聖地ラムダの石造りの建造物は、大樹崩壊の影響で無残に崩れ落ち、ところどころ赤く燃える溶岩が地面を侵食していた。それでも荘厳で神秘的な雰囲気は失われておらず、初めて訪れる私はあちこちを見回しながらおずおずと足を進める。 石柱に囲まれた円形の広場の中心には、セーニャの父母と聖地ラムダの長老であるファナードさんが居て、しばらくセーニャと彼らは再会の喜びを分かち合っていた。しかし直後、ベロニカはまだここに戻ってきていないと言われ、私たちは困惑してしまった。私たちの表情を見たセーニャのご両親も不安そうな顔をする。一通り世界を回って、最後にここへ辿り着いたというのに、今までベロニカに関する情報は何一つ得られていない。ここにいるのだとばかり思っていたイレブン一行──特にセーニャはショックを受けたようにがくっと肩を落としたが、直後、このあたりからベロニカの気配がすると言い出した。 「……双子のカン、ってやつか?」 「不思議なことだとは思うけど、ここはセーニャについていくしかないわね」 聞けばベロニカとセーニャは、かつて世界を救った勇者ローシュの仲間である賢者セニカの生まれ変わりなのだという。そのために片割れであるベロニカの気配を察知できるのであろうと。そういった家系なのか、それともただの迷信なのか、いずれにせよセーニャがこのような場面でベロニカの気配を感じたと嘘をつくような人でもないので、セーニャを追う皆の後について行く。 聖地ラムダの北、私たちが入ってきた場所からすぐ左手に進んだ道の奥ある此処は静寂の森という。入り口近くに居た里の人には「この先には何もない」と言われたが、それでもセーニャは先へ先へと進んで行った。 「なあ、ここにベロニカがいるのか?どこにも見当たらないぜ」 「ここは子供の時から私とお姉さまがよく一緒に遊んでいた場所なんです。ここにいると思ったのですが……」 そもそもこの森にベロニカが居たならば、聖地ラムダの人々が彼女を目撃していてもおかしくはないのになとも思ったが、この森は別な道から入ることもできるのだろうか。そのようなことを考えながら、手分けして木の裏までトレードマークの赤い帽子の姿を探すが、彼女の姿は一向に見つからない。 「お姉さま、お姉さま!どこにいるのですか!」 「……もう少し奥まで探してみましょうか」 「そう、ですね……」 セーニャは焦ったようにそう答えると、さらに森の奥深くまで進んで行った。森に入ったばかりの時はきょろきょろと辺りを見回していたのにもかかわらず、奥に行くにつれベロニカの気配をより強く感じたのか、ただ一点を目指すように一直線に進んでいく。そして周りよりも一際大きな樹の前で立ち止まると、そっとその後ろを覗き込んだ。 「あら……お姉さま。こんな所にいらしたのですね」 セーニャが、ホッとしたように微笑んだ。その声につられて皆彼女のもとへ向かう。そこには、ベロニカが大きな樹の裏に寄り掛かるように眠っていた。 「起きてくださいお姉さま。風邪をひいてしまいますわ」 しかし声を掛けてもベロニカは一向に起きる気配が無い。寧ろ、目の前にいるベロニカからはまるで生気が感じ取られない。安らかに眠るその顔は、よくできた人形のようにぴくりとも動かず、そよ風を受けて金髪の髪がただ揺れるばかり。 「お姉さま、どうしてしまったの?」 久しぶりの再会だと言うのに、今にも泣いてしまいそうなほど不安そうな顔をするセーニャ。その時、ベロニカのすぐ傍の地面に突き刺さっていた彼女の杖が、ぼんやりと光り出した。それに共鳴するように、イレブンの左手も強く光り始め、ガントレットの上に勇者の紋章が浮かび上がる。 「イレブンさまお願いです。こちらの杖に触れてみてください。もしかしたら……」 杖に残された魔力がイレブンを呼んでいるようだった。それに引き込まれるように、イレブンの手が杖に触れた瞬間、あたりは白い光に包まれた。この感覚には覚えがある。こうやって何かの記憶を見るのは三度目だ。 まるで夢の中にいるようだった。きっと手を伸ばそうとしても伸ばすことができない、一度目──幼き私と先生の記憶を見た時と同じパターンであると理解した。目の前に現れた命の大樹で起きた光景を、何もできないままただ眺める。 見たことのない光景だが、それが世界が終わったあの日の光景であることは瞬時に理解できた。禍々しい剣を、大樹に突き刺す魔族と思しき者──ウルノーガと、その傍らで忌まわしい闇の力を纏い、口元を三日月のように歪ませながら宙に浮いているホメロスさま。 「そんな……命の大樹が……」 大樹の葉は殆ど全て抜け落ち、命溢れるエネルギーはあっという間に闇の力に染まっていく。イレブンたとは皆動けず、もうどうしようもないという絶望と、まるで現実であると思えないと言わんばかりの憮然とした表情と共に、その光景を茫然と見つめていた。ウルノーガたちはとうに此処を去り、次第に闇に包まれていく大樹の中で、ひとりまたひとりと意識が失われていく。 「早く何とかしないと、みんなやられてしまうわ……」 最後まで目を開けていたのはベロニカだった。なんとか意識を保ちながら、両手を伸ばして皆の身体を宙に持ち上げている。伸ばされている腕が震え、時折がくんと力が抜けるも、魔力が溜まるまで、必死に耐えている。 「あたしはどうなってもいい……みんな絶対に生き延びて、アイツから世界を救ってちょうだい!」 そう強く、叫ぶ声が頭の中に響いた。それと同時に、彼らにかけられた転送呪文の魔力が身体を包み、まるで大樹から零れ落ちるように退廃した世界へと降り注ぐ。それを見届けたベロニカは、その場に倒れ伏した。 「セーニャ……またいつか同じ葉のもとに生まれましょう。イレブンのこと……頼んだわよ」 エネルギーを失った大樹の土台は大きく傾き、また力を成した闇の魔力の塊はエネルギーを増して膨張し始めた。私が見ているこの光景も、次第にベロニカの姿を捉えられなくなるほどに激しく揺れ動き、やっとのことで何かを呟く彼女の姿を見たと思った瞬間、その姿は大樹の崩壊と共に消滅した。 束の間、目の前に現れたのは安らかに眠るベロニカだった。それを見て、杖が映し出した記憶の世界から抜け出したのだと言うことが分かった。それでもまだ、皆はあの日の光景を信じられていないようだった。 「お姉さま……私たちを助けるために……」 セーニャが、ベロニカに向かって手を伸ばす。そしてその指先がベロニカの身体に触れた瞬間、その身体は粒子となって消えてしまった。とても長い時間に思えた。セーニャの伸ばした手が崩れ落ちるまでがコマ送りのように見えた。 「……っ!」 今まで夢でも見ていたかのように悲しげな顔をしていた目から、一斉に涙が零れ落ちた。目の前に居たはずのベロニカが光となってその場から無くなってしまった、その瞬間に私たちの脳は彼女の「死」をようやく理解することができたようだった。 まるでイレブンたちに彼女の最後を見届けさせることができて満足したかのように、大きな杖は大樹の魔力を失って輝きを失った。もう誰も何も気にせずに、彼女を失った悲しみを、何もできなかった自分に対する怒りを、ぶつけるように涙を流し続ける皆を見て、私はどうしようもなく居た堪れなくなってその場から逃げ出した。がくがくと震える足で地面を蹴って、私が皆の視界に入らないようにと必死に走った。樹にもたれかかり安らかに眠るベロニカの姿を、目を閉じて頭を振り払っても思い浮かべてしまう。ああ、私は今までなんて愚かなことをしたのだろうか。 ** 「此処に居たのか……」 「すみません、あのまま皆のところに留まるのも気が引けて」 逃げて、逃げて辿り着いたのは、聖地ラムダの外。今は皆自分のことに精一杯で、此処まで来たら誰にも気を使われず一人になれると思ったのだが、この人には見つかってしまった。心内を打ち明けると長くなってしまうだろう……いつまでも立ちっぱなしである気力も無く、聖地の入り口付近まで移動して近くの木の根元に腰掛けた。 「私たちは、結局ベロニカと一緒に旅をすることが無いままお別れしてしまいましたね。彼女に恩返しすることもできず、今までの非礼を詫びることもできずに」 そう言うと、しばらく間を置いて同意の返事が返ってきた。あの光景を見なければ、私もここまで心苦しくなかったと思う。二度しか会っていない人物、イレブンの仲間だったということもあるが、それを加味してもここまで彼女の死が悲しいと感じる理由を逃げてからずっと考えていた。 「そう考えたら、あの場で涙を流すことも許されないように思えてしまって、結局逃げてしまったんです」 その人が日常生活からぱたりといなくなってしまった喪失感、あったはずの失われた時間を惜しむ気持ち、自分の無力さへの後悔、死を惜しみ泣いている人を見たときの同調、自分自身との重ね合わせ……人が亡くなった時に泣く理由は様々ある。しかし、ベロニカが亡くなった時に思わず涙が溢れてきた理由はそれらのどれでもない。イレブンの仲間であったことを加味しても私から見れば二度しか会ったことのない小さな女の子。崩れ落ちるセーニャや涙をこぼす姫さまに感化されたのかとも思ったが、此処に逃げてきても、今でもまだこんなにも涙が止まらない。そしてこうして泣いているうちにようやく気が付いた。 「イレブンたちみたいに、もう取り戻せない彼女との時間を惜しんで泣いているわけではないんです。私は、愚かな自分に恥じて泣いています。その疎外感がとてつもなく刺さる──」 自分が生きるために道を選んできた私、世界の為に命を擲ってまで賭けたベロニカ。目の前で魅せられた、世界に対する想いの違い。その圧倒的な差に、自分の生き様がどうしようもなく滑稽で、馬鹿馬鹿しいものであったかとうことを痛感して、私は悔しくて恥ずかしくてどうしようもなく涙が溢れてきた。 「思う存分ここで泣けば良い。ここには俺しかいない」 「そう、ですね」 「……数刻後には葬儀が始まる」 「判りました。それ以降はもう泣きません」 最愛の仲間を失ったイレブンたちはともかく、私たちまでめそめそしていたらベロニカに怒られてしまう。 これからのあのような最悪の事態が目の前で起こり得る可能性だって十分にある。ここでしっかりと気を保たねば、旅なんて続けていられない。零れ落ちる涙を手で拭っても、すぐまた涙で滲んでしまう視界を力が入らずに焦点が合わない目でただぼんやりと見つめていると、私の頭の中にふと声が降ってきた。「だから私は勇者になれなかったんだ」と、それはどこか聞き覚えのある悲しげな声だった。 |