太陽が東の空に昇れば、デルカダールの街並みは鮮やかな橙色に照らされる。広げていた古文書を閉じて本棚に収め、水を浴びて身体を清めれば、兵装に着替えて訓練場へと向かった。兵士たちの魔法力を高めるのもまた宮廷魔道士の仕事なのだが、就任一年目、まだ成人にも満たない年齢の自分が、殆ど年上の……それも屈強な男性を相手に講義を行うのは未だに慣れない。しかも今日は、ソルティコの領主でもあり、世界最高の騎士と謳われるジエーゴさまが剣術の講義をするためにデルカダールへとやってくる日であるから、兵士たちも気を張っていて余計にやり辛い。 「いっ!命の大樹よ、恵愛に満ちた癒しの風を――」 「戦闘中に基礎の回復呪文を詠唱している暇は無いです、手を動かしつつ頭の中で詠唱しながら呪文を唱えるように心掛けてください」 そのため、普段は午後に行う戦闘の演習を午前中から行っていた。今日は生憎の晴天で、天窓から太陽の光が差し込む訓練場は、私にとっては苦痛を感じる場所であったが、「ジエーゴ殿の前で我が兵の見苦しい姿をさらけ出すことになる」というホメロスさまの半分命令な独り言を受けて仕方なくこの場にやって来ていた。 早朝から演練を開始していたせいか、まだ太陽は南天に差し掛かっていないというのに、もう一日の半分が経ってしまったのではないかと疑いたくなるほど疲労が溜まってしまった。ひと通りメニューを熟し、魔法技術が未熟な兵士には追加の練習の案内をすれば、私の仕事はひとまず終了。そろそろ私室に戻って睡眠をとらねばと、そう思い武器である杖を持って立ち上がれば、背後から肩を叩かれた。 「名前、少し良いか」 「あ、グレイグさま。どうされました?」 「そろそろジエーゴ殿が到着する頃だ。身体の調子が良ければ、出迎えてくれないか」 「もちろんです」 身体の調子は悪かったが、久々にジエーゴさまにお会いできるとなれば、出迎えないという選択肢は無かった。すぐさま私室に戻り、すっかり汗が染み重くなってしまったローブを脱ぎ捨てて体を拭くと、簡素なドレスに着替えた。侍女に化粧を施してもらい、汗ばんでまとまった髪を纏めれば、エントランスへと駆け出す。 「ジエーゴさま、久方ぶりでございます」 「ん?おお!名前じゃねえか、昼に起きているなんて珍しいこともあるもん。暫く見てない間にずいぶんと別嬪さんになったもんだ、名前がうちに嫁入りしてくりゃあゴリアテのやつも戻ってくるかもしれねえのに」 「あはは……」 軽いジョークを受け流し、先程まで居た訓練場にジエーゴさまを案内するために歩き出す。兵士たちは朝の疲れも抜けぬまま昼の練習に挑むことになる。強国の兵士として、こればかりは頑張って欲しいと思いつつ、自分もこんな身体でなければあの場に居たのだろうと思うと、少しばかりこの身体であることにホッとしてしまった。 「昼食はもう済まされましたか?」 「例の喫茶店でたらふく食ってきた、やっぱデルカダールの飯はうまいな!あ、そういや名前への手土産にパンを買っていこうかと思ったが、今日の夕方に焼くらしくて買わねえで来ちまった」 「いえいえ、いつもお気遣いありがとうございます」 例の喫茶店とは、私がよく通い詰めている城下町の店である。喫茶店ではあるのだが、私が嗜んでいるのは茶ではなく、その店で毎日焼いている自家製のパンであった。一等地にある店に似合わない庶民向けのライ麦で作られたそのパンに、故郷の懐かしさを感じるのか、この城の兵士の中にも通っている者は多い。ジエーゴさまに「城下町の良い店を知っているか」と聞かれた際に、このお店のことを伝えたところお気に召したらしく、さらに私の好物がその店のパンであると聞いて、城に来てくださるたびに手土産として持参いてくださっていた。 ジエーゴさまを訓練場に案内すれば、重い身体を引きずるように、私室へと向かった。途中ですれ違った侍女に肩を貸してもらいながらも、なんとかベッドまでたどり着くと、雪崩れ込むように横になった。やはり、昼まで起きていると全身の力が抜けてしまうようだ。日の光を浴びるのは朝方でギリギリといったところ、前よりも格段に許容時間が短くなっている。 「名前さま……」 「大丈夫、ありがとう。夜になったら出かけたいから、日が沈んだら起こしてくれる?」 「わかりました。お大事になさってください」 「いつもごめんね」 彼女は私が幼い時から世話をしてくれる侍女で、この部屋にも彼女の出入りだけは許していた。夜に起き朝に眠る……そういった生活に他人を巻き込みたくないがために、あまり自分の周りに人を置かぬようにしていたのだが、彼女だけは昔から私に対して献身的に世話をしてくれていたおかげで、生活の大半を任せてしまっていた。 侍女が部屋を去れば、扉の外の喧騒から逃げるようにシーツに包まった。目が覚めれば、久しぶりに外に出かけることができる。頻繁な外出は許可されないのだが、今回は間が空いている。ホメロスさまも、グレイグさまも、きっと許して下さることだろう。 ** 寝起きでなかなか開かない目を擦れば、目の前には見慣れた侍女の顔があった。己の身体に絡まっていたブランケットを無造作に剥げば、両腕をぐっと上にあげて伸びをする。普段よりも睡眠時間が短いせいか、演練の疲れは取れないままであったが、大好きなパンが食べられると思えばその疲れも飛んでしまった。軽い足取りでベッドから降りると、侍女が新しいドレスを手に持っていた。 「おはようございます名前さま。ドレスに皺が寄っておりますので、新しいお召し物をご用意いたしました」 「ありがとう」 城下町下層の治安が悪いこともあり、町行きの服は城の者だと判らぬような質素なドレスであった。町娘のようなこの格好をする時は、まるでお忍びで出かけているようで、少しばかり心が浮き立ってしまう――実際には監視がついていることが多いのだが。 「じゃ、行ってきます」 「気を付けていってらっしゃいませ」 早く城から出たい気持ちでいっぱいだったのだが、外出の際には二人の将軍どちらかに許可を戴かねばならなかった。グレイグさまはジエーゴさまとの話に花を咲かせているだろうから、あまり気は進まなかったがホメロスさまの部屋へと赴くことにした。 「ホメロスさま、名前です」 ノックをしながら名乗れば、いつも通り「はいれ」の三文字が返ってきた。扉を開ければ、ホメロスさまは机に積まれた大量の書類に目を通しているところだった。こちらに一瞬目線を向ければ、私が町に出る格好を見てすぐに察したようだった。 「外出か」 「ええ」 「今日は夜警だ、時間には戻ってくるように」 ジエーゴさまが来られるということで、グレイグさまも、ホメロスさまも、早朝から訓練場に顔を出していた。明日以降も同じ日程で二人は日勤のため、ジエーゴさまが滞在している間は、私が夜警を任されることは多かった。夜警に入れば今日のように早朝の講義に顔を出さなくて済むが、それでも自分の仕事と並行して警備も行うとなれば疲労も溜まりやすい。だからこそ、だろうか……今日は余計に町へ行くのが楽しみで仕方がない。 ホメロスさまが机に向き直ったことを確認すると、一礼して部屋を出た。ひとりで外出する際は、昔は必ずと言って良いほど護衛がついていたのだが、今では私がいつも決められた時間に帰ってくるからか、はたまた店が一等地にあるため身の安全も確保されていると考えられてか、いつの間にか許可さえもらえば自由に町に下りることができるようになっていた。私の身が謀者に渡ることを危惧している王が、二つ返事で城下町へ下りる許可を出すということはあるまいと思っていたが、それでもこうして出して貰えたのは何故だろうと考えてみれば、風切り羽を切った小鳥を、ストレスが溜まらぬように目の届く範囲で籠の外に出しているような――そのような感覚で居るのだろうなと思っている。 |