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“勇者の器”
目が覚めると、一面の花畑の上に寝転がっていた。ゆっくりと起き上がったところで、爪が突き刺さったはずの腹に手をあててみた。そこには傷もなく、それを治した跡すらない。身体には体力も魔力もいつも以上に溢れている。

「ここは、……天国?」

とても現実世界とは思えないその風景に、もしかして死んでしまったのではないかという悪い想像をしてしまう。夢かとも思ったが、その割には頬を抓って痛みを感じる。

「あれ、私あんなので死んじゃったのか」

正直、意識を失うまでは判るが、その前に傷口も塞いだはずだ。身体に負荷はかかっていただろうが、死ぬほどか?それとも、船体に揺られてソファから転げ落ちて傷口が開いたとか。ショックで死んでしまったとか。あまり現実味が持てぬまま、ふらふらと花畑を歩いていると、遠くに一軒の家が見えた。特別向かうところも無いので、そこを目指して足を進める。
花畑に家がポツンと建っている風景は、なんだかシュールだった。ドアをコンコンと叩くと、中からは聞いたことがあるような返事が聞こえる。

「……預言者さん?」
「おぬしか。また会ったな」

家の中に居たのは、青髪のきれいな女性。かつてダーハルーネの町で出会った預言者だった。小さな木の椅子に腰かけて、本を読んでいる。顔も見ずに、私が来たと言うことが分かるとは、やっぱり本物だ。

「まあ、そこに座れ」

そう言われて、家に入り、テーブルを挟んだ預言者の向かい側に座る。本にしおりを挟み、それからハーブティーを淹れてもらった。懐かしい匂いに誘われるように、それを一口飲みこむ。それは、数年前まで毎日のように飲んでいた、先代お気に入りの特製ハーブティーだった。それをにっこりと微笑みながら見ている預言者に気づき、マグカップを置いた。

「あの、私は」
「まあ安心しなさい。死んではいない」
「そうなんですか、良かった……」

聞きたいことは何でもお見通しというわけだ。こういうパターンの会話に慣れていないせいで、未だにこの人との会話は少しばかり怖い。そして多分このことも彼女には伝わっているはずだなと思うとますます気まずくなる。

「此処は、あなたが作り出した世界なのですか?」
「いかにも。そしておぬしはここに迷い込んできたわけだ」

死んでいないということは、安心しても良いのだろうか。

「さて、実はわしもおぬしに会いたかった」
「何の為に?」
「それは勿論、このわしの預言を信じてくれたお礼に。それと、新たな預言を授けようと」

そう言われて、前に預言者と会った時のことを思い出した──確か港町ダーハルーネの町の中。あの時の自分は、まだ世界で起こっていることなど何も知らなかった。いきなり現れた預言者に、悪魔の子の手助けをしろと言われて、今までそうなるように行動をしながらここまで生きてきたのだ。

「聞かせていただけますか」

あの時の預言のおかげで、私はここまで行動することができた。イレブンと出会い、一緒に旅をすることができた。そんな彼女の預言だ、きっとまた私にとって重要な道しるべとなるはず。預言者は深く頷くと、まるで物語を読み上げるかのようにゆっくりと語り始めた。

「この先の冒険は、以前にも増して過酷なものになる。そうして、イレブンに命の危機が訪れた時……そのためにおぬしに伝えなければいけないことがある」
「イレブンが?どういうことですか」
「まあ待て、先のことは分からぬ。あくまでも仮の話だ」

預言者さんは、机の上にある本を再び開いた。しおりを挟んだそのページには、命の大樹と勇者の紋章、それから細かい文字の羅列。そのページを開いたまま、すっと本を差し出される。読めと言うことなのだろうか。

章のタイトルには、「勇者の誕生」とあった。初めて読む本の内容だ。挿し絵を見ながら、横並びの文字に目を通していると、それと同時に彼女は続けて語り出す。

「命の大樹がこの世界に勇者を生んだ時、またその勇者の器を持つ者も生んだ」
「勇者の器……」

勇者の器と言う言葉は、一度耳にしたことがある。たしか、兵士に化けた魔物とホメロスさまが、武器庫で話していた時に盗み聞きした会話の中に、そんな単語があったような気がする。それでも、それ以上の内容は何もわからなくて、話の続きを待つ。

「うむ。もしも何らかのアクシデントで勇者が死んでしまった時に、新たに勇者となり得る者のことを勇者の器と言う。簡単に言えば、保険というやつだ」
「私がその、勇者の器であると?」
「いかにも。おぬしの桁外れの戦闘技術、魔力を使いこなす賢さ、幼い頃から自分は違うと……そう感じていたのではないか?」

本を読み進めながら、会話をする。言われてみれば、私は昔から大して鍛錬もしていないのに、剣を握らせれば手練れの兵士よりも強く、呪文も人一倍強力なものを詠唱無しで発動することができる。今までは、そんなものにも相性があるのだということで納得していたが、改めて考えてみればそれは人間の力を逸脱していると言っても過言ではない。そして、それと同時に思い浮かんだのは勇者である彼の──イレブンの姿だった。平和な村で幼少期を過ごして、闘いの経験は殆ど無かった。それなのに、圧倒的な剣捌きと強力な呪文を使いこなす彼の姿。そうして、ああ、彼もまたそうなのだと納得がいった。

「遠い過去に生まれた数ある器の中でも、おぬしは強い。だからこそ魔王はおぬしを育て、そして手中に収めようとした。……まあ、勇者の力が予想外に強力なおかげでまだ意識までは持っていかれてないようだが、イレブンの力が無くば今頃魔物に成り果てていただろう」

何故私なのかと、何度も思ったことがある。私は片田舎生まれの普通の人間なのだから、普通らしい生活を送りたかったと。それはそもそも根本からして間違っていたのだ。私は普通ではない。そして、もう魔王に殺されていてもおかしくないような人間だ。それなのに、勇者に対抗する力として育てられて、それからその手中から救い出されて、今こうやって生きている。

「これで、大体の謎は解けたのではないか」
「解けました……」

解けたが、未だに現実味が持てないでいた。理解はできるが、納得はできていない。……別に不満なわけではない。ただ未だに自分がこの世界に貢献したことがなく、それで「はい」と言えるような気構えが無かった。ただそれだけだ。

それでも、預言者さんの言わんとしていることは察することができる。イレブンが何らかの形で戦闘不能になった時、その勇者の証を受け継ぎ、使いこなすべき存在は私である。そう心の中で整理をした時、目の前にいる彼女は「そのとおり」とにっこり笑った。

「それと、自分の身体を大切にしなさい。あともう少し縦で防ぐのが遅れていたのなら今ごろ生死の間を彷徨っていただろうに。おぬしは勇者の器……絶対に死んではならぬ」
「……」

本をすべて読み終えた。そこには、今までの会話の内容が堅苦しく長い文章でまとめてあった。その本に、可愛らしいしおりを挟んで閉じる。それが、元居た世界に帰りたいと言う意思表示であることは彼女にも伝わったようだ。

「では、そろそろ戻るか。皆が帰りを待っている」

最後にハーブティーを一口飲んだ。私がまたこれを飲むことができるのは、魔王を倒してこの身体の呪いを解いた後だ。それまでは、ただひたすら耐えて、生き抜かねばならない。胸の内に秘めていた、生きたいと言う欲がまた熱を持ったような気がした。

「世界を、頼んだぞ」

その言葉に返事をする前に額を指でぱちんと弾かれた。瞬間、ふっと体が浮いたような感覚。遠くでにこやかにほほ笑む預言者の顔を目で追いながら、私の身体は真っ暗な空間に落ちていった。