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明けぬ闇夜
水浴びを終えて部屋に戻り、ベッドへと腰掛けると、火竜との戦いで血がついてしまった双剣を取り出した。長い間剣を使っていなかったせいで、こうやって手入れをするのも久々である。要らない布で落とし残した血を拭き取ると、バッグの中から砥石を取り出して丁寧に磨く。

「グレイグさまが一緒に来てくれて良かったです。皆には家族が居るけれど、私には居ないから、一人になったらどうしようとか、喋る人がいなくて心細いなとか……思っていたんですよ」
「一緒に来て欲しいと、目で訴えていただろう」
「ちゃんと伝わってて何よりです」

そして、グレイグさまがそれに応えてくれて本当に良かった。すっかり新品同様まで綺麗になった剣に油を塗り、それから乾いた布でしっかりと余分な油を取り除けば、剣のコンディションは完璧だ。

「よし、これで天空魔城の敵をズバッと斬ることができますね」
「……手入れが終わったのなら、もう休むと良い。明日も早く此処を発つのだろうからな」

そう言って武器の手入れを続ける彼に少しばかり抗議の目を向けた。明日は早く発つ予定なのだけれども、眠気はこれっぽっちも感じていなかった。まだ眠るには早い──グレイグさまと過ごすこの時間を、眠って過ごしてしまうのは勿体無いような、そんな気さえする。双剣を壁に立て掛けて、ベッドに戻ってはきたものの、ブランケットを捲る元気もなく、縁に腰をかけて宙に浮いた足を振り子のように動かした。

「おやすみなさい?」
「なぜ疑問形なんだ」
「もう少しお話したいなと思って。魔王に挑む前の最後の安息の時だから、寝て過ごしてしまうのは勿体無い。もしかしたら私やグレイグさまが死んでしまうかもしれなくて……そうなってしまったら、お互いもう少し話しておけば良かったと後悔してしまうかも──」

最後は、少し言い過ぎたと思って慌てて口を噤んだ。「もしものことがあった時に後悔しないような日にしたい」ともう少しマイルドな表現をしたかったのだが、私の言葉をそのまま受け取ったグレイグさまは良い顔はしなかった。

「……今はそのようなことは、考えるべきではない」
「ごめんなさい。でも……グレイグさまは、こんな気持ちを何度も経験しているでしょう。私は初めてで、なんていうか今まさに自分の命があとほんの僅かであるということを考えると、寝てしまうのが勿体なくて」
「その可能性をできるだけ下げるための睡眠だ。眠れずに気が抜けたその一瞬の隙に攻撃が飛んでくるかもしれん」

ぐうの音もでない正論だ。これ以上反論なんてできるわけもなく、何の言葉も出ずに下を向いた。私の言葉はただの感情論であると、そう気づいた時、心の中の余裕が消えていることに気づいた。覚悟はできていると思っていたのに、結局いざその時になるまで私の心はどこか宙に浮いたままなのかもしれない。

「……」

黙りこんでいると、ベッドのスプリングが大きく揺れた。グレイグさまがいつの間にか隣に座っていて、あやすようにゆっくりと背中をぽんぽんと叩かれた。

「俺はお前を守ると決めた。最後の砦で言ったことを忘れたわけではあるまい」
「……グレイグさまは」

怖くないのだろうか。誰かとの永遠の別れを考えて眠れなくなることは無いのだろうか。
私はまだ怖い。世界の為に犠牲になる覚悟はできているつもりなのに、まだ自分が自分でなくなる日が来るのではないかと、自分の身体に起きた呪いを知ったあの時からそれが怖くてたまらない。そして、それが現実になる可能性があるとしたら、私に呪いをかけた張本人である、魔王ウルノーガと対峙する時である。

「もし……もし、ですよ?私の命と世界平和、天秤にかける時がきたら、グレイグさまはどちらを選びますか」
「何を……」
「今の私の身体は、世界平和に楯つく存在であるのは、判っておられるでしょう」

ウルノーガを倒すまで、そのことを忘れてはならない。世界平和へのゴールが見えると同時に、心の奥底にしまっていたその感情がゆっくりと蓋を開けた。

「仮にそうなったとしよう。そうしたら俺はどうすれば良い、お前は俺に何を望んでいる」
「一思いに斬って欲しいです。グレイグさまは私を守ってくださると仰いましたが、それは別に私を死なせないことと同義ではありません。万が一私が私でなくなるのなら、せめてその前に「名前」というひとりの人間として、死なせてくださるのも私を守るという意味では合っていると、そう思いませんか?」

部屋の中の空気がずっしりと重くなったような気がして、無理矢理笑顔を作って己の感情を誤魔化した。「もしもの話なんですけどね」と付け加えて、様子を伺うようにグレイグさまの顔を横目で見る。相変わらず、表情は堅いまま。こちらを見ずに、何かを考えているように、虚空の一点だけを見つめている。

「……前も言っていたな。名前、俺はあの頃から、もしもお前が闇に支配された時どうすればいいのかを逡巡している」
「てっきり忘れているものかと」
「忘れるものか」

グレイグさまに、私の心持を伝えたとき……これでもかというほど勇気を振り絞った。十六の自分も、世界の行く末を案じて、そこまで親しくなかったグレイグさまに、「もしものときに私を斬ってくれ」と保険をかけたのだ。
あの時は、王のことを妄信する彼のことを完全には信用できずにいた。だが、彼の人柄を長く見てきた私は「もしも、最後の最後で真実に気づいた時に、きっとこの世界の為に働きかけてくれる人である」と信じていた。その為には私を斬ることを厭わないであろう、ということも……。

だが、状況は変わった。
グレイグさまは、気が付けば私のなかで最も心を許すことができる存在になっていた。そして、グレイグさまにとっても……私はかけがえのない仲間である。未来は、私が思い描いていたよりもずっと優しく、そして残酷に進んでいった。

「グレイグさまだって、何一つ犠牲を出さぬように行動してきたわけではないでしょう。今までの戦闘にも、どうしても多少の犠牲は出さねば乗り切れない場面はあったはず。それなのになんで、こんな時に優柔不断なのです……一を捨て千を守るのが貴方でしょう」

自分でそう言いながらも、グレイグさまの答えはなんとなく想像がついていた。確信は無いが、それでも……気づいている、己が如何に彼に大切に思われているのか。私を特別に思うその感情の中身は分からない……だが特別であることは間違いない。でなければ、説明がつかないだろう……一騎当千の将軍さまが、主でもないただ一人の人間の死に対して何故こんなに柔弱でいるのか、なんて。

ふと顔を上げると、目と目が合った。私の言葉に対する返事を乞うように、一瞬も目を逸らさずに見つめていると「参った」というように両手を上げられた。「答えになっていないです」と追い討ちをかければ、グレイグさまは少し躊躇った後に小さく呟いた。「お前だから、切り捨てることができないでいる、判るだろう」と。

「これで勘弁してくれ」
「……さあ、どうしましょう」

いつになく弱気になっているグレイグさまに意地悪にそう返すと、両手をぎゅっと握られた。まるで私に縋るように……強く締められた手首の先が痺れたが、それでも力は止まない。

「頼む。今は何も言いたくない。……言ってしまったら、これ以上に煮え切らない気持ちになる」
「……判りました」

こんなことを言われてしまっては、私もますます死ぬのが怖くなってしまう。今更になってこんなに切ない気持ちになってしまうなんて、こんなことならば、大人しく眠ってしまった方が良かったとさえ思う。

「もしもその時が来て、それでも斬って欲しいと望むのなら……俺はそれに従おう。俺の本意ではないが、「名前」を守るためのことであるのならば……責任は負うつもりだ」

先程まで望んでいた通りのその言葉は、今はとても重い。何かがぐっと胸を締め付けるような、そんな遣る瀬無さが身体を襲った。自分で決意した言葉がグレイグさまの口から零れると、こんなにも、苦しくなってしまうなんて。

**

昨晩はよく眠れなかった。ベッドの中で縮こまりながら、眠りにつくまで、手を包んでくれた温かさを思い出しては切なさを感じていた。

朝になれば、いつも通りグレイグさまに叩き起こされた。昨晩のあの温もりは夢だったのではないかと疑いたくなるような、いつもと同じその様子に、悪いことは忘れてしまおうと決めて、私も敢えて普段通りを突き通した。

今日は雲ひとつない快晴だ。闇の力に覆われているため、空の色はくすんでいるが、それでも爽やかな朝だということは感じられた。ダーハルーネを発ち、向かったのはデルカダール地方。城下町から、少し離れた場所にある静かな花園へと足を踏み入れる。

「しばらく手入れをしていなかったので、ここも酷い有様ですね」

いつだか私が植えた花は、痩せてこそはいるものの、墓石を覆い隠してしまう程咲き乱れていた。焼き尽くされていないかと心配でたまらなかったが、周りはともかく墓石は無事なようで一安心する。成長しきった花を何本か摘んで、冷たい大理石の上に添えると、目を閉じて手を組んだ。

「お久しぶりです、先生」

いつぶりだろうか。大樹が崩壊してからの時間はあまりにも長すぎて、最後に来たのが一体いつであるかも覚えていない。

「お堅くて苦手だったグレイグさまも居ますよ」
「……俺のことをそのように思っていたのか」
「今となっては昔のことです」

もし、先代が今も生きていて、私とグレイグさま並んでいる光景を見たら、さぞかし驚かれることだろう。先代が亡くなってから、私は外に出て人と交流せざるを得なくなった。先代は度々、幼い私に「城の者ともう少し仲良くしたらどうだ」と仰っていたから、今の私を見たら喜んでいただけるに違いない。

「デルカダールの宮廷魔道士の名に恥じぬよう、精一杯戦ってまいります。ですから、どうか見守っていてください」

今伝えるべきことは、それだけだった。私がここに来られない間お城で何があったか、イレブンたちとどんな冒険をしたか……。つもる話は、無事世界が平和になって私がまたここに戻ってきた時に、ゆっくり報告しようと思う。

「……では、行きますか」
「もう良いのか?まだ時間はあるが」
「言いたいことは言えました。私の思い出話は、戻って来るときまで取っておきます」

もう魔王を倒すまで、過去を振り返るつもりはない。余計なことは考えず、ただ私たちが目指すべき世界へ向けて戦い続けようと、そう決めている。先代との思い出は、私の中の大事な一欠片であると同時に、楔でもあった。私のこの世界に対する全ての未練を絶つために、最も忘れ難いこの場所に来た。そして、此処を去る時はもう、後ろは見ないと決めていたのだ。

「聖地ラムダへ」

イレブンから手渡されたキメラのつばさを空高く放り投げた。どうか次に花園を訪れている時は、焼け廃れた野に少しずつ緑が芽吹きはじめていますようにと祈りながら、私たちはその場を後にした。