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トワイライト・ジャーニー
珍しく朝早くに目覚めた。今日此処を発とうと思ったのは、ただそれだけの理由だった。同じ毎日を繰り返し、この世界に別れを告げるタイミングも、誰にも察されることなく此処を出て行く機会も、何より一縷の可能性に賭けて過去へ戻ろうとする勇気も湧かずにいたのだが……今日だけは違った。清々しい朝の空気も、賑やかな小鳥の囀りも、まるで私の門出を応援してくれているようだった。今日ならば、今ならば、過去に戻れるような気がする。そう思い立って、急いで起き上がった。

太陽はまだ水平線に顔を出すことなく、この世界を照らすのは山の端に映る淡い青色。早朝の城の中は相変わらず閑散としていて、夜警の兵以外は誰も目覚めていないようだ。
浴場で軽く水を浴び、再び私室に戻ると、戸棚からパンとバターをとり出して、ひとりで朝食を摂った。かつては光が入らぬように、固く板が打ち付けてあった窓からは、青と黒のグラデーションが美しい空が描き出されている。普通の人間らしく、夜に眠って朝に起きるという生活を繰り返してからは、あまり見ることが無い光景だった。それでも、今日は珍しくこの時間に起きたのだ……まるで誰かが「行くなら今日だ」と言っているような気さえした。

外行き用の服に着替え、最後にホメロスさまからいただいた赤いピアスをつけて身なりを整えれば、過去に関しての事柄を記した羊皮紙や応急薬など、必要最低限の道具が入ったバッグと剣を腰につける。それから、イレブンに貰った勇者の剣を、布を巻いたまま背中に背負った。これだけでも腰が砕けてしまいそうなほどの重量だが、聖地ラムダからあの塔までの道のりを耐えれば良いと考えたら頑張ることができるような気がした。本当は、先代から受け継いだ大杖も持って行くべきだろうと思ったのだが、あれは私のものでも先代のものでもない……「デルカダールの宮廷魔道士」に与えられるべきものであったから、この城に残しておくことにしたのだ。

用意も終わった、朝食も摂った。もたもたしていれば、兵士たちが起き出すだろうから、もうそろそろ此処を出なくては。戸締りを確認し、引き継ぎの書類を机の上に置いて、さあ出発しようと決意したところで、部屋の扉が音を立ててゆっくりと開いた。しまった、と思い反射的に剣を隠し扉の方を見やれば、扉を開けたその人物もまた驚きのあまり目を見開いていた。

「ええと……カノ、おはよう。良い朝……ね」
「名前さま!起きていらっしゃったのですね!ノックもなしに失礼致しました!」

侍女の手には、私の服と新しいシーツが二枚──いつも私が起きればベッドの横に置いてある物が握られていた。まさか日が昇るより前から、侍女がこうして朝の用意をしてくれていたとは。今日の日に知ってしまうなど、なんともタイミングが悪いなと思った。

「名前さま、どちらへ?」
「少し、散歩にでも行こうと思って」
「……やはり、行ってしまわれるのですか?」
「ああ、うん……ダメだね。どうやってもカノは騙せないな」

こっそり行くつもりだったのにと言えば、「名前さまのことですから、嘘か嘘でないかくらいは分かりますよ」と返されてしまった。思えば侍女とはもう十数年の付き合いだ。私にも同年代の友達が欲しいだろうと先代が気を使って、私が十の時に使用人見習いだった彼女を紹介してくださったのが始まりだった。それからずっと、彼女は私のそばにいた。そんな彼女から見れば私の嘘を見通すことなど容易いことなのかもしれない。

「髪を結って差し上げます……どうかお座りになって」
「ありがとう」

荷物を床に置いて、促されるままいつものようにドレッサーの前に座った。自分で軽く梳かしただけの髪は、彼女の手によって丁寧に編み込まれる。
結い終わると、彼女は毎回のように「今日も可愛らしい」と、そんなことを言ってくれる。もう可愛いなんて言われる歳でもないのだが、これも幼少期から私の髪を結い続けたことの名残。それも彼女にとっては今日で最後になってしまう。縒れたマントを直され、忘れ物が無いかを確認されれば、あとはもうカノにやってもらうことはない。

「前も申し上げた通り、私は名前さまの幸せを願っています。……ですから、もう泣きません。いつものように支度をして、お見送りすることにします。それが私の役目ですから」

そう言っていつもどおり侍女は笑った。結婚式の日から、過去に行くことはあえて話題に出さなかったのだが、彼女はもうとっくに覚悟はできていたようだった。

「カノ、……これあげる。私は向こうに行っても貴女に会えるけど、あなたは私に会えないから。ちゃんと私の顔を、覚えておいてね」

首にかけていたロケットを外して、侍女の手に握らせた。それは先生が私に残したもので、中にはこの城に来たばかりの私と、成人を迎えた私が描かれている。お守り代わりにずっと持っていたせいか、過去に同じものがあるのにも関わらずこれも持って行こうとしたのだが、それよりは彼女に持たせた方が何倍も良いだろう。

「じゃあ、行ってきます」
「……気を付けて、いってらっしゃいませ」

深く頭を下げる侍女を横目に、普段に倣って軽く手を挙げると部屋から出た。
このまま忘却の塔へ向かおうかと思ったが、私の足は外ではなく城の奥へと向かっていた。警備にあたっている兵士に小さく挨拶をしながら、足音を響かせないように進む。目的の部屋の前で立ち止まると、手汗で蒸れる手袋をきつく付け直して緊張を抑えるように大きく深呼吸をした。

**

部屋のドアをゆっくりと開ける。目のやる方にはベッドの上に横たわる大きな影。普段は部屋に人が入ってくればすぐ起きるグレイグさまだが、疲れているのだろうか今日はぴくりとも動かない。念のため、申し訳ないと思いながらもラリホーを唱えて、ゆっくりとベッドに近づいた。

「……会わないって、決めてたのにな」

どうしても、最後に会いたいと思ってしまった。もしも起きてしまっても、グレイグさまのことだ、きっと少し出かけてくれると言えば鵜呑みにするに違いない。

グレイグさまの寝顔を見ることは滅多に無かった。彼は私が寝ようとしている時にはまだ起きていたし、私が起きる頃にはもうとっくに目が覚めていた。寝ている時に部屋に入ってもすぐ起きてしまったし、こんな間近で無防備な顔を見ることなんて初めてかもしれない。
普段は後ろに流している前髪は、今は顔にかかっている。こうして見るとまるで別人のようだ。普段の厳格な容姿とは違い、少し崩れた──どこか大人の色気を感じさせるその姿に胸を高鳴らせながらも、どうしても顔をはっきりと見ておきたくて顔にかかる髪をそっとかき分ける。

「暫く会えなくなってしまいますね、こんな別れ方で本当にごめんなさい」

ベッドに身を乗り出して、額にそっと口づけた。これが最後だと思うとどうも離れがたい、こんなに胸が締め付けられるならばこの部屋に来るんじゃなかったとさえ思ったが、ゆっくりと唇を離す。残った冷たい熱を噛み締めながら、気づかれぬようにゆっくりと立ち上がった。
相変わらず起きる気配が無いことに安心しながらも、音を立てないように部屋から出て扉を閉めた。最後に見た皆の顔を、今までの記憶を頭の中で思い返しながら廻り階段を上り、奥へと進んでバルコニーへと続く扉を開ける。ひんやりとした冷たい朝の空気が喉をさした。出発の朝にふさわしい澄み切った青空を仰ぎながら、まるでかつてのイレブンたちとの冒険を思い出すようにキメラのつばさを放り投げる。

「聖地……ラムダへ、私をつれて行って」

最後に呟いてたその言葉が、誰も居なくなったバルコニーに小さく響いていた。