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- ナノ -

隠した傷跡
「名前、演劇に興味はあるか?」
「…...あるかないかと問われたら、ある…と言う程度には」

演劇というものをあまり観る機会が無いため、はっきり「あります」とは言えずにどうも曖昧な返事をしてしまった。グレイグさまから手渡されたのは、一枚のチケットだった。どこか見覚えがあるものだと思えば、むかし城下町にやってきた──ホメロスさまと一緒に見に行った劇団ものだった。王に許可をいただくついでに城の者に入場券を配っていったのだろう。懐かしいと思いながらそのチケットを眺める。

「俺も行きたかったのだが忙しくてな。……お前もたまには息抜きをしてくるといい」

てっきりグレイグさまも一緒に行くのだとばかり思っていたが……ホメロスさまが居なくなった今、私とグレイグさまが同時に休暇を貰うことは殆ど無かった。一人で行くのも寂しいと思ったが、せっかくなので今日の夕方にでも観に行くことにしようと思う。
前に観た時は演劇が終わってもすぐ立ち上がることができないほど感動していたため、今回も満足すること間違いないだろう。ああ、でも一人ではやはり寂しいという気持ちは拭えない。──



「落ち着くから」という理由で半ば無理を言って、瓦解の可能性がある城の私室で寝泊まりをしていたのだが、漸く正式に城へ戻る許可が下りた。今まで国外に避難していた城の人々が帰還し、次々と城へ荷物を運び入れる。その中には、ソルティコに避難していた侍女カノの姿もあった。

「名前さま!」
「カノ、おかえりなさい」

感極まって抱き着いてきた侍女の身体を受け止める。この人は私よりも年上のはずなのに……と思いながらも、彼女が生きて居ることを確かめるように強く抱きしめ返した。それから、ハッとして「失礼しました!」と勢いよく身体を引いた彼女を見て、思わず笑ってしまった。私の望んだ日常が、こうして帰ってきたのだと実感できた。

「ああ、こんなに手も荒れていて、爪の先もボロボロではありませんか!これから炊事洗濯は私が引き継ぎますので、名前さまは此処で本を読んでいらしてください」
「いや……町の人が復興のために頑張ってくれているのに、私だけ休むなんて」
「いま爪を整えますから、そこにおかけになって。宮廷魔道士さまとは思えないこの荒れ様……ひょっとするとだいぶ無理をなさっているのではありませんか?」

彼女は数年経っても全く変わっていないようだった。再会の喜びを分かち合えばすぐさま、肉体仕事やら炊事洗濯で、爪は剥がれ指先もボロボロになった私の手を取りながら大変だと大きな声をあげた。
言葉は悪いが、この手は日中土にまみれて仕事に従事している人のものと大差ないまでに傷ついている。侍女の言う通り、自分の立場がある以上、身嗜みも気をつけなければならない。
今は人手も足りているから、自分が率先して作業をする理由も無いのであるが、それでも自分が部屋に籠って与えられた仕事だけをこなしていると、どうも申し訳なくなる。それに、復興作業をしている中で、外に出て誰かと話しながら作業をするのはとても気持ちがいいことだと気づいてしまった。城に篭れば必然的に人と会うことは殆ど無くなってしまうものだから、寂しさを感じてしまう。

「今はもう外壁の工事だけですし、名前さまもそろそろお城の仕事だけに集中しても良いのですよ。グレイグ将軍もそう仰っていました。「名前は頑固だから俺の言うことは聞かないだろう」とも」
「う……」

ゴホンと咳払いをしてグレイグさまの真似をするカノにそう言われて、グレイグさまからも城のことだけやっていれば良いと言われているようで、たまの気分転換も兼ねて手伝っていた身としてはだいぶやりづらくなってしまった。

「お嫁に行かれる前に治さなくては……もう少し自分の身体を大切になさってくださいね」
「う、うん、わかったよ……。カノ、でも私お嫁には行かないから」
「あ!失礼いたしました。婿を取ると言うべきでした」
「婿も取るつもりは無いんだけど……」

そう言うと、カノは私の手を包みながら悲しそうに微笑んだ。

「名前さまは、そろそろ幸せになっても良いのですよ。私は名前さまが幸せになってくれるならば、いずれここを去ろうとも私が必要でなくなろうとも、ずっと貴女さまのことを思っていますから」
「……」

私の傍にいたいと息を吐くように言っていた彼女の言葉とは思えなかった。変わっていない……とも思ったが、考えが変わったのだろうか。それとも、単にこの年まで結婚しないでいる私のことを気づかっての発言だろうか。

「……?どうされましたか」
「ううん、なんでもない。カノがそう思ってくれるなんて私はもうとっくに幸せ者だよ、ありがとう」

**

お寝坊の名前さまが起きられる前に食堂で朝食を取り分けて、お召し物を用意しなければ。すっかり日が昇っている時間でも元気になった名前さまでも寝起きが辛いのは変わらないらしく、相変わらず私がお声を掛けに伺わなければ、いつまでも起きてこられない。それでも名前さまの可愛らしい寝顔が拝めるのでむしろ嬉しいのだけれど。
ただ、最近はそんないつもと変わらない名前さまが、不自然に見えてしょうがない。私が話しかければちゃんと答えてくださるし、微笑んでくださる。これまでと何ら変わらないはずなのに。……あ。でもグレイグ将軍とは私が嫉妬してしまいそうになるほど、これまでよりも仲が良さそうに話しておられた──

「きゃっ、すみません!」
「おっと……すまん」

名前さまの御膳を持ちながら歩いていると、曲がり角で人とぶつかりそうになる。その相手を見上げれば、漆黒の鎧に身を包んだ──ちょうど名前さまのことで思い浮かべていたグレイグ将軍だった。

「グレイグ将軍、大変失礼いたしました」
「ん、お前は確か名前の侍女か。久しいな。名前はもう起きているか?」
「まだお休みになられていると思います」

そう答えると、グレイグ将軍は丁度良かったたと私に茶封筒を手渡してきた。……両手が塞がっている私にものを託すとは、結構忙しいのだろうか。

「名前が起きたら渡しておいてくれ。それと、今夜の会議までにその報告書を簡単にまとめておくようにとも伝えてくれないか」
「分かりました…...あの!」

去っていくグレイグ将軍を、気が付けば呼び止めていた。呼び止めるつもりなど無かったのに、つい叫んでしまったのだ。自分で読んでおいてどうしようかと悩んでいたが、この機会を逃すまいと、ここ最近様子がおかしい名前さまのことについて尋ねることにした。

「……つかぬことをお聞きしますが、名前さまは世界をお救いになってから、ずっとあの調子なのでしょうか」

そう言うと、グレイグ将軍は首を傾げた。……名前さまの様子がヘンだということに気づいていないよう。あれは、ただの私の勘違いなのだろうかとも思ったが、十年以上もお世話をしていれば判る── 名前さまはどこかおかしい。

「あの調子……?体調でも悪そうなのか」
「いえ、……なんというか、心ここに在らずといったように、どこか上の空でいることが多いのです」

どこがおかしいとははっきりとは言えないのが、なんとももどかしい。ただ、一番近くで名前さまのことを見てきた身として不安を感じているということは、やはり何かあるのではと思ってしまうのだ。

「笑ったり怒ったりはするのですが、どこか仮面を被っているような作った表情をされます。私の思い過ごしだと良いのですが」
「仕事続きで疲れているのかもしれんな。俺のほうでも注意して様子を見てみよう」
「ありがとうございます」

忙しいと見受けられるところ呼び止めてしまったが、グレイグ将軍は心配そうに顎に手をあてて考えていらっしゃった。確かに仕事続きで疲れているというのはあるかもしれない、ただそれならば私にでもこっそり愚痴を言っていただくこともあったはずだ。それにもし私に気づかれたく無くば、名前さまなら上手くひた隠しにすることもできるはず。
このモヤモヤをどうにかしたいと言う気持ちもあれば、名前さまが言いたくないならばそれを尊重しようという気持ちもある。思い切って聞いてみるか、それともこのまま何も言わずに接するか……あれこれと考え悩んでいると、同僚に「スープが冷めてしまうわよ」と声を掛けられ、慌てて名前さまの私室へと向かった。