙間から零れる太腿に、ごくりと喉が鳴った。ホメロスが彼女に贈ったというこの装備は、少しばかり露出が激しいのではないだろうか。成人して間もない女性に、それも箱入り娘も同然の彼女に着せるものではないような気がしてならない。

今朝戻ってきた時の格好のままということは、もう半日以上も眠り続けているということだろう。余程疲れていたようだ。投げ出された彼女の素肌を見ていると、自分のような者が触れても良いのだろうかと躊躇われる。だが、どちらにせよ触れねば彼女は目を覚ましてはくれまい。

「名前起きてくれ、もう宴が始まる。早く来ないと食べるものが無くなってしまうぞ」
「……うん」

我儘で言うことを聞かない子供をあやすように、言葉を投げかけながら肩を揺さぶる。だが一向に目を覚ます気配は無い。まるで自分とは関係のないことを聞いているかのような空返事だけが返ってきた。これも彼女の身体の変化によるものなのだろうが、それにしれも凄まじい睡眠欲だと思う。……と感心している場合ではない、皆が待っている。

「致し方が無い」

いくら揺すっても起きないのならば、無理矢理運んでしまおう。食堂に行けば明かりも多く集まっているから、眩しくて目を覚ますに違いない。顔をこちら側に向けるように寝返らせ、背中と膝に手を差し込む。流石に雑には扱えず、気恥ずかしさはあるが横抱きにした。幼少の頃に名前を何度か抱きかかえた記憶が呼び覚まされ、懐かしさを覚えていれば、腕の中で彼女が身動ぎをした。

「う……」

寝返りを打とうとする名前に、バランスが乱れて、思わず細い身体をきつく拘束すれば、やっと彼女が目を覚ました。

「……ぐ、グレイグさま!これは一体!」
「ようやく起きたか、皆が待っているぞ」
「あ……宴!ご、ごめんなさい……使用人さんが起こしてくれたのに、二度寝をしてしまいました」

腕の中で慌てふためく名前を見ていると、何処と無く己が変な真似をしているのではないかという気がして、丁寧に彼女を床に降ろした。地に足をつけた名前は、寝起きの所為か、ふらふらとしている。

「あの……横抱きは恥ずかしいので、もう少し強めに起こしていただければ」
「……何度肩を揺さぶっても、目を覚まさなかっただろう」
「そ、そうなんですね。すみません。でも私はもう成人しておりますし、やはり昔と違って気恥ずかしいです」

まだ半開きの目を擦りながら部屋を出て行く名前を見て、先程の己の行動を思い返し、思わず頭を抱えてしまいそうになった。彼女がデルカダールにやって来てから、もう十数年の月日が経っていた。あれほど幼く人見知りであった彼女も、今は共に国章である双頭の鷲を背負って戦う身。あまり子供扱いしては余計な誤解を与えると思うと、少し残念に感じてしまう。