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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

悪い予感
覚悟はしていたが、寒いものはやはり寒い。シルビアに縫い直してもらった普段着の上に分厚いローブとマフラーを纏い、帽子を被る。それでも、衣服の隙間から入り込んでくる寒さは防ぎようがない。だが、前に学者と二人で進んだ時よりかは仲間も多く、会話も捗っているおかげで身体も暖まり、前よりは辛くないような気がする。

「なんだか、おっさんや名前と一緒に旅をしていると思うと落ち着かないな」

数歩前を歩くカミュが、こちらを振り返ってそう言った。記憶を失っていた時のことはぼんやりとしか覚えていないらしく、記憶が戻った本来の彼との旅は、まだ始まったばかりということになる。

「そう?アタシはカミュちゃんが記憶を失っていた時の方がよっぽど落ち着かなかったけどね」
「ふふっ」

隣を歩いていたマルティナ姫がその会話を聞いてクスクスと笑った。もともとの旅の仲間に私とグレイグさまが加わって、上手くやっていけるのか不安に思った時もあったが、私たちの境遇を知ったイレブンたちがこうやってちゃんと受け止めてくれて良かったと思う。

「つーか、名前の腹の傷はもう大丈夫なのか?」
「うん、一応塞がってはいる。もしまた開いたらグレイグさまにおぶってもらおうかな……なんて」
「……俺はもう一日休もうと言ったのだがな」
「休んでいる暇なんて無いもの。大丈夫、今治癒力最大限で頑張ってるから」

今この瞬間にも、何人もの命が失われていると思うと、とても休む気にはなれなかった。それに、彼らのことだから私を置いてクレイモランを発つことはしないだろうから、結局は私が少し無理をする以外選択肢は無かった。傷も、暫く動かさなければ開くことは無いだろうし、しばらく戦闘は呪文メインで剣は控えようと考えている。

聖地ラムダへと続くゼーランダ山の入り口は、シケスビア雪原の南東にあるため、比較的歩きやすいクレイモラン地方を南下してから東へ進むことになった。前に古代図書館へ行った時は、クレイモラン城のすぐ横を抜けて行った為、こちらの道を進むのは初めてだった。とはいっても、見渡す限りの銀世界で景色など覚えておらず、どの道を通ってもさほど変わらないのだが……それでも初めて通る道は終わりが見えない気がして、滅入ってしまう。
シスケビア雪原に入って、少し進んだところにあったキャンプで一息つけば、ゼーランダ山までの道のりはあと三分の一といったところ。あまりの寒さに、ここで寝泊まりをするわけにもいかず、雪原を抜けるまでは力を出し切って頑張ろうと、少し休んでまたすぐ歩き始めた。正直に言うともう少し焚火にあたっていたかったが、私より辛いであろうロウさまが行くと仰ったのでさすがに止められはしなかった。

「すごい、綺麗な湖……」

キャンプ横の細道を抜けると、その先には見事に凍りついた湖があった。クレイモラン地方はいつもこの気温だから、特別今の季節だけ凍っているというわけではなさそうだ。かつてはこの地方も暖かかったのかと考えると、今すぐその時に戻って欲しいとさえ思う。そんなことを考えながら湖を眺めていると、シルビアが何か怪訝そうな声を出した。

「あら?前に来た時には、あそこに何かが閉じ込められていたような気がするのだけど……」

あそこ、と指をさしている場所を見ると、確かにこの平坦に凍った湖の一部に不自然なほどの大穴があいていた。それを見て、前にクレイモランを訪れた時にとある学者さんから聞いた話を思い出す。

「それってもしかして……」
「何か知ってるの?」
「……前にクレイモランを訪れた時に、勇者ローシュがこの地を支配していた魔竜を封印したという場所を案内すると言われたのだけど、他の場所へ急ぎたくて断ってしまったの。もしかしたら此処なのかも」

古代図書館に行く際に案内してくれた学者──エッケハルトさんに、他にもクレイモラン地方の様々な場所に連れていこうかと言われたが、あの時は寒さに耐えるので必死で、全て断って真っ直ぐ古代図書館へ向かったことを思い出した。あの時に案内すると言われた場所の中に、確かそういった場所があったような気がする。詳しくは聞いていないので湖かどうかすらも判らないが、この地方に何箇所も封印が施されている場所など無いだろうし、何かが閉じ込められていたという点に関してはシルビアの言葉と類似する。魔竜と聞いて、他の仲間もそういえば竜のようなものだったと口々にしているため、大方間違いなさそうだ。

「それならば、その封印されていた魔竜とやらがどこへ行ったのかが気になるところだが」
「逃げ出したのかしら……?」

湖面には無数の亀裂が走っている。おそらくは大樹崩壊の際の影響で、魔竜が閉じ込められていた氷が割れてしまっていたのだろう。閉じ込められていた場所に居ないということは、此処から逃げたと考えるのが普通であろう。それにしても、あの勇者ローシュ一行でさえ封印という手をとるしかなかった魔竜が、この世界に出てしまったのならば結構な問題だ。

「今は気にしている余裕はない。とりあえず、聖地ラムダへ向かうとしよう」

暫く悩んでいた私たちを見かねて、ロウさまが諭すように語りかけてきた。その言葉に納得はしつつも、まるで靄がかかってしまったかのように重い空気のまま、私たちはその湖を後にした。

いつかはあの魔竜と対峙するのだろうかと不安に思っていたが、その時はすぐにやってきた。湖を抜けた先、ゼーランダ山への入り口が遠くに見えている、そんなところまで進んだ場所。そこには不自然に魔物が居なかった。何か魔物が嫌いな聖なる空気でも漂っていると思ったのだが、どうやらその真逆のようだ。いち早くそれに気づいたグレイグさまが、皆を守るように前に立ち剣の柄に手をかける。

「瘴気が濃いな……」

そう、あまりにも瘴気が濃すぎている所為か、何故か他の魔物が居ない。精神を集中させて必死にその瘴気の根源を探すと、上に何者かがいる気配がした。空を見上げると、薄雲がかかる灰色の中に一筋の黒い帯が見えた。睫毛についたゴミなのではないかというほど小さかったそれは、次第にこちらへ向かってくるように姿が大きくなる。

「何かくる!」

叫ぶと同時に、反射的に背負っていた大杖と盾を構えた。皆もそれぞれ武器を構える。空から現れたのは、悍ましい瘴気をまき散らしている漆黒のドラゴン。まさに、先程の湖から逃げ出した魔竜であろう。逃げ出したばかりなのだからこの近くにいても不自然ではない。それにしても、あと少しでゼーランダ山というところで見つかってしまうとは、本当に運が無い。

「……その目、……我が主に刃向かうか」

いつ、どのタイミングで攻撃を仕掛けようかと相手の出方を窺っていると、魔竜はこちらを……私を見た。白眼の中にある黄金色の円が、たしかに私を捉えている。本当に私のことを見ているのだろうか、そう思って少し移動してみるも、相変わらず目が合う。

「主?」
「目が覚めれば勇者ローシュはとうに死に、今は我が主から生を受けた憎き小僧が世界を支配しているとは。何とも嘆かわしいことよ」

主と聞いて一瞬、ウルノーガがこの魔竜の封印を解き操っているのかと思ったが、それにしては言い回しが不自然だ。

「だが所詮は人間……」

だがそれに関してはもう考える暇も与えられていなかった。こちらに敵意をむき出しにしている魔竜は、力強く空に浮かび上がったかと思えば、大きく息を吸ってまるで焼けつくような息を吐いた。とっさのことで誰もかわすことができず、身体が痺れて自由がきかぬまま私たちは次々に地面に倒れ伏した。

**

痺れにやられた感覚器官がやっと元に戻り、目を開けると、そこには霊水の洞窟とユグノア城で会った金髪の女性がいた。名前はたしか──。

「セーニャ、本当に助かったよ」
「いえ、ご無事で何よりです」

久しぶりに会ったその女性は、こんな時でも相変わらず上品で淑やかだった。彼女の奏でるハープの音色は邪悪な心を持った魔物にはたいそう効くらしく、音色で弱った魔竜はセーニャによる呪文で倒されてしまったのだとか。彼女の実力は全く知らないでいたがまさかここまでとは、やはりイレブンたちと旅を共にした人物と言うべきか、魔王討伐には特に欠かせない存在だ。
セーニャの回復呪文を受けて、やっとのこと立ち上がると、今度こそゼーランダ山へ向かって前進した。これで、残る仲間は小さな女の子……ベロニカだけとなった。記憶の中では、たしかセーニャのことを妹だと言っていたような気がするので、彼女はセーニャの姉なのだろう。体格を見ると信じられないが、イレブンの仲間のことだから多少不思議なことがあっても気にならない。

「それにしてもあの魔竜の言葉、少し気になるな」
「我が主から生を受けた小僧……ね」
「ウルノーガが誰かによって生み出されたということで合ってるのかな?もしそうなったら、私たちの本当の敵はまだ他に居るってことになるけど」

現に、ウルノーガの支配下にある魔物はこのあたりからは消えていた。共存する存在ならば寧ろここにはたくさんの魔物が居るはずだ。魔竜の言葉から推測するに、ウルノーガが何かによって生まれて、その背後にはまた何かがいることになる。そしてウルノーガは自分を生み出したものの意思に反して世界を征服していることになる。背後に居る者が何であるかは分からないが、少なくともこの時代に生きているならばそれはそれでとんでもないことになるだろうことは予想がつく。

「まあ、今は細かいことは考えずに、ウルノーガの野郎をぶっ飛ばすことだけに専念しようぜ。それから敵が出てきたらその時にどうにかすればいいさ」
「ずいぶんと楽観的ね……まあ、今はその方が良いか。考えてどうこうなるようなことじゃないもの」

そんなカミュの一言で少し心がラクになった。私たちがその存在に気づいていないことにはどうにもならないし、その存在の正体を暴く暇もない。今は、ウルノーガに集中しなければ。

「その前に、ベロニカちゃんとも合流しなきゃね」
「お姉さまのことですから、先に聖地ラムダにて私たちのことを待っているのかもしれません」

ゼーランダ山の近くは幼い頃から歩いていましたからとセーニャが先導し、私たちはその後に続いて進む。残る一人の仲間、ベロニカについて、故郷であるラムダで待っているに違いないだの、優秀な魔法使いだからあのくらいでやられるような子じゃないから安心してだの、お互いの不安を埋めあうように言葉を掛け合っているのを見て、私は急に嫌な予感がした。

「……」
「どうした?」

急に下を向いてしまったからか、グレイグさまに不審がられる。グレイグさまもベロニカについては名前以外あまり知らないであろうから、私と同じく話についていけていないようで、私たちは皆よりも数歩後ろを並んで歩いていた。この距離ならば皆に聞こえないだろうと思い、グレイグさまに対して小さく手招きをすると、内緒話をするかのような小さな声で語りかける。

「こんな時に言うのもなんですけど、悪い予感がするんです」
「……今回ばかりは特に当たらないと良いがな」

グレイグさまも、私の悪い予感が当たるということは何度も経験している。これから、ゼーランダ山の先にある聖地ラムダで何かが起こる、そんな気がしてならなかった。もしかしたら、魔竜にやられたせいで少し頭が混乱しているのかもしれない。寒さにやられて上手く思考回路が働いていないのかもしれない。仮に何か悪いことが起こったとしても、それがまだ軽いものであれば大丈夫だと、自分自身にそう言い聞かせながら足を進めた。