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「#幼馴染」のBL小説を読む
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いにしえの愛の手紙A
──逃げるならば今しかない。

城の警備が薄く、グレイグさまやホメロスさまを始め主要幹部は殆ど眠りについているこの時間帯。これを逃してしまえば、朝の会議で私は異端審問にかけられる。そうなってしまえば、もう自由に動くことは出来ない──つまり私はまた過去と同じことを繰り返すことになってしまう。
バッグに必要最低限の道具とありったけの硬貨を詰め込み、全身を覆うような大きいローブを纏うと、人の気配が全くない廊下へと足を進めた。正門は閉まっている上に見張りの兵士もいるため、表から出るのは得策ではない。かといって、バルコニーからルーラで逃げるとなるとどうしても王の私室の前を通らねばならず、気づかれる可能性も高い。加えてどちらに行くにもホメロスさまかグレイグさまの私室の前を通ることになる。部屋の窓は光を遮るように木版が打ちつけられているため、残りの選択肢は見張りもおらず、誰の部屋の前を通らずとも行くことができる食堂のみとなった。
私室の扉をそっと開けてまわりに人が居ないことを確認すると、忍び足で食堂へと向かった。小さな窓は武器を背負った私がやっと通れるほどの大きさで、窓を開けて先に荷物を外へと放り投げる。これではまるで泥棒のようだと思いながら、窓枠に足をかけようとした時、入口に気配を感じてとっさに身体を翻した。

「おやおや名前さま。このような場所で何をされているのですか」

兜のせいで顔は見えないが、声色が明らかに兵士のそれではない。未熟者とはいえ上司である私に敬意を表さないような態度、まるで私が今から逃げ出すことを分かっていたような言い草。目の前にいるのは兵士に紛れ込む魔物であると確信できた。こんな時間に起きているということは私の監視も任されているのだろう。

「何だと思う?」

ホメロスさまに報告されてはこの脱出計画も台無しになってしまう。先手を打たれる前にメダパニとマヌーサで行動を封じれば、余裕ぶっていた兵士は片膝をついて地面に転がり伏した。

「くそ、は……やく報告を……」
「させるわけない」

念のため魔物除けにと持っていたせいすいを振り掛ければ、兵士の肌からはジュッと音を立てて黒い煙が噴き出した。この状態では朝方までは動けまい、仕込みをしに食堂へ来たコックが見つけるか、他の魔物が先に見つけるか……どっちにしろ、もう人の形をしていないその姿を誰かに見られれば処分は免れまい。

「この兜、借りて行きますね」

すでに意識を失って動かないことを分かっていながらも、やはり黙って持っていくのは気が引けて小さく声を掛けた。どんなに平和な国に行っても、女の一人旅は目立つ。これからは私も立派なお尋ね者、あまり顔が知られては困るからとその兜を被ると、私は今度こそ台所の窓から外に出た。

何処へ向かうのが良いかと考えを巡らせていたが、結局聖地ラムダでイレブンたちを待つことにした。私が来た世界の通りに歴史が進めば、あとひと月ほどでイレブンたちは此処にやってくる。それまでデルカダール兵や魔物たちから身を潜めるには、辺境のこの地がベストだ。

「あんた、見ない顔だね。旅の人かい?」
「ええ、そうです。この里で暫くお世話になろうかと」

ルーラで聖地ラムダへとやってくれば、目の前には青々と茂る命の大樹が浮かんでいる。懐かしいその景色に目を細めながら、畏怖の念を抱かせるこの場所を踏みしめるようにゆっくりと歩く。時折ベロニカを失ったあの里の光景が思い起こされ、この世界では私は一度彼女を失ったこの里の人々のためにも人事を尽くすのだと改めて期した。

「いらっしゃいませ旅のお方」
「すみません、ひと月ほど宿を借りることはできますか?」

ひと月と聞いて宿屋の女将さんは怪訝そうな表情をしたが、金貨の入った麻袋をどんと帳場の上に置くと、驚きながらも慌てて首を縦に振った。

「大丈夫ですよ。それではお部屋にご案内いたします」

ベッドに寝転がると、暑苦しくて仕方が無かった兜とローブを脱いだ。身体にまとわりついていた熱が部屋の心地よい空気と混ざるように溶ける。しかし、その清々しい感覚と相反して私の心は錘がぶら下がっているように重い雲に覆われている。

「……はあ」

これから起こり得る未来が嫌でも判っていると、どうも億劫になってしまう。それに加えて、私は大国デルカダールから追われている身。イレブンもこんな気持ちだったのかな……とふと思った。見方がひとりも居ないまま、追われる側に回ったこの感覚──まわりに居る者全員が自分を監視しているのではないかという感覚が拭えないのがまた辛い。
私が持ってきた硬貨では宿代を賄うのが精一杯で、その他生活に必要なものは、里の人の手伝いをしたり、人間に害をなす魔物を倒したりして戴いた報酬で購入していた。今日も里の人に頼まれ、ゼーランダ山に登る旅人を襲うキラーポッドの群れを倒し、その身体から剥いだ鉱石や宝石を持って道具屋を訪れていた。

「はい、お姉さん。これ全部売ります」
「まあ!こんなにたくさん……ありがとうございます」

聖地ラムダは他国との貿易もほとんど行っておらず、基本的に里で売っているものは里で手に入れた材料のみで作っているためあまり量産することができない。そのためこういった道具の売り込みは重宝されている。

「旅のお方はどうしてこのような場所へ?」
「……色々ありまして、ここで人を待っているんです」

この里で人を待つことなんてそう無いだろうが、今はこれ以上何も言えることは無い。幸いにも道具屋の店主はこちらを怪しむこともなく、買い取り分のゴールドをこちらに渡した。

**

何もせずに部屋に居るよりは、動いていたほうが幾分かは気が紛れる。里で困っている人を見つけては無償で手助けをしていたせいか、気が付けば里の人とも親睦を深めることができた。

その日も里を歩いていると、ひとりの吟遊詩人に呼び止められた。「名前も顔も明かさない旅人さん、噂はかねがね聞いている」と言われ、それからいきなりとある詩のようなものを喋り始めたものだから、私は戸惑いながらもその言葉を黙って聞いていた。

覚えていますか?あの日ふたりで見たロトゼタシアの美しい景色を。吸い込まれそうなほど真っ青な空。夕焼けに染まった茜色の海。生命の輝きに満ちた大樹の葉…あなたと共に見たそのすべてが今も私の心に焼き付いています。

「…...とても、心惹かれる文章だろう。ここの蔵書にあったあて先不明の古い手紙に書かれていたのさ」

私は彼のように機知に富んだ頭を持っていないせいか、その一節だけではどうもうっとりするほどに感動することは無かったのだが、この空気では同意せざるを得なく首を縦に振った。すると、吟遊詩人は目を輝かせながら私の肩をぽんと叩いた。

「なんでもあなたは世界を旅しておられるのだとか。ならばこの手紙の続きを探して僕まで届けてくれないだろうか?」
「それは……私にできることならば引き受けますが、一体この世界のどこを探せば良いのやら」
「それも聞いた話だと、何年か前にサマディーの貴族がラムダの古い蔵書を買いあさったそうで、その中にまじって持っていかれたのではないかということだ」

サマディーには悪魔の子を捕らえる為にデルカダール兵も常に配備してあることだろう。当然彼らは城から逃げた私のことも追っているだろうから、あまり気は進まなかったが、こうも頼まれると断ることもできず、姿も顔も隠していれば大丈夫だと思い引き受けることにした。

「ではサマディーの貴族の家を訪ねてみることにします」
「よろしく頼んだよ」
「ええ、分かりました」

サマディーの貴族の家という情報だけではあまり絞ることができない。その中からたった一つの古書を探すなど、際限がないように思えるが、これもイレブンたちが聖地ラムダに来るまでの良い暇つぶしになると思えばあまり苦ではなかった。もう古書を見つけましたとばかりに喜んでいる吟遊詩人に対して「あまり期待しないで待っていてくれ」と言い残し、ルーラを唱えて何年かぶりにサマディー王国へと向かった。