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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

戦姫の懊悩
日常のふとした瞬間に、ホメロスさまのことを思いだす。この世界にとって彼の存在は絶対的な悪であったと判っているのに、……そんな人に対して未練がましい自分にほとほと呆れてしまう。
忘れようと思っても忘れる寸前に夢に出てくるあの星空。その景色を見るたびに、私は精神が削られていくようだった。ホメロスさまを失った心がズキズキと痛んい……いくらが魔物に身を堕としても、私に対して愛情の欠片も無かったとしても、彼と過ごした日々を忘れることができない。彼が亡くなってからもう、数年の月日が経ったというのに。こんなことを誰かに言ってしまえば、可笑しいと思われてしまうだろう。私にとっては彼は尊敬すべき上司で、面倒臭そうな顔をしながらも渋々面倒を見てくれたお兄さんで、私の──いけない、これ以上考えるべきではない。彼が私にとってどういう存在であれ、彼はもうこの世界に蘇ることが無いわけだから。

そのようなこともあり、私はここ最近元気が無かった。手足に思うように力が入らず、少しだけ動いては溜息を吐いての繰り返し。そんな私に対し皆は「魔王討伐の際のショックを未だ引きずって精神的に不安定になっているのだろう」と腫れもののように扱っていたが、復興作業を視察に訪れたマルティナ姫は私の様子がやはり何か可笑しいと気づいたらしく、気が付けば半ば無理やり休暇を取らされて、姫の護衛という名目でデルカダール城から連れ出されていた。

「復興は順調です。来月には城の全ての部屋が使えるようになりましょう。外壁はまだまだ工事が続きそうですが……」
「ふうん、そうなのね」
「城下町の復興はまだ時間がかかりそうです。城下町上層の基礎工事は終えたのですが、その上に新しく建物を造るとなるとどうしても資材が足りずに……デルカダール王国もあのような場所にありますので貿易も難しく困難を極めている状況で」
「あのね、名前。せっかくこんなオシャレなお店に来たのだから、仕事のことは一旦忘ましょう?」

「名前が仕事で疲れていると思っているから息抜きに連れてきたのに」と仰いながら、姫さまはシロップがふんだんにかけられたパリパリの焼き菓子を頬張った。
此処はダーハルーネのとある喫茶店。なんでも甘いものが大好物な姫さまのお気に入りの店らしい。店に入った途端に鼻を突くような甘い香りで脳を痺れ、やっとその香りに慣れてきたかと思えば、今度は目の前にそれよりも甘ったるそうな焼き菓子が運ばれてきた。姫さまは幸せそうにこれを次々と口に運んでいるが、私はといえば甘さに胃がもたれぬようにコーヒーを啜りながらフォークで割ったひとかけらずつ食べていた。

「で、どうなの?」
「どうなのとは」
「もう……女同士でアフタヌーンティーをしに来たのなら、もう少し楽しい話をしましょうよ。例えば、結婚とかは考えていないの」
「け、結婚ですか……?」

姫さまが考える「楽しい話」など、スイーツの話か武道の話だと思い込んでいたため、姫さなの口から「結婚」という言葉が飛び出たことにとても驚いてしまい、素っ頓狂な声を出した。私のその顔があまりにも間抜けだったのか、姫さまはくすっと笑った。

「何よその顔は。ほら、名前には毎日のように縁談の申し込みがあるでしょう?私としてもあなたの行く末が心配なのよ。そろそろ仕事もほどほどに、幸せを掴んで欲しいと思ってね」

もう良い歳頃だしねと言われて黙り込んでしまう。私くらいの歳になれば、既に結婚して子供が居る人が殆どなのだが、生憎私は誰かに恋い焦がれたこともなければ、好きだと言われたことも無い。かといって焦っているわけでもなく……結婚して子供を産むことで幸せだと感じることが女の役目とはいえ、私には家も何も無いから、それを強要されることもないのだ。結婚に幸せを見出せていないから、しようとも思わないという考えだ。
イレブンたちと世界を救ってから、私には縁談の申し込みが殺到していた。……裏を返せば、世界平和に貢献するという形で世界に私の立場を知らしめたことで、これを利用しようとする人が増えたのだ。そんな欲望が見え透いている人間と結婚するくらいならば、今は一生独身でも良いと思っている。

「縁談は、今は受けるつもりはありませんよ」
「あら、彼がいたの?」
「いませんけど……」

私の気勢をそぐような返答に、姫さまは少し残念そうな顔をした。縁談も受ける気が無い、ボーイフレンドもいない。つまるところ私に恋愛の話をしても、何の収穫も無かったと言うことだ。姫さまとしては、同年代の女性でこういった話をできる相手が私しか居ない為か、さぞかし残念に思われたに違いない。

「名前は可愛らしいから、男なんて選び放題だと思うけど」
「選び放題って、そんなことないです」

寧ろ今まで生きてきた中で愛の告白と言うものを一度も受けたことが無い。──それは名前の城での立場上仕方のないことなのだが、そんなこともあって自分に対する自信など毛ほどもなかった。

「昔は人並みの夢も持っていましたが、今は恋愛とか結婚とかあまり考えられなくて。多分このままでは、私は一生独身かもしれません。……でもそれで良いんです、こうしてデルカダール王国に仕えていけるだけで私は満足です」
「……そうなの」
「それに、」

「やっぱり私だけ幸せになるなんて」
そんな言葉が飛び出しそうになって、慌てて口を噤んだ。……この期に及んでも、私の中でベロニカやホメロスさまに対する罪悪感が私を支配していた。

「それに、どうしたの?」
「なんでもないです!なので……その、姫さまの期待には応えられないかもしれないです」

あれからずいぶんと時間が経ったはずだった。もう二人の顔もぼんやりとしか覚えてなければ、声も忘れてしまった。それなのに、二人が亡くなったという事実は今も私を苦しめている。もう彼らはこの世界には存在しない……私が幸せに暮らしているからと嫉まれたりすることは無いというのに──寧ろベロニカに至っては背中を押してくれそうな気もするが、私は彼らを差し置いて自分が幸せになることが、どうしてもできないでいた。
その気持ちを姫さまに伝えれば、「名前が悪いことをしたわけでもないのに」と呟かれた。その言葉は否定できない、否定はできないのだが、肯定もできなかった。デルカダールの地下に幽閉され、何もできなかった私が、もしも……もしも彼女たちを救う為に動くことができていたのなら──そんなことを考えては頭を横に振った。目頭を押さえて、過去の記憶を押し留めれば、温くなったコーヒーを口に含んだ。どちらにせよ、私は縁談を受けるつもりはないということだけ答えれば、姫さまは悲しそうに笑った。