★生きている グロッタの町は、切り立った岩壁に挟まれた峡谷の中にあり、町付近も上空を飛ぶ魔物から逃れるのに最適な岩場がたくさんある。急いで町から抜け出し、浅い洞穴の中に身を潜めると、漸く息を整えることができた。 「マーメイドハープも手に入ったことだし、海に出て新たな場所へ向かうとしようかの」 「……そのマーメイドハープとやらは一体どういったもので?」 「古代ロトゼタシア史によれば、マーメイドハープは海底に棲む人魚たちが作る竪琴で海の上から人魚たちを呼び寄せることができるものとありますが……」 「さっすが名前ちゃん!その通りよ、これで人魚ちゃん達の力を借りて海に潜ることができるの!」 「あくまでも伝説では」と付け足そうとしたが、どうやらシルビアの話し方を見る限り人魚もマーメイドハープも実在しているらしい。それに対して私とグレイグさまからは真偽を問う言葉は出なかった。彼らと旅をしていれば何でもアリだと思いかけている自分がいる。 「そういえばクレイモランへ続く海に黄金の氷山が現れたという噂を聞いたのじゃが」 「黄金の氷山?……それも魔物の仕業なのかしら」 「おそらくはそうだろう。クレイモランの民も不安だろうから、特に行きたい場所が無ければそちらへ向かうとするか」 クレイモランの先には聖地ラムダもある。行き先としては申し分ない。 「クレイモランまでは結構な長旅になるじゃろう。しっかり準備していかねばな」 「アタシもそう思っていたわ。ソルティコに寄って食糧を補充しても良いかしら?」 頷くと、イレブンは慣れたように右手を上に上げてルーラを唱えた。 ソルティコもさぞかし甚大な被害をこうむっているだろうと思ったが、やって来てみれば倒壊している建物も無く、ところどころ建物の壁にひびが入っていたり、石畳が割れていたりと戦闘の痕が見られる程度で町の人々も元気に出歩いている様子だった。 「ソルティコは、被害が少なそうで安心したわ」 「みんなが頑張って守ってくれたおかげよ」 そう誇らしげに語るシルビアに、そういえばジエーゴさまとキチンと話し合うことができたのだということを思い出した。 「せっかくだし、皆うちでご飯でも食べていかない?」 「しかしこの人数では迷惑に……」 「大丈夫!それにパパもきっと喜ぶわ!」 旅は急ぎだが、ここのところユグノア、グロッタと戦闘続きでロクに休んでいないこともあり、ソルティコでは少しくらいゆっくり過ごそうということで全員納得した。背中を押されるまま辿り着いたのは、町で一番大きなジエーゴさまのお屋敷。大きな扉をコンコンと叩くと、扉から出てきたのはスーツに身を包んだ使用人……ではなくなんとも奇抜な赤と緑の服を着た男性だった。 「きゃーっ!オネエさま!?」 「みんなーっ!オネエさまのお帰りよー!」 一瞬、不審者かと思い身構えてしまうが、グレイグさまにそれを制された。同じくマルティナ姫も怪訝そうな顔をしているが、ロウさまもイレブンも動じていないところを見ると、この人が屋敷に居ることは変なことではないようだ。屋敷の中に入ると、先程の服を身にまとった人たちが何人もいた。新しい仕様人だろうか。グレイグさまに説明を求めるように視線を向けると「気にするな」と言わんばかりに首を振られた。 おネエ言葉の男性に案内されるまま、セザールさんに許可を得てジエーゴさまの私室に入ると、部屋の主は先程の男性と同じような奇抜な格好をしながらベッドに腰掛けていた。何もつっこまないほうが良いのだろうか。 「お、名前も無事だったか!あの病気は良くなったのか?」 勢いよく立ち上がったジエーゴさまに駆け寄った。その頭に包帯が巻かれていて……お付きの女性が止めているところを見ると、随分と酷い怪我をしているようだ。 「病気」というのは、世界が闇に覆われる前に、私が昼行動できない理由としてジエーゴさまに伝えていた嘘のことで。そういえばまだグレイグさま以外にはこの理由も言っていなかったことを思い出した。彼らとは長く旅を続けることになるから、私の身体についてはいつかは話さなければいけないことである。 「もうすっかり治りましたよ。ジエーゴさまは、あまり無理なさらないでください」 「こんくらいなんともねえよ。んで……今日こそはうちで飯食っていくんだろうな」 「良いんですか、その……」 前にソルティコに来た時にも確か同じことを聞かれたような気がする。前は時間が無かったので断ったが、今日は断る理由も無い。ただ、この人数で押しかけてきたわけだし、ジエーゴさまはケガをしているしと、どうしようか迷っていると、大きな手が伸びてきて頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。 「わっ!」 「良いに決まってんじゃねえか」 「ご主人さま、ベッドから動かれては……」 「今日は体調が良い」 そうと決まればと、ジエーゴさまは下の階へと降りて行った。お付きの女性も、ハッとして慌ててその後を追う。 「……名前ちゃん、パパとすごく仲が良いのね」 「師匠はなんだかんだ名前のことを可愛がっておられたからな」 皆状況が読めないような雰囲気だったが、ジエーゴさまが剣術の講義でデルカダールに出向いた時に関わったと言ったら納得してくれた。最後のほうは半年に一回くらいしか会うことは無かったが、それでも私の体調を心配してくれたり、お土産を持ってきてくれていた。可愛がってもらえるのは、それはそれでとても嬉しい。 セザールさんに案内されて下の階に向かうと、もうすでに美味しそうな匂いが立ち込めていた。白いテーブルクロスが敷かれた長テーブルを前にして腰掛けていると、色とりどりの料理が次々と運ばれてくる。ネルセンの宿屋以来テーブルにすらついていなかったせいか、久しぶりの御馳走に喉が鳴った。 ** 「久々に豪華な食事をとったような気がする」 「ええ、とても美味しかったわ。それにしてもリゾートホテルまでとってくれるなんて、申し訳ない気がするんだけど」 私達がご飯をいただいている間に、使用人に頼んでホテルの手配までしてくれたらしい。しかも、海沿いにあるメダル女学園が運営する高級リゾートホテル。ジエーゴさまには本当に頭が上がらない。 「こんなベッドで寝るのはいつぶりかしら」 同室になったマルティナ姫が、ふかふかのベッドに腰掛けながらそう言った。彼女も王族だというのに今まで十年以上も過酷な旅を続けていた。さらに二人だけの旅となれば、世界を回るのだけでも精一杯。勿論宿屋にお金を割く余裕などなかっただろう。 「ねえ名前、あなたみたいな若い子が宮廷魔道士だって聞いてびっくりしたわ」 姫さまが独り言のようにつぶやいた。それから、同じくベッドに腰掛けるように促される。躊躇ったが、「良いから」と言われておずおず少しだけ間を空けて腰掛ける。 「先代の宮廷魔道士であったエーゴン・クリンクが亡くなって、そのまま余った枠に入るように引き継いだんです。まだまだ未熟なんですよ」 「そう……?それでも結構若い時にお城に入ったのは素晴らしいと思うんだけど」 「お城に入ったのも、王に化けた魔物に拾われたからなんです。奴の目的は判らないのですが……」 先程、私の過去のことについて話さなければいけないと思った矢先。皆を集めて言うつもりも無かったし、ここで彼女に伝えても良いのではないだろうかという判断だ。 「良かったら、私の過去について聞いていただけますか。大したことはないかもしれませんが……」 「ええ。ジエーゴさまとも仲が良さそうだったし、色々と気になっていたところなの。ぜひ話してちょうだい」 どこから話せば良いか迷ったが、とりあえず前提として自分の身体に巣食う「魔物」とその根源、今はイレブンのおかげでなんとかなっているが彼が万が一やられてしまえば即身体を乗っ取られてしまう状態にあること、そのために長らくデルカダール城に軟禁されていたこと、そして世界が崩壊してからも城の地下牢に閉じ込められていて、ギリギリのところでイレブンとグレイグさまが助けに来てくれたこと……重要なことはだいたい話した。その間、マルティナ姫は心配そうに眉根を寄せながら話を聞いてくださっていた。 「話してくれてありがとう、今まで辛かったわよね……ところで、ずっと気になっていたのだけどホメロスは……敵なの?」 私を閉じ込めた張本人が彼であると、そう言った時に何かを考えるような顔をしていた。グロッタでのこともあり感づいていたのだろうが、イマイチ確信も持てなく、緊迫した空気で話題を出しづらかったこともあったのだろう。首を縦に振ると、暫く間を置いた後にやっぱりねと返された。 「そうしたらいつかは、私達と対峙することになるのかしら。こう言ったら言い訳になるかもしれないけれど、少しだけそんな気がしていたの。イレブンからホメロスの振る舞いを聞いた時とかに……あの人がなんであちら側に着いたのかも分からなかったけど、有り得ないというほど驚きはしなかったわ」 「……」 「小さい頃の私でも、薄々感じていたの。あの人は、」 姫さまがそう言いかけた時、部屋の扉が小さくにノックされた。返事をすると、ゆっくりとドアノブが回される。 「グレイグさま?」 「……姫さま、お取り込み中失礼致します。名前を少しお借りしてもよろしいでしょうか」 「もう、本当に空気が読めないわね……なーんてね。いってらっしゃい、名前」 マルティナ姫は冗談のつもりで悪戯っぽく仰っているのであろうが、グレイグさまがこう目に見えてショックを受けていた。真面目すぎて冗談が通じないと姫さまが仰っていたが、それもこれも姫や王に対してだけなのだ。忠誠心もここまでくればよくできたものだとは思う。 「姫さま、あの妖魔軍王ブギーとやらに操られてから、何か変わってしまったような……」 それとなく心の傷をケアしつつも、グレイグ様についていく。ホテルの階段を下り、ロビーを通り抜け、外に出たところで行先を教えてもらっていないことに気づいた。 「ところでグレイグさま、何処へ……」 「ああ、とりあえず着いて来てくれ」 黙ってついて行くと、リゾートホテルの側にある白いビーチに着いた。夜空に浮かぶ月にきらきらと照らされる空と同じ海の色と、白いビーチのコントラストが何とも美しい。とても世界が滅びかけているとは思えないほど。まばらだが、この景色を見にやって来た人たちもいる。 「ええと……」 「青い服の女性だ」 グレイグさまが指差す先には、寂しそうに海を眺める青いワンピースを着た女性。 「声をかけてやってくれ、きっと喜ぶ」 その言葉に押されるように、白い砂浜を歩く。近くにいるはずなのに、その女性までの距離がずいぶんと長く感じた。やわらかい砂に足をとられながらも、ゆっくりと歩み寄って、夢中になって海を見る女性の肩をトントンと叩いた。 「あの」 「!」 バッと振り返った女性と目が合った。ほんの一瞬、心臓が握りつぶされるような感覚を覚えた。──生きていた!気が付けば、私はその人に強く抱きしめられていた。何故、此処に居るのだろうと思ったが、自分が彼女にかけた最後の言葉を思い出す。 「わっ……」 「名前さま!」 驚いて声も出なかった。やっと絞り出した声に反応するように、侍女も私の名前を呼んだ。 「名前さま、ご無事で何よりです……!ソルティコに着いてから数日で、デルカダールが甚大な被害を受けたと聞いてっ、私は……私は!」 「カノは、私を信じてくれたんだね…」 私よりも少し小さな体で、その力がどこから出てくるのだと言うほど抱きしめられる力が強くなる。私も、ようやっと手に感覚が戻って、侍女の背に手をまわした。私を包む体温が、抱きしめる力が、生きているということを教えてくれたようで、思わず涙があふれてくる。そして、しばらくそのまま、再会の喜びを分かち合っていた。 「カノ…… 「名前さま、涙が……」 「あなたも人のこと言ってられないほど泣いているのに」 なんとか落ち着いて、どちらからともなくゆっくりと身体を離す。たくさん泣いた所為か赤くなっている彼女を見て、嬉しくて笑ってしまった。おそらく私も、彼女に負けず劣らず酷い顔になっているのだろう。 「先程、町を歩いていたらグレイグ将軍を見かけたんです。思わず声を掛けたら、顔を合わせた瞬間に少し待っていてくれと……」 「……そうだったんだ。ご主人は?」 「主人も無事です。今はそこにあるレストランで雇っていただいて、なんとか生計を立てています。本当に、名前さまのお陰です」 それもこれも、私の戯言のようなものを信じて逃げてくれた侍女のおかげだ。きっと「いきなりソルティコに向かおう」だなんてご主人もひとつ返事で納得してくれたわけではないだろうに。 「そういえば、名前さまに渡すものがありました。いつでも渡せるように、それとお守りがわりに、ずっと持っていたんです」 そう言って、侍女がワンピースのポケットから取り出されたのは、青い宝石に星の砂が閉じ込められた透明感のあるピアスだった。 「青い、ピアス……綺麗……」 そういえばソルティコに無理やり行かせるのにピアスでも買ってきてと言ったことを思い出す。 「ホメロスさまからのプレゼント、つけておられたのですね」 「なんとなく、ね。でもせっかくこの可愛らしいピアスを貰ったから、今日からこれをつける」 耳が寂しいから、物に罪は無い、と思い身につけていたこのピアス。だが、今はそれよりも侍女が私を思って選んでくれたものが嬉しくて、赤いピアスは金具が折れないように丁寧にバッグの奥にしまった。 「とてもお似合いです。名前さまの瞳に似ているような気がして、一目惚れしてしまったものなんですよ」 「この服もそうだけど、身体中が貴女の選んでくれたものばかりね……本当に嬉しい、ありがとう」 「いえ、そんな……!」 感極まって再び泣き出した彼女に、ハンカチを差し出す私もまだ涙目で。こんな泣き虫な二人は始めてだ……大樹が崩壊し、世界が闇に覆われたということは、それだけ重篤なことだった。 「私はしばらくソルティコで暮らします。もし名前さま旅が終わって、またデルカダールに戻れる日が来たら…。その時はまたお側に置いていただけますか」 「もちろん、私も貴女がいないと寂しいから。今度はずっと私の部屋に居ても良いの……ほら、体調が良くなったから昼に起きていられるようになったの」 侍女からたくさんのものを貰ってばかりの私が、恩返しできるとしたら何だろうと考えていた。何かプレゼントをしようか、きっと彼女はどんなものでも喜んで大切に使ってくれるだろう。ただそれでも、何をあげても埋められないものがあったことを思い出した。私が珍しく彼女のことを拒んでいたこと、彼女のためを思って遠慮していたこと。もし世界が平和になったならば、きっと私は皆と同じように昼に起きて夜に眠ることができるから、その時はずっと側に居て欲しい。 「何でまた泣くのよ……」 貸したハンカチはもうすでに涙で色が変わっていた。薄く化粧を施した顔も台無しに、目が充血し、顔が腫れ上がっている。家に帰ったらご主人に何をあったかきつく問い詰められるに違いない。 「もう暗くなって来たし危険だから、家まで送っていくよ。ハンカチもあげる」 「ありがとうございます……ハンカチは洗って返します。名前さまが旅を終えてもう一度私と会った時に、必ず」 「判った、帰ってくるって約束する」 さざ波の音を背に、胸に手をあてた。足元がおぼつかない彼女の肩を支えながら、白い砂浜の上を歩く。いつの間にかビーチに居る人は消えていて、夜の海辺には私たち二人しか立っていなかった。 |