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凛冽たる雪国の一夜

「また失敗した」

そう思った時には遅かった。捕まらないように、必死に逃げて、逃げた先にはまだ私が見ていない世界があった。何もかもがうまくいっていたはずだ、それなのに、どう足掻いてもこの事実だけは変えられない。
食い止めようとした私に、目の前に佇む彼は躊躇いなく切先を向けた。
命を懸けて、救いに来たのに。また会うことができたのに。どうして私はこの人を殺さなければいけないのだろうか。──



あれから、カミュの妹であるマヤはクレイモランの教会で保護されることになった。黄金城に囚われていた人々も町に戻り、黄金の氷山は溶けて、辺り一帯はひとまず原因不明の疫病に怯えることはなくなった。

「……何故また無茶をした。お前はもう子供ではない、大人しく言うことも聞けないのか」
「……」

私はと言えばまた傷口が開いてしまって、用意された豪華な食事をとることもできずに半ば強引にベッドへ入るよう促された。そして、食事を終えたグレイグさまが戻るなり予想通り説教を食らう羽目になった。マヤを助けられた代償としては随分と軽いものだが、それでもやはりこの重たい空気には慣れない。

「っくしゅ!」
「説教をしている間にくしゃみとは」
「し、失礼しました……」

ベッドに入りながら説教を聞くのもおかしなことだが、それほどクレイモランは寒かった。私に充てられた部屋は宿屋の一番端の部屋。二方向は壁一枚を挟んで外に面しているため隙間から外気が漏れて、暖炉で火を焚いているのにもかかわらず寒い。夜になれば気温も下がって、さらに寝る前には暖炉の火も消さねばならないので夜中は今の何倍も寒く感じるだろう。前にクレイモランを訪れた時は、先生のよしみもあり学者さんの大きなお屋敷に泊った為、それほど寒さを感じなかったが、よくよく考えれば永久凍土。寒くて当たり前である。
 
「まあ良い……今回は、名前のおかげで助かった部分もあった。これ以上ぐだぐだ説教をするのはやめよう」

寝るまで続くかなと思っていた説教はすぐに切り上げられた。心の中でホッとしたのも束の間、扉を挟むようにして置かれたもう一つのベッドの上に、床に置かれていたグレイグさまの荷物がどんと乗せられた。てっきりいつものように姫さまと同室になるものだとばかり思っていたから、姫さまが寝るはずのベッドにためらいなく荷物を置いたグレイグさまに対して戸惑ってしまう。

「グレイグさま、あの……姫さまは」
「?姫さまならば隣の部屋に居らっしゃるはずだが」
「え、私と同室ではないのですか」
「今日は俺が一緒に泊る」
「はい……?」

平気な顔でそんなことを言ってのけるグレイグさまに驚いた。サマディーの時も、ネルセンの宿屋の時も、結構躊躇っていたのに、そんな過去など無かったかのように振る舞っているのだから。それでもグレイグさまの中で、良い歳した男女が一緒に泊るというモラル的な問題よりも、私を心配する感情のほうが上回っているから、こんな行動を取っているのだということはなんとなく察しがついた。申し訳ないが心配されて嬉しいような、それでいて少し残念なような気持ちになる。

「また勝手に外出されては困るからな」
「もう、どこかに行ったりしませんよ。……というかせっかくクレイモランに来たんですから、グレイグさまは武器とか見てきても良いですよ」
「……あまり外に出たくない。判るだろう」
「そうでしたね」

グレイグさまも寒いのは苦手だと公言しているほど極度の寒がり。見た目に似合わず何かと苦手なものが多いところが意外性があって可愛気があるのだが、本人もそう言われるのは好きではないだろうから黙っておく。

「最後の砦から旅立つ時に、俺はお前を守ると決めた。それがこうも易々と破られているとなれば、多少は強引に言うことを聞かせるしかあるまい」
「イレブンと姫さまを守りながら、私なんて守ってられませんよ。グレイグさまは守るものが多すぎます。私は自分で身を守るので大丈夫です」
「その結果が今の状態なわけだが」
「それはまあ、申し訳ありません」

説教は終わったはずなのに、まだ心にぐさりと刺さるようなことを言いながら、グレイグさまも寝る準備をするために堂々と目の前で着替え始めたので、目のやり場に困ってしまい、背を向けていた壁のほうに寝返りを打った。体温で満たされていたブランケットの中に冷気が入り込んできて、思わず膝を縮こめる。

「冷えるか?」
「グレイグさまも寒いでしょうから、ブランケットはこれ以上いりませんよ」

寒いと言わずとも、この人は自分のブランケットを私にかけようとしてくるだろうということはなんとなく分かっていた。グレイグ様は、そういう人だから。

「明日はもっと寒いでしょうし、そろそろ寝ます。おやすみなさい」

有無を言わせずブランケットをかけられる前にそう言って会話を終わらせると、それ以上干渉されることは無かった。船の中では皆別部屋で、久しぶりに誰かと同部屋になったのにあまり会話が無いのは少しだけ心細いと思ったが、自分で「おやすみなさい」と言った手前、また声を掛けるのも躊躇われて、もう考えるのはやめにしようと目を閉じた。

**

「い……っ……」

真夜中、暖炉の火もとうに消えて、氷点下まで冷え込んでいるであろうこの部屋。突然、腹に鈍い痛みが走って目が覚めた。うとうとしながら、今の自分の姿勢がだいぶ酷いものであると認識すると、それが目が覚めた原因とリンクしていることを理解した。他の人から自分の寝相が悪いと言うことはさんざん指摘されていたが、まさか酷すぎて傷口まで開いてしまうとは思わず自分自身に呆れてしまう。

「……う……」

寝ぼけながらもなんとか集中して魔力を溜めようとした時、向かい側のベッドからごそごそと動く音がした。私の声を聞いてグレイグさまが起きてしまったのだろうか。間髪入れずこちらに近づいてくる足音が聞こえ、完全に起き上がるタイミングを見失って狸根入りをしていると、ブランケットを捲られて腹に手をあてられた。大きな手の感触と同時に回復魔法をかけられて、思わずその腕を掴んでしまう。

「捕まえた」
「……起きていたのか」

暗闇に目が慣れて、グレイグさまの表情がはっきり見えた。もう少しびっくりしてもいいだろうに、驚くと言うよりはばれてしまったと言わんばかりの気まずそうな顔をしていた。

「ブランケットもいつの間にか増えてるし……もう。グレイグさまはもっと自分に優しくしてくださいね」

グレイグさまは、どうして私が見ていないところでこんなことをするのだろう、と寝る前よりも重くなったブランケットを見てそう思った。恩着せがましいような態度をとることが嫌いなのだろうか。それともただの自己満足を押し付けたくないだけなのだろうか……それも私が気づいてしまえばおしまいだと思うんだけど。

「ほら、私がこうやってブランケットをかけたら嬉しいですか?」
「それではお前が冷える」
「私も同じことを思っていますよ」

「優しさをはき違えている」とストレートに言ってしまうと、流石に傷つくかもしれないと思ったため、あえて回りくどい言い方をしたが、グレイグさまはむしろ回りくどく言った方が納得できたようで。ブランケットを一枚渡すと、大人しく自分のベッドに戻ってくれた。
一度覚醒してしまうとすぐには眠れずに、寝るまでグレイグさまの顔でも見ていようかなと思いゆっくりと寝返りを打つと、彼の目もまた開いていた。夜目が利く私とは違って、月の光もあまりない今夜は何も見えないのか、こちらから見ると目の焦点があっていない。

「目、開いてますよ。眠れないんですか?」
「見える……のだったな」
「もし良かったら少しお話しましょう。久しぶりに誰かと一緒の部屋になったのに、すぐに寝てしまうのは寂しくて」

お話ししましょうとは言ったものの、特に話す話題も無くて。何を話そうか考えて黙り込んでいると、グレイグさまが思い出したように口を開く。

「前にクレイモランに来た時には、この町は氷漬けだった」
「私が牢に入れられていた時ですね」

月日で言えばそんなに経っていないのだが、牢に入っていた時のことが酷く懐かしく感じた。それは多分、イレブンと出会って旅を初めてから、今までにないくらい濃い経験をしているからだと思う。

「そういえば、その時のこと詳しく教えて欲しいです」
「別に、話しても面白くはない」
「私は聞きたいですよ」

グレイグさまがクレイモランから帰ってきて直ぐ、私たちは何があったかを話し合う機会もほとんど無く、終いにはすれ違いになってしまった。兵士たちの話を盗み聞きして大まかなことは把握していたが、あの場で何があったのかを本人の口からは詳しく聞いていない。

「前に、古代図書館に行ったと言っていたな」
「行きましたけど……」
「あそこには氷の魔女が封印されていた禁書があった。何者かがその封印を解いて、魔女にクレイモランを氷漬けにするよう命じた……そして」

そこで、いったん会話は途切れた。私はもうぼんやりと話が掴めていた。「何者か」というのが誰であるかもある程度は想像がついた。グレイグさまも言葉にするのは辛いだろうから、続きを催促をすることもできず。無言の時間が続き、しばらくして小さく息を吐いたような声が聞こえた。

「そして、やって来た俺の命も奪えとも」

私とグレイグさまがそれぞれバンデルフォン地方・ソルティアナ海岸方面からユグノア城跡へ向かうと決定したあの作戦会議でのことを思い出す。あの時から、ホメロスさまは忙しいという理由で何かと仕事を投げてくることが多くなった。あの時は少し不審に思ったくらいだったが、今になればそれも、彼の描く世界像から邪魔者を消すための準備であったと言うことが分かる。

「ホメロスさまが、デルカダールの救援を……グレイグさまを誘き寄せて殺すために、氷の魔女を利用したということで合ってますか?」
「本人の口からは聞いていないが、そう考える他あるまい」
「ホメロスさまは、なぜそこまでグレイグさまのことを恨んでいるのでしょうか。旧友に情も無いわけではないだろうに」
「いや、あいつを壊したのは俺のせいだと言っても過言ではない。……イレブンとデルカダールに行った時に、中庭の根で過去の記憶を見た」

中庭の根とは、私が過去に記憶に触れたもの──城の中庭にある大樹の根のことで間違いないだろう。私にもあの根の記憶が見られたのだから、イレブンもあの根を伝って何かしらの記憶を見たはず。そして同行していたグレイグさまも。

子供の頃の夢を語り合った思い出から、やがて目立つ自分ばかりが名声を得るようになり、しまいにはホメロスさまの祝意でさえ蔑ろにしてしまった。言わば自分が世界崩壊の一端を担ってしまったと言っても過言ではないと。低い掠れ声を聞いてなんとも居た堪れない気持ちになった。そんなことを言ってしまったら、ホメロスさまが敵であると知っていながら何も知らないふりをしていた私はとんだ犯罪者だ。それでも私が悩み抜いて決断して、ここまできた。勿論その判断が正解だったとは限らない。どこかでたくさんの過ちを犯している。もっと最善の策はあったはずなのに。ホメロスさまがグレイグさまを殺してしまいたいほど恨んでしまう引き金となったことも、わざとでなければそれはそのひとつの過ちにすぎない。誰でもそうなる可能性を持っていたし、勿論止められる可能性も持っていた。それでも、最終的に決断したのはホメロスさま自身だ。

「気に病むことはないと思います、それもまた一要因に過ぎません。ホメロスさまがあちら側についたのは、紛れもなくあの人自身の判断です。誰のせいでもないですよ」

そう言うので精一杯だった。グレイグさまだけが悪いわけではない。グレイグさまだけに光を浴びせた兵も、民衆も、はたまたそう仕向けてその弱みに付け込んだウルノーガも、様々な要因が重なってこのような結果になった。……私が偉そうに言えたことではないのだけれども。それでも、グレイグさまは安心したかのような表情をした。

「名前は、未練は無いのか?」
「もう……私の知っているホメロスさまは居ないんです。あの魔物に対しては何の未練も無いですよ。ああでも、完全に無いとは言い切れません、できることなら救いたかった。もう叶わない願いだって判っているんですけど」

グレイグさまには、心置きなくホメロスさまに剣を向けて欲しい。それが、夢を語り合った頃……あの純粋で真っ直ぐだった彼に対するせめてもの手向けだと思う。

「今は前しか見ないで進まないといけない時ですから、頑張りましょうね。お互い……特にグレイグさまは、ホメロスさまに関してはここにいる他の誰よりも辛いと思いますから」

もうお互いの顔は見ずに、何かを考えるようにただ何もない空間を見つめていた。そこには、私も、多分グレイグさまも、そこにホメロスさまの姿を映していると思う。返事はかえってこなかった。凛冽な部屋の温度が寂しさを余計に加速させているようで、私は先程にも増して居た堪れない気持ちになった。どうか今この空間が夢であったら良いのにと、そう願うほかなかった。