ベロニカの葬儀の後、私はファナードさんの古文書捜索を手伝うべく書庫に赴き、神話に登場する神の乗り物──ケトスについての情報を集めていた。聖地ラムダの石造りの建造物は結構頑丈で、古文書は大樹崩壊による被害を殆ど受けることなかったことがせめてもの救いだ。 シケスビア雪原のキャンプでも眠ることができず、聖地ラムダまで丸一日歩きっぱなしで、その上ベロニカのこともあり、もうまる二日は寝ていないだろう。お城で規則正しい生活を続けていた私にとっては、辛いことこの上なかったが、睡眠効率が悪い私は短時間睡眠すると逆に疲れてしまうために昼寝も出来ず、結局一睡もしないまま古文書解読を続けていた。 「お嬢さんも、あまり無理をしなさんな」 「無理なんてしていませんよ。ファナードさんだけではこの作業は大変でしょうし、私で力になれるのなら幾らでも」 寝不足による頭痛を堪えつつも、顔には出さないようにそう答えた。辛いからといって休みたいと言う気持ちは無かった。世界滅亡までのカウントダウンが始まっている中、今自分にできることはこのくらいしかない。寧ろ、古代文字の解読は自分にしかできないことだ。それならば仲間たちの為にも今全力を出し切らねばならない。 「……ベロニカのおかげで、皆が生きています。そしてその皆がいなければ、私も死んでいたでしょう。二度しか会ったことがありませんが、彼女は私の大切な恩人です。私の全てを、彼女が守りたかったものに捧げます……今はそのために頑張る時です」 彼女がイレブンを、グレイグさまを、そして王をも助け出してくれたことで、私は無事あの城から逃げ出すことができたのだ。あのまま誰も助けに来なかったら、今頃どうなっていたことか……考えただけでも悍ましい。そうとなれば、もとより拾われた命。私が何かを成すことで世界が救われる可能性が少しでも上がるのならば、それをやらない選択肢など何処にも無い。 ベロニカの葬儀のために広場へ集まった人々の影も薄れ、気づけば辺りには夜の帳が下りていた。ファナードさんがどこからか持ってきたランプに油をさして、小さな明かりをつけた。デルカダール城の片隅で毎晩こうしてランプの灯りに照らされた文字を追いかけていたことを思い出して、少しばかり懐かしくなった。 「此処には、勇者関連の書物がたくさんありますね」 「聖地ラムダは、勇者ローシュと共に旅をしていた賢者セニカゆかりの地。全ての旅を終えた彼女は、後の世の平和を願ってここに様々なものを遺残していきました。それもありまして、ここには勇者一行に関する様々な古文書が存在しているのです」 「賢者セニカ……」 見受けられる勇者ローシュ一行に関する書物の中でも、彼女のことを書き記したものが多いのはそういうことだったのかと納得する。それにしても、勇者ローシュに関するは次から次へと出てくるものの、肝心の今求めている情報はあまり出てこない。彼らが戦い討った邪悪な神とは一体何なのか、ローシュやセニカは旅を終えたあとどうしてしまったのか、そんな情報がすっぽりと抜けていて、どうも気がかりだ。 「……ふう、」 ケトスについての情報を探さねばいけないのに、余計なことばかりに気を取られる。集中力が切れてきたので、いったん一息ついてぐっと伸びをすると、それをみたファナードさんに声を掛けられた。 「いったん休憩されては如何ですかな」 「そう、ですね。少し外に出てきます」 あるかも分からないものを探す、終わりの見えない作業は、精神的にもよろしくない。未だ目を通していない古文書は、ざっと今までに読んだものの倍以上──この先、今まで以上に辛いものになるだろう。ここはお言葉に甘えて、いったん文字を追う作業から離れることにした。 外は夜の静寂に満ちていた。耳に入るのは里を吹き抜ける風の音。瓦礫まみれの、人気も無い景色の中に、ふと目立つ紅白の衣装を見つけた。誰と話すわけでもなく石柱に寄りかかって夜空を見上げている……彼らしからぬその姿を見て、きっとベロニカとの思い出に耽っているのだなと予想ができた。声を掛けようか掛けまいか迷ったが、様子を伺っているとあちらも私に気づいたらしく手を振ってきた。 「あら名前ちゃん...…」 「シルビア、起きてたんだ」 「なんだか眠れなくてね。名前ちゃんのほうはどう?」 「それっぽい本を選んで読んでいるんだけど、有力な手がかりはまだ見つかってない」 シルビアの隣に立つ。足元にすり寄ってきた野良犬を撫でながら、闇に覆われた空を見上げた。雲の隙間から星々が静かに光り輝き、遠くの山々が薄らと照らしている、魔王に支配されているとは思えないほど綺麗な光景。まるでこの場所だけ昔にタイムスリップしてしまったと疑いたくなる……世界はこんなにも不穏なのに、変わらない景色が目の前に広がっている。 「無理、してない?」 「シルビアこそ……でもお互い眠れないよね」 もう二日も寝ていないのはシルビアも同じこと。身体はもう限界を迎えているけど、とても寝る気になれないのも多分同じだ。 「今はがむしゃらに頑張るよ。無理をしていることは否定できないけど、私がそうしたいからしているだけ」 寝ていたほうが寧ろ苦痛だ。こんな状況で、しかも私にやるべきことがあるならば尚更。明日以降に向けて今は少しでも体を休ませなければならないのは判っているのに。私の心は、ベロニカを失ったという鈍い痛みで押し潰されそうだ。それを和らげる方法が、私が少しでもこの世界のために動くこと。 「恥ずかしい話なんだけど、私は今まで自分が生きることを最優先で行動してきたの。それで今日まで、自分の選択で運良く生き延びることができたんだって思ってた」 ここには二人しかいない。今ならば、吐き出せる気がした。とても皆が集まっている場所では言えないが、付き合いがあるシルビアならば咎められてもまだ大丈夫だと思った。てっきり少しは飽きられたり怒られたりしてしまうかと思っていたが、そんなことはなく。シルビアは私の話を聞いてうんうんと頷いてくれた。それを横目で確認して、安心して言葉を続ける。 「でもね、違うって分かった。私は色々な人によって生かされていたんだなって」 恩師は身を守るために様々な知識を詰め込んでくれて、グレイグさまだって私のことを必死に守ろうとしてくれて、カミュだって船の上で的に背中を見せているのにも関わらず私を抱きかかえてくれて。他にも、今まで気にも留めていなかった思い出までもが次々と思い浮かぶ。 「ベロニカが自分の命を投げ打って全てを託した……あの記憶を見て、私は今までどんなに愚かなことをしたのだろうって思ったんだ。後悔しても過ぎたことはどうにもならないから、せめてこれから私にできることは必死にやっていきたい。それが私を守ってくれた人への一番のお礼だから。だから私、死ぬ気で頑張るよ」 こんな心内をシルビアに明かす日が来るなんて思わなくて、言い終わった後の恥ずかしさに俯いきながら返ってくる言葉を待っていたが、いつまで経っても何も返ってこなかった。その代わりに一回だけ小さく鼻をすする音が聞こえて、表情を窺うようにこっそりと見やる。星の灯りの陰になって見えづらいが、彼の目がいつもよりも潤っている。 「意外と涙脆いのね、シルビアって」 「……アタシも今気づいたわ」 そう言われて小さく笑うと、シルビアもつられてはにかんだ。口角を上げる際に少しだけひきつった口元に、なんだかもう長い間笑っていないような気がした。 「シルビアのおかげでスッキリした。私はもうひと仕事してくるから、シルビアはゆっくり休んで」 「名前ちゃんも無理して倒れないようにね」 「うん、心配してくれてありがとう」 可愛らしく鼻を鳴らす犬を最後にひと撫でしてから、シルビアに手を振ってその場を去った。いつの間にか、里には切なさを感じるようなハープの音色が流れていた。まるで感傷に浸った人々の心を慰めるように心に自然と溶け込むそれは、きっとこの里のどこかでセーニャが奏でるものなのだろう。大樹へ還ったベロニカの魂が安らかに眠ることができるようにと、そう願いながらもう一度空を見上げた。 |