──待ち焦がれた夜がやって来た。遠い記憶と何ひとつ変わらない、同じ場所、同じ時間帯、同じ星の色。唯一変わったのは、私の年齢と、「彼」に抱く想いだろうか。 次第に夜空からたくさんの光が降り注ぐ。 眩く、儚く……黒に塗れたキャンバスに生まれては死んでゆく白い光を、二人で肩を並べて眺めていた。 ふと、綺麗な景色に見惚れている横で、さりげなく触れられる冷たい手のひらは、かつての「この日」と同じもの。熱に浮かされながら、私は絡められた指を確と掴んで離さなかった。── ああ、ぴったりで良かった!名前さまの部屋からこっそり服を借りて採寸した甲斐がありました。特注で届いた服のなんとまあゴージャスでグラマラスでマーベラスなこと!黒と白を基調に金のアクセサリーと刺繍をあしらったデザイン。少しばかり涼しげな胸元とそれを上品に魅せるマント。上から繋がるキュロットスカートと、そこから窺える陶器のように美しい太腿。名前さまを引き立てる最上級のデザイン……我ながら、何と素晴らしい出来なのでしょう。そしてそれ以上に恥ずかしがる名前さまが可愛すぎて私は、私は! 「あの……」 「如何されましたか?名前さま」 「何故、こんな恥ずかしいデザインにしたの?」 困ったようにこちらを見つめる名前さまの顔はいつもに増して頬が赤く染まっていて……ああ、どこまで愛らしいのでしょう。長年、この国の上層から出たことがない所為で、少し肌を出した格好でも恥じらいを覚えておられるのですね……でもご心配なく。名前さまのような可憐に戦う女騎士は皆このような恰好をされています。万が一されていなくても、名前さまの美しさで全てが許されるはずです。 「胸元、少し開きすぎだと思うの。これでは怖くて屈めない」 「通気性を考慮したデザインに致しましたので」 「このスカート?の丈も短いと思う」 「その方が戦闘もしやすいかと思いまして」 「ああ言えばこう言う!」と名前さまはさぞお怒りのようですが、それもまた一興。そのような可愛い恰好で怒りをぶつけてこようとも私には全く効きませんのよ。 「とてもお似合いですよ。ホメロス将軍も、そう思いますよね?」 自身の机で静かに本を読むホメロス将軍にそう問えば、暫く名前さまの方を見られた後にぽつりと同意の言葉が返ってくる。何せこの服はホメロス将軍監修の下デザインしたものなのですから。これで暫くは、名前さまもこの格好で動き回ることになるはず。 「本気ですか……」 当の本人は頬を赤く染めたまま、溜息を吐いておられますが……まあ時が経てば慣れましょう。それよりも、これから毎日名前さまのこの恰好を拝めるとは、もしかすると私は人生の中で一番いい仕事をやり遂げたのではないでしょうか。きっと、そうに違いありません。 ** 侍女が上機嫌で部屋を去ってから数刻程。慣れない服を着たまま、私はホメロスさまの机に椅子を並べるようにして腰掛けていた。机の上に広げてあるのは、モンスター図鑑とサマディー地方の地図。試着の時間が長引いた所為でこのような時間になってしまったが、明朝からはサマディー遠征に向かわねばならない為、今から二人だけの作戦会議だ。 「ワイバーンドッグ?」 「知っているか?」 「書物で見たことがあります。犬のような肢体に竜のような尾と翼と、額から聳える一角……」 「流石だな」 本で知り得た知識としては十分だと、珍しく褒められた。それから、ホメロスさまから戦闘時の攻撃パターンや気性、現れる場所などの補足説明を受け、それらを羊皮紙にメモを取る。 「今回、我らが派遣された理由は、ワイバーンドッグとの応戦だ。何でもここ最近、ダーハラ湿原に続く関所がワイバーンドッグに襲われているのだとか」 「静かな魔物が人を襲うとは、中々珍しいですね」 普段は大人しく、傍を通っても襲いかかることが無いほど温厚な魔物の筈だ。だが今は、人間の臭いを嗅ぎつければ、直ぐに飛んで行くほど、気性が荒くなっている。 「これは私の予想だが」 ホメロスさまは立ち上がると、本棚から何年も前の新聞記事が綴じられた資料を取り出して、私の前に差し出した。 「サマディー地方では、ワイバーンドッグの皮や角が高く売れることを良いことに、密猟者が絶えなかった時期があってな」 「そんな時期があったのですね」 「割と最近の話だ。生態系への影響を懸念してサマディー王国はワイバーンドッグの乱獲を禁じたのだが……時は既に遅く。普段は人間を襲わない温厚な魔物が、人間に対して敵対心を抱くようになる頃には、全てが手遅れだった。あとは、判るだろう、魔物たちの身近にいる人間──関所の人間を恐れるあまり、執拗に襲うようになった」 「その問題がとうとう隠し切れず、浮き彫りになってきたわけですね。数年経てば魔物の個体数も回復するので、被害が格段に増えたと」 ホメロスさまの解説で、何となくこの問題の全体像が頭に浮かんできた。一方的に狩る側であった私たち人間に、魔物が牙を向けるようになったとは、何とも皮肉な話であるが、こうなってしまえば後戻りはできない。私たちはどうにかして、この潰し合いを終わらせるしかない。 「それで、今回ワイバーンドッグを「討伐」するということは、力づくということですか」 「生存競争は甘いものではない。どちらかが甚大な被害を受けぬ限りこの戦争は続くだろう。ならば捩伏せるのは……勝つのは我々だ」 「大きな魔物ならば学習できるだけの脳味噌はありましょう。奴らの本能に「人間に逆らってはならない」と、そう刻みつけるほか方法はありませんね」 「その通りだ」 この世界は魔物と人間が均衡を保ちつつ暮らしている。この作戦が、新たに両者の間に亀裂を生まなければ良いのだが。しかし、両者がお互いを言葉の通じない敵とみなしている以上、武力行使によって鎮めることしかできないのがなんとも悔やまれる。 「油断はするなよ。ワイバーンドッグは相当手強い……当たり前だが初めての実戦で戦う魔物ではない。王が許可したのならば、それに反対する理由は無いが、せめて戦闘時は如何なる時も自分の身を守ることに徹しろ」 「判りました」 心に留めておきますと続けると、ホメロスさまは満足そうに頷き、普段座っている一人用の机に戻って、引き出しの中から片手程の大きさの赤い箱を取り出した。目立たぬ程度にあしらわれた金色に、高級なものであると感じる。 「丁度良い、明日が初陣なのにも拘らず、ろくに装備も用意していないお嬢にプレゼントだ」 「プレゼント……?」 その箱を開けろと言わんばかりの視線を投げかけられ、恐る恐る手を伸ばす。そっと上蓋を外せば、そこには色とりどりのアクセサリーが几帳面に並べられていた。 「わ、凄い……これ、全部ホメロスさまのものですか?」 「好きなものを持っていくが良い。もう使わないような物だからな」 「しかし、このような高価なものを貰うわけには……」 「時計を見てみろ、今日は何の日だ?」 絡繰時計を見遣れば、長針と短針が「十二」の文字の下で丁度重なっていた。アクセサリーをあげようと思われたタイミングが偶然私の誕生日だっただけか、それとも気にしてくださっていたのか定かではないけれど、それでもホメロスさまの気持ちが何よりも嬉しかった。昨日の今日で色々と貰いっぱなしで、普段書籍やペンしか欲さない自分としては新鮮なことで、感謝の言葉を伝える他何もできなくて。 「ありがとうございます。とても嬉しいです。まさかホメロスさまに、祝っていただけるなんて」 「ほう……毎年祝いの言葉を述べていたつもりだがな」 「言伝で、ですよね?直接祝ってくださって、しかもプレゼントを頂けるなんて、初めてで嬉しくて」 ジュエリーボックスの中身を眺める。とはいえ、アクセサリーに疎い私は、どれを選べば良いのかもイマイチ判らず、結局悩んだ末に素直に装飾品に秘められた魔力と見た目で選ぶことにした。リング、ブレスレット、アンクレット、ネックレス、どれも綺麗でキラキラと輝いていて、何を選ぶか悩みに悩んだが、どれを選んでも後悔はしないだろうと考え、ふと目に留まったイヤリングに決めた。シルバーの金具に、赤い宝石、それから感じられる対炎の魔力に、妖しさにも似た美しさを感じる。 「これにします、良いですか?」 「目利きが良いな」 そう言われて、手に取ったイヤリングが他のどのアクセサリーよりも輝いているように見えた。 「しかし……イヤリングですと、戦闘中に落として失くしてしまうかもしれませんね」 「金具を変えれば、ピアスにもできるが」 「私、ピアスの穴あいてないので……うーん、やはりネックレスやブレスレットに」 「開いてないのなら、開ければ良いだろう」 そんな「お腹が空いているのなら、パンを食べれば良い」のようなトーンで言われても!身体に穴を開けるなんて、そのような軽い気持ちで行って良いことなのだろうか。確かに、王も、ホメロスさまも、使用人たちもピアスホールを開けているけれども。 「え、遠慮します!痛そうですし、失敗したら膿になりますし、それに……」 「私ならば失敗はしないな」 「な……なんですかその、厭らしい表情」 私の言葉を聞くまでもなく、ホメロスさまが机の引き出しから取り出したのは、長く太い針。それをみた瞬間に、私の身体は反射的に椅子から立ち上がって後ずさっていた。まさかあれで穴を開けようとしているわけではあるまい、しかし、ホメロスさまの表情を見ていれば絶対に脅しでも冗談でもないことは判る。 「ええと……心の準備が」 「そこに座りたまえ。傷は直ぐにホイミで塞ぐ。痛いのは一瞬だけだ」 「わ、私の反応を見て楽しんでらっしゃいますね?仏頂面をされても判りますよ、口の端が普段よりも上がっております!」 やんわりと断ろうとしたが、結局気迫に負けて促されるままベッドの淵に座る。続いて、針を持ったホメロスも隣に座った。スプリングが深く軋んで、ますます心臓が音を立てる。冗談じゃない、誰か助けてと、大声で叫べばやめてくれるだろうか、いや誰か駆けつけてもホメロスさまの話術で上手く丸め込まれるに違いない。しかし、将来的に開けることを考えれば、今開けておいてしまったほうが良いのではないだろうか。そんなことを思案していたが、同時に耳元に感じたヒャドの冷たい感覚に諦めがついた。 「……」 「あの……」 「動くな。いずれ開けるなら今のうちが良いだろう」 耳朶を冷やされている所為で感覚が鈍る。冷やされるだけ冷やされて、いつまでも訪れない針の感覚に焦ったくなって、どうせ開けるつもりならば早くやって欲しいと懇願したくもなってしまう。そしてその時は、余計なことを考えている隙にやってくるもので。 「……っ、いた、」 耳朶に針が刺さる感覚に、思わず手をぎゅっと握る。痛いのは一瞬だなんて、とんだ嘘つきじゃないか。いつまでも治らない痛みに情けない声を出すのが恥ずかしくて、回復呪文が唱えられるのをじっと待っていれば、傷口にピアスが嵌められて更に痛みが増したと思った直後に漸くホイミがかけられた。「終わった」という言葉と共に、恐る恐る右の耳朶を触ってみる。そこには確かに、皮膚を貫通して金具が嵌められていて。本当に穴が開いたのだなと感動してしまった。 続けて反対側を開ける為に、「失礼します」と一言告げてベッドに上がり、先程とは反対の方向を向く。緊張が解れた所為か、良く良く考えると誰かに見られたら誤解されそうなホメロスさまとの距離感に気づいてしまって、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。 「顔が赤いな」 「男性にここまで接近されれば緊張しますよ……貴方と違って、私は慣れておりませんので」 ホメロスさまはそんな私の心境をすっかりお見通しのようだった。きっと真っ赤になっているだろう耳朶を、わざとかそうでないのか判らない微妙な力で弄ぶ態度に、若干腹が立ったのは言うまでもない。しかし、開けて貰っている手前、文句を言える筈も無く。慣れた痛みに耐えるように目を閉じていると、反対側にもあっという間にピアスが通される。頭を揺らせば耳元で小さく鳴る金具の音に、少しばかり大人になったような気がした。 「そろそろホメロスさまもお休みの時間でしょうし、部屋に戻りますね。何から何までありがとうございます、大切にします」 ピアスを付けてもらった後も、ホメロスさまに対する恥ずかしさが抜けず、頂いたコーヒーや散らかった本を手早く片付けると、荷物を纏めて扉の方へ向かった。すれ違いざま頭を軽く触られ、緊張と気恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、真っ白な頭で何とか「失礼します」と言い残して部屋を出た。扉を閉めて直ぐ横の壁に凭れかかる。ホメロスさまと居ると、いつ何時も気が抜けない。心なしか、最近彼が私に世話を焼いてくれるような気がして、それも相俟って余計に。侍女曰く「通気性を考慮した」新しい服が、緊張で溢れた汗でべたついているのを感じて、初陣前にどっと疲れてしまったような気がした。 |