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悠久の誓い
身体がスッと軽くなった。もう痛みも、心苦しさも、何もかも忘れて、まるで深い湖に飛び込んだかのような感覚に陥る。視界は真っ暗で、手足はどこにもつかず、温度も感じられない……そんな状態をしばらく享受していた。

「……勇者の器よ」
「……?誰」

ふと、誰かに声をかけられた。男性の声か、女性の声か、それすらも判別できない。それでも、その言葉ははっきりと私の頭の中へと入ってきた。

「チャクラを開け」
「……チャクラ?」
「何をとぼけている?前に我を都合良く遣っただろう……あれと同じことをすれば良い。意識を我に集中させろ。さすれば我は貴様の意識を完全に乗っ取るっことができる」

漸く、その言葉の主が理解できた。私の中に棲む「魔物」ではないか。今まで話したことも無ければ、話せることすらも知らなかったが、……とりあえずこの魔物は私の意識が沈んだ今、私の身体を乗っ取ろうとしていることまでは理解できた。それならば返事は容易い。

「嫌だ」
「では、このままではあと数分もせぬうちに失血死だ」
「……」

寧ろあれだけの攻撃を受けたのにも関わらず、私はまだ死んでいないようだ。しかし瀕死の私を遣って何をする気なのだろう。……そうすれば私の意識はどこへ行ってしまうのか。私に何かメリットはあるのだろうか。

「辱めを受けた相手にようやく復讐の機会を得たものの、侮ってだまし討ちを食らって……それで死に切れるというのなら構わん」
「それは……」

「魔物」は必死に私に訴えかける。が、そもそも「魔物」は敵である。敵の言うことをハイハイ聞いて意識を与えてしまうより、私はこのまま死んでしまったほうが良いのではないだろうか。別に生き返ることができるわけでもあるまいし……とそこまで考えると、「魔物」はその心を読んだようにペラペラと喋り出した。

「貴様の身体が「いま」死んでしまえば、我の意味も無くなってしまう……それではこうしよう。貴様がチャクラを解放したとて、貴様の中にある勇者の力がそれを閉ざそうと阻む。我にできるのはせいぜい、貴様の身体を復活させること。そして……貴様の身体に力を与えることだ」

つまり、復活させてやるから一瞬だけ意識を貸せよということだ。これではあまりにもできた話だ。何か裏があるに違いない。しかし、この期に及んでこんな嘘をつくだろうかという気持ちもある。
私とて戦いの戻れるならば、戻りたい……イレブンたちの力になって、なんとしてでも世界を救いたい……その気持ちは大きい。どう復活するにせよ、私の意識が元に戻るならば、まだ望みはある。

「あなたはホメロスさまの味方では?何故敵に塩を送るような真似をするの?」
「味方ではない。奴は我の駒にすぎぬ。我の邪魔をするならば排除するまでだ」
「イレブンたちに危害は与えないと約束して欲しい」
「心配せんでも、今はできぬ。……ただ、こちらが万全の状態でチャクラが開かれでもすれば、その時は勇者どころかこの世界もろとも破壊する魔物となり得るだろうな」

それならば、私が万全の状態でチャクラを開かぬよう意識すれば良いだけだ。そして、もし今後開こうとすることがあれば、その時は潔く命を絶つ。なんたって、この呪いが無ければ一度死んでしまった身なのだから。

「私も……今は死ねない。それに、このままだとイレブンたちが負けてしまう。今は目の前のことに片をつけねばならないし……。決めた、私の意識をほんの少しだけあなたに託す」

そう言えば、「魔物」が満足そうに笑ったような気がした。心の奥にある「魔物」の意識を封じ込める蓋……深く集中しながらそれを探し出す。そして、その蓋を遠慮無く一気に解き放った。

まるで、自分が主人公の物語を見ているかのようだ。視界が一歩先に広がっている。起き上がって、傷口を確認すれば、驚くことにすっかり塞いである。そして、私の意識を乗っ取った魔物は勝手に歩みを進めた──イレブンたちとホメロスさまのもとへと。

**

「僕のせいだ!僕が大丈夫だと思って名前を一人で行かせたんだ……そのせいで……!」

イレブンが今までにないほどの悲痛な声をあげた。闇の力で生み出された巨大な槍によって、名前の身体はいとも簡単に貫かれた。そしてそのまま、彼女の身体は糸が切れた操り人形のように地面に落ちて、ピクリとも動かなくなった。
いつの日か、眠れないと言った名前を宥めた夜を思い出す。あの日の約束を、必ず果たすと誓ったはずなのに。

「絶対死なせないって、そう約束したのに……!僕は最低最悪の嘘つきだ……」
「どうした?随分と大振りになっているが……悔やんでも無駄だ。すぐにあの娘の後を追う運命にあるのだからな!」

ホメロスの攻撃を掻い潜れず、名前のもとへたどり着くことすらできやしない。あれだけ失血していれば、もう回復呪文も手遅れだ。蘇生呪文を唱えれば間に合うかもしれないが、唱える時間も無ければ、今度はこちらの戦力を大きく失うリスクもある。

「イレブン、下がって一度体制を整えろ」
「……」

そんなイレブンを見かねて、グレイグがホメロスの前に立ちはだかった。その表情は、名前がやられる前と何ら変わっていない、流石は幾多の戦場を潜り抜けてきた武人である。心を乱さず、敵に立ち向かう……そんな彼でも、怒りで剣を震わせていた。
あれほど大切に思っていた人を目の前で串刺しにされたのだ、グレイグが一番辛いはず。だからこそ今は彼が自分をカバーしてくれたように自分もカバーしなければと思った。一人でいては、冷静に立ち向かうことができないだろうから。

グレイグの横に立ったイレブンも剣を握り直した。斬撃を繰り出す自分たちに向けて、対峙するホメロスが先ほど名前を貫いた槍を生み出すような身振りをしようとした時だった。後ろにいたシルビアが大きな悲鳴をあげた。

「ちょっと!名前ちゃんが立ち上がっているわ!」
「なんだと!」
「ウソだろ!?さっきまで、腹を貫かれていたんだぞ!」

その言葉にイレブンたちはもちろん、ホメロスまでも名前のほうを向いた。

──名前がゆっくりと、こちらへ向かって歩いてくる。誰か蘇生呪文を唱えたのか?いや、そんなはずはない。それではやられたフリをしていた?…...しかし肉を貫いた感触は確かにこの手に残っている、更には名前が倒れていた場所には夥しい量の血が流れている。

そうして名前はホメロスの手前で歩みを止めた。風穴が空いたはずの腹には確かに肉が存在している。状況が飲み込めずに皆呆然としていると、そんな全員を気にも留めていないように名前は嬉しそうに笑った。

「……ふふ……はあ。カラダを持つというのはこうも気持ちが良いものか……」

その口から発された言葉はたしかに名前の声でありながら、彼女の言葉ではなかった。いち早く疑念に気づいたグレイグが、勢いよく顔を上げる。

「…...まさか!」
「グレイグ、何か心当たりがあるのか?」
「いや…...まだ様子を見よう」

ここで言ったとしても話がややこしくなるだけだ。今、名前は敵か味方かすらも分からない。安易に行動をするよりかは、しばし観察した方が良さそうだ。

「ホメロスよ、我が意思に背くとは。この身体を失えば……楽しめぬではないか」
「は……」

ホメロスは開いた口が塞がらなかった。自分は善かれと思って彼女を殺したのだ。自分が勇者に負けた時の保険として彼女を生かせていたのだと、そしてこのままでは勇者を殺すのも容易いため彼女の存在はもはや無意味であろうと、そう思っていたのに。まるでこれでは、自分が勇者を殺すことができないと言われているようなものではないか!
しかし目の前にいる彼女に取り憑く魔物は、ウルノーガさまでありウルノーガさまではない別人格。我が主君はこの神殿の最奥で待つ者だけであると唱えて、なんとか気を落ち着かせる。

「我が貴様ごときに殺されかけるとは……だがしかしこの身体を闇に染め、我の役目を終えて「本体」に戻るまでは、この器を殺されるわけにはいかぬ。長い年月をかけて吸い取った勇者の力は大樹の魂同様の巨大なエネルギー。それを無に帰そうとするならば、我は貴様を斬ることも厭わん」

不気味に微笑む名前はそう言い残すと、まるで憑き物が落ちたかのようにいつもの顔つきに戻った。

──気がつけば、自分は地面に足をつけて剣を握っていた。
身体を覆っていた闇は消え、水の中に沈んでいたような浮遊感もなくなっている。それでようやく、自分の意識が戻ったのだと確信した。傷口は最初から何もなかったように塞がっている。体力は回復するどころか、最初よりもむしろここに来た時よりも良いかもしれない。双剣も、いつも以上に手に馴染む。
そこでようやく、自分にほうを見て固まっている皆の顔が目に映った。ついでにワナワナと震えているホメロスさまの姿も。

「……戻った。イレブン!ほうけている場合じゃない!」
「へ、名前……?」
「早く決着をつけるよ!」

イレブンの手を思いきりつねると、彼もようやく現実に戻ってきたかのようだった。

「回復役は私がすべて担うから、だから思う存分ぶつけてきて!」

意識の奥底で見ていた。イレブンは私を一人で行かせてしまったことを後悔していた。そう思うと、今ここで私が一人で飛び出して行くことなんてできなかった。イレブンは私の言葉に安心したかのように、大きく頷いた。いつもの凛々しい顔で、静かに力強く。それを見て、こんな状況だというのに心の中にとてつもない安心感を覚えた。

私の回復力も、「魔物」のおかげか格段に上がっていた。防戦一方だった戦いが嘘のように、次々と攻撃のチャンスが生まれる。それに比べてホメロスさまは、先ほどよりも勢いが弱くなったような気がした──「魔物」がプレッシャーを与えた所為だろうか。だからと言って手加減をするつもりは毛頭無いため、全力で呪文を唱える。

暫くしてホメロスさまが膝をついたところで、戦いの決着はついた。こちらも満身創痍で、いつ倒れるか分からないようなしのぎを削る戦いだった。ふらつく足元を剣で支え、なんとか立っていられるような状態だったが、それでも勝った。最終決戦一歩手前、私たちにとって胸を掻き毟りたくなるほど辛く、苦しい戦いだった。

「ま……まさか、そんなバカな……。オレは六軍王を束ねる魔軍司令…。このオレが貴様らに敗れるというのか…」

誰も何も言わなかった。ホメロスに引導を渡すのはグレイグさま。この神殿に響くのは、今は彼の足音のみ。

「またそうやって、お前はオレの先を行くのか?」
「……」
「お前が称賛を浴び光り輝くほどに、オレは影になっていった。なあ、グレイグよ。オレはただ……お前のようになりたかっただけなんだ」

トドメを刺さぬうちに、ホメロスさまの肉体は闇の中へと消えていった。私の中に残ったのは達成感ではない、とてつもなく大きな喪失感だった。
ホメロスさまの胸に埋めこまれていたシルバーオーブを、イレブンが拾った。そしてそれをどうするべきかとこちらに視線を投げてきたが、私は首を横に振った。

「……イレブンが持っていて。私やグレイグさまには必要ないものだから」
「うん」
「先に進みましょう」

もうこの場所には何も残されていない。道具を使って体力と魔力を回復させると、誰からとなくゆっくりと足を進めて、奥の扉へと向かった。

**

扉を抜けて奥へと進むと、そこには青い魔法円があった。その中心に描かれているのは、ここに来てからはだいぶ見慣れた移動呪文の魔法陣だ。

「とてつもなく邪悪な気を感じます。きっとこの先に……」
「ウルノーガ……。ついに決着をつけるときが来たか」

体力も魔力もまんたん、戦闘で使える道具も最大限まで持った──ウルノーガを倒す準備は整っている。覚悟を決めて、イレブンから先に魔法円に足を踏み入れようとした時、背後から包み込むように私たちの身体を何かが拘束した。

「ちょっと!何よこれ!」
「まさか……!」

気配を感じて振り向いた。そこにはつい先ほど倒したはずのホメロスさまが、今までに倒したはずの他の六軍王を携えながら宙に浮いている。一体どういうことかと逡巡するも、まるで理解できない。本物か、いや幻影か、考える暇も無くホメロスさまを睨めば、ニヒルな笑みが返ってきた。

「まんまとだまされたようだな。このホメロスがあのまま終わると思うたか」
「あいつら倒したはずだろ?まさか復活したってのか!?」

その中にはゾルデの姿もあった。そんな彼の闇の力が私を拘束していたが、それにしては弱い拘束だ。おおかた、ホメロスさまが残った魔力を振り絞って無理やり復活させたというところだろうか。

「ククク……最後はやはりこうなるのだよ。グレイグ!お前はオレにはかなわない」

自ら堕ちて魔物になってまでグレイグさまに倒されては、死んでも死に切れないのかもしれない。しかし、私はせめて最期はホメロスさまらしくあって欲しいと思っていたのだ。プライドが高く、これは伝聞であるが真っ直ぐで素直だったホメロスさまは、こんな苦し紛れの惨めなことはしない。私が好きだったホメロスさまは……。

「ホメロスさまは、もう居ないのね」
「名前?」

すかさず隣で同じように拘束されているカミュに言葉を投げかけるが、彼も私に話しかける余裕があるということは……そういうことだ。

「イレブンよ、魔王さまのもとへ行きたくばひとりで行くがいい。その代わり、こやつらの命はもらっていく」

ああ、どこまでもあなたは救われない。私たちの目を見て、それでも絶望的な状況下であると思っているのだろうか。

(私が知っているホメロスさまは、悪足掻きだなんてみっともないマネはしなかった。“ホメロス”……あなたとはここで終わらせる)

「ひとりでは行かせないぜ、イレブン!俺にも見せてくれよな…...魔王をぶっ倒す、勇者の奇跡ってやつを!」

カミュのその言葉を皮切りに、皆で一斉に闇の拘束を弾き飛ばした。決戦直前、この世界の人々の思いが報われるまであと一歩。私たちの志気はホメロスの不意打ちをものともしないほど、今まで以上に万全だった。

ホメロスさまは音を立てて地に伏せた。それでも、血が滲む爪を立てながら、必死にこちらへ向かってこようと地を這う。

「まだ死ねない……。グレイグ……お前を超えるまでオレは……」
「……ホメロス。お前は俺になりたかったと言ったな。だが俺は王に拾われて以来、お前の背中を追い続けてきた。……お前こそが、俺の光だったんだ。今の俺があるのはお前のおかげだ。ホメロス、なぜそれがわからぬ」

最期まで彼は執念に囚われていた。ただ死に際グレイグさまがかけた言葉で、まるで今までの行いを後悔するかのような悲痛に歪んだ顔をした。それは、グレイグさまに負けたという無念からなる表情でないことは私にも感じられた。

胸が苦しくて、苦しくて仕方がない。ホメロスさまの身体が黒い霧のように消える寸前に、あの懐かしい声でグレイグさまの名前を呼んでいた。もう遅いと分かっていても、それでも救えたのならという後悔の念だけが波のように押し寄せる。

「それ、最後まで持っておられたんですね。ホメロス……さま」

グレイグさなが、何もなくなったその場所から金色のペンダントを拾った。……それはかつて、幼き頃のグレイグさまとホメロスさまが王から賜ったものであったことは知っていた。ちょうどグレイグさまが装備しているデルカダールの盾を象ったデザインで、ちいさな赤い宝石が散りばめられている。

「これはお前が持っていてくれ」
「私が、……持っていて良いのですか?」

どうして最後までこれを持っていたのだろう。幼き日に、デルカダールの未来を語り合ったであろう二人の記憶をまだ失くさないでいたのだろうか、それともただ単にグレイグさまへの劣等感を忘れぬように身につけていたのであろうか。もうその意味を知ることは叶わないのだが、彼の最後の表情からどうか前者であることを願っている。

「……本当に、いなくなってしまわれた。ああでも最後だけ、久々に昔と同じ顔を見ました」
「そう……だな」

いくら気配を探しても、もうここには私たち以外誰もいない。魔物に身を堕とした者は魂さえも救われず、完全なる無となって新たな再生を待ち望む。
肉体も残さず消えてしまった彼の死さえこの世に残すことができないのならば、せめて私がその意思を受け継いで生きていこうと、誓いのペンダントを首にかけた。冷めた金属に少しだけホメロスさまの体温が残っているような気がして、感情が堰を切ったように溢れ出した。閉じていた唇の隙間から、声が洩れてあっという間に涙が顎先までつたっていく。何か大切なものを失った……この耐えがたい感情には、きっといつまでも慣れることはない。